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第3話
会社を出ると、主任は険しい目で俺をにらんだ。
「お前な、何やってんだ!」
「すみません」
「ったく」
大きなため息をついた後、こう続ける。
「一週間にどれくらい呼び出されてた?」
「一回……いや、二、三回です……」
主任の眉毛がくっ、と上がる。
「なんで、俺に相談しなかったんだよ」
「そのうち、やめてくれると思ったんです。一過性のもんだって」
「甘っちょろいな」
吐き捨てるように言われて、俺はかちんときてしまう。
「何度も言ったんです。私用で呼び出すのはやめて下さいって。でも、全然聞いてくれなくて……これ以上、どうすればよかったんですか。仮にもクライアントですよ」
主任は立ち止まった。
「バカか。お前はクライアントならセクハラでも許すのかよ」
「はあ?」
俺は両眼を丸くした。
「セクハラって、俺は男ですよ」
「気づいてなかったのか? 山田社長はお前に気があるんだろ」
「まさか」
俺は思わず笑ってしまう。
そりゃ、気に入られてるとは思ったけどさ。だけど、セクハラだなんて。女の子じゃあるまいし。
「……なるほど。お前がよっぽど鈍感だってことがよーくわかった」
主任はスマホを取り出すと、誰かに電話をかけ始めた。
「俺と、尾宮は今から直帰する。上に伝えといてくれ。じゃ」
そして主任は俺の腕を掴むと、反対側の手をすっと上げた。
目の前でタクシーが止まる。
「あの……」
俺を車に押し込めると、主任は隣に座ってきた。
そして自分の住所らしき行き先を告げる。
「お前とはじっくり話をする必要がある」
主任は俺の腕を握ったままそう言った。
主任のマンションは100階建てビルの最上階で、いかにもエリートらしいゴージャスな部屋だった。
「あの、すみません。主任、俺、言い過ぎました……」
だだっ広いリビングに引きずり込まれた俺は、もうすっかり後悔していた。
もともと苦手な主任とプライベートゾーンで二人っきり。マジで勘弁してほしい。
「いいから座れ」
「でも……」
「座れって」
「……失礼します」
仕方なく俺は王様の命令に従った。
暴君は何かキッチンの方でごそごそしてる。コーヒーでも淹れてくれてるんだろうか。そんなのいらないから、早く解放してほしいのに。
しばらくすると主任は缶ビールを手に現れた。
(アルコール? 昼間っから……?)
主任はビールを俺に渡すと隣に座る。肩と肩が一瞬触れ、俺はびくっとして距離をとった。しかし微妙に詰められてしまう。
「飲めよ」
いちいち命令してくる人だな。まあ、そういうタイプだってわかってるけどさ。
「俺、めちゃくちゃアルコール弱くて」
「そんなの知っている。いいから飲め」
仕方なく俺は缶ビールに口をつけた。気詰まりな沈黙が続く。あー、いやだいやだ。俺は自分から口火を切った。
「俺、やっぱり営業、向いてないです。今更言っても仕方ないかもしれないけど、できれば内勤に替えてほしいなって……」
酔った勢いか、甘えきった言葉が口を吐く。
「できるか馬鹿」
「でもこのままじゃ……」
「俺が怒ってるのは、成績のことなんかじゃない。お前はちゃんとやってる。数字には出ないが、クライアントにちゃんと気に入られてる。人に好かれるのは特技だぞ」
「え……?」
「どんなビジネスも、基本は人だ。山田さんの懐に飛び込もうとして、弾かれた営業マンがどれだけいると思う? お前は、自分の良さに気づいてないだけだ」
「主任……」
「結局人間は、ひらめきで行動を決めてるんだよ。どんなに狙っても、最初に好感を持ってもらえなければ物事は進まない。その点については問題は無い。新規の成績は今一つでも、既存クライアントのフォローはできてる……って、何驚いてるんだ」
「まさか、そんなこと言われるとは思ってなくて」
「営業にお前を引っ張ってきたのは俺だ。ちゃんと実力は認めてる。勘違いするな」
(まじで……!)
「……ありがとうございます」
思いもかけない展開にきょどった俺は、照れ隠しにビールをあおった。それじゃぁ、マンションまで引っ張ってこられたのは、俺を労うためなのか?
(いやいや、間違いなく、あの時主任は怒ってた。馬鹿って言われたし)
疑問とアルコールのせいで頭の中が朦朧としてきた頃、主任が意外なことを言ってきた。
「お前、山田さんのことが好きなのか?」
「え、まさか」
あ、声がトロン、としている。
「じゃあ那須と付き合ってるのか?」
「付き合ってませんけど……」
「結婚がどうとか言ってたろう」
はて、何のことだろう。
(そうか。レストランでそういえば、俺、ふざけてお嫁さんになるとか言ったよな。あれ、聞かれてたんだっけ)
「そんなわけないでしょ。これ、何の尋問ですか?」
俺は体を横に向けて、主任の顔をまじまじと見た。
「それじゃ……好きな奴は?」
「え?」
主任の表情は、今まで見た事がないほど真剣だった。
きれいな顔だとずっと思っていたけど、至近距離で見ると圧巻だ。涼しげな瞳に、吸い込まれてしまいそうになる。
「いません……けど……」
なぜだか喉がカラカラになってきた。だって……。
明らかに変な空気なんだ。いつもの主任と違う。何か意図があるような熱い眼差しに、胸の奥がざわざわする。
「それじゃあ、誰に遠慮する必要もないな」
両肩をがっちりと掴まれて、強い力で主任の方に向かされた。
アルコールのせいか、胸の鼓動が早くなる。
「あ、あの……」
「お前は誰にも渡さない」
くぐもった声が鼓膜の中に流し込まれる。
次の瞬間俺の唇には、主任の薄い唇が押し付けられていた。
(な、なんだ。これ、どういうこと……!)
唇を奪われながら俺は大きく目を見張る。
あまりにも意外なことが起きたとき、人はすっかり脱力してしまうらしい。
俺は抗うこともなく、巧みな口づけを受けていた。
長い舌が差し入れられ、口腔を搔きまわす。
(どうしよう……すごく……気持ちいい……)
俺はそっと目を閉じた。
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