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第2話
初めて主任と会ったのは、インターンの時。
説明会に遅刻しそうだった俺が、早足で廊下を歩いてて、反対側から来た主任にぶつかってしまう、という、少女漫画のお約束みたいな馴れ初めである。
(わあ、すっごくかっこいい……)
な〜んて、見とれてしまったのは一瞬だけ。
「おいこら、ちゃんと前向いて歩けよ。中学生」
乱暴すぎる、その一言で目が覚めた。
「俺、インターンです。中坊じゃないっす」
俺はムキになってそう言った。学生時代の俺は怖いもの知らず。誰にでもポンポン言い返してたんだよなぁ。
「マジか」
主任は一瞬絶句した。
(冗談じゃなかったんだ……)
その事実に、俺も釣られて絶句した。
だけど、すぐに悔しくなってくる。
「いや、普通に、中学生がこんな所に来ないですよね!」
真っ赤になって言い返したら、主任はニヤリと笑いかけてきた。
「インターンのくせに生意気じゃねーか。よし、俺が社会の厳しさを教えこんでやる」
そして営業部に拉致されて、こき使われてしまったのだ。
「やな人がいた!」
一日目が終わった後、俺は慎太郎のアパートへ駆け込んだ。
「俺のこと、子供扱いするし、小馬鹿にしたような目で見るしさ、ろくでもないよ! 」
「営業部主任の棚橋直也か。聞いたことある。凄腕らしいな。それにすごいイケメンなんだろう」
落ち着き払った慎太郎の様子に、意味もなく怒りがこみ上げてくる。
「あんなの、全然大した事ないし」
俺は頭の中に、主任のビジュアルを思い浮かべた。
「ま、ちょっと背が高くて、ちょっと足が長くて、二次元から飛び出してきたみたいにきれいな顔してるけどさ、それぐらいのやつ、どこにでも居るだろ」
「や、そりゃ、いねーわ」
慎太郎はそう言うと首をかしげた。
「……お前が人を悪く言うなんて初めてだな」
「え? そう?」
「お前って人懐っこさだけが取り柄じゃんか。大概どんな相手にでも合わせられるだろう?」
人懐っこさだけ、ってところが気になったけど、大体合ってる。自分でもどうして、あの人に対して、そこまでイラついたのかよくわからない。
「……それぐらいやな奴だったんだよ!」
「ふーん。どんな人か、見てみたいな」
その希望は半年後の入社で叶えられた。
(まさか2人とも営業部だなんて……ついてるのか、どうなんだか……)
「それじゃあ、お先に失礼します」
やっと食べ終えた俺が立ち上がろうとすると、スマホが震えた。
(げ。山田社長からだ)
「はい。大宮です」
嫌な予感を覚えつつも、俺は再び椅子に座り、いつもの営業トーンで電話に出る。
「尾宮ちゃん。元気? 今からウチに来てくれへんか。トラブル発生や」
甘ったるい声。山田社長は、何かにつけ俺を会社に呼び付ける、お調子者の社長だ。毎日ジムで鍛えている体は筋骨隆々。歳は五十過ぎらしいんだけど、三十代後半にしか見えない。大阪弁を使うけど生まれも育ちも生粋の東京人と言う、ややこしい人だ。
「トラブル……なんでしょう」
ああ、マジで嫌な予感しかしない。トラブルそのものへの不安じゃないのが、またまたややこしいところなんだけど。
「こないだ送ってくれた資料にな、著作権侵害の図面が混じっとったんや。今からこっちきてことの次第を説明してくれへんか?」
「著作権侵害……」
そんな事はありえない。が、わかっていてもそうは言えない。
「申し訳ございません。今すぐうかがわせていただきます」
通話を終えた後ため息をつく。
「何かあったのか?」
主任が尋ねてきた。
「山田コーポレーションに送った資料に不備があるとのことなので確認してきます。あ、でもたぶん、大丈夫だと思います。その……いつものことなので」
その説明だけで、主任は状況を察知したらしい。
「……ったく、しょうがねぇなぁ。あのエロオヤジ」
そう言うと、小さく舌打ちをした。
俺はうなだれた。
山田社長は多分、俺にちょっとした負荷を与えて、あたふたする様を楽しんでる。
俺がきっぱり対処できないから悪いんだけど。訪問すれば満面の笑顔で出迎えてくれるはずだ。
「すまんな。俺の勘違いやったわ。まあ、せっかく来たんやから座ってき?」
悪びれない顔でそう言って、お茶菓子を出してきて、世間話を始めるに違いない。
「よし。俺も行く」
主任は立ち上がった。
「え、でも、」
「こういうのが続くと良くない。俺がびしっと言ってやる」
「はあ……」
ほら、やっぱり嫌な予感しかしない。
俺の胃はきりきりと痛んだ。
「げ。なんであんたが一緒に来るんや。俺が呼んだのは尾宮ちゃんだけやで」
引率者よろしく、社長室に現れた主任を見て、山田社長は露骨に嫌な顔をした。
「トラブルの確認に参りました。資料を見せていただけますか?」
主任はしれっとした態度でそう告げる。
「そんなもん口実に決まっとるやろ」
山田社長は開き直り、俺の心臓は早鐘を打つ。
「やっぱりそういうことですか」
主任は厳しい顔で社長をにらんだ。
「用もないのにうちの営業マンを呼びつけるのはやめていただけますか? こいつにも一応仕事があるんです」
うわ、言った。つか、一応って。俺にも微妙に失礼だな。
社長の顔色が一瞬で変わる。
「クライアントに対してなんちゅう口のきき方や。鬱陶しい奴やな。最初に見た時から、あんたの事は気にいらんかったんや。絶対一癖あると思っとった」
「ありがとうございます」
「褒めとらへんわ!」
「わかってますよ。冗談が通じない人だな」
「なんだとぅ!」
二人は蛇とマングースよろしく睨み合う。
「あの、主任、山田社長……落ち着いて」
声をかけても、2人は俺の顔を見ようともしない。山田社長は主任の体を頭のてっぺんから爪の先まで舐めるようにみた。
「あんた、よう見たら、なかなかええ体とるやないの。一度、お手合わせしてもらいたいもんやわ」
山田社長が筋肉を誇示するようにシャツの袖をまくりあげる。
「いいですね。これでも学生時代にボクシングをやってたんですよ。俺のは誰かさんみたいな見せ筋じゃありませんから、いつでも受けて立ちますよ」
主任もネクタイの結び目に指をかけ、グッと下ろす。
(筋肉のこと言っちゃダメだ……!)
案の定、地雷を踏まれて、かちんときたらしく、社長の目がマジになった。
「あの、すみません。もう、やめてください」
俺は2人の間に入り込み、叫んだ。
「尾上ちゃんは引っ込んでな!」
山田社長に一喝され、俺はびびって肩をすくめる。
「俺に喧嘩売って、ただで済む思てんの?」
「仕事に私情を持ち込まないでくださいって言ってるだけです」
2人とも1歩も引かない態度だ。
(ああ……もう……最悪……)
しかし先に白旗をあげたのは社長の方だった。
「ああもう! わかったわ。ここから先尾宮ちゃんにちょっかいは出さん。これでいいんやろ? 白けるなぁ」
「ありがとうございます。ほれ、行くぞ」
主任は深く頭を下げると、俺の肩を、ぽん、と叩いた。
「あ、はい」
訳がわからない間に、どうやらかたがついたらしい。
俺も社長に頭を下げ、そそくさと社長室を後にした。
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