3 / 17

第3話

 会社を出ると、主任は険しい目で俺をにらんだ。 「お前な、何やってんだ!」 「すみません」 「ったく」  大きなため息をついた後、こう続ける。 「一週間にどれくらい呼び出されてた?」 「一回……いや、二、三回です……」  主任の眉毛がくっ、と上がる。 「なんで、俺に相談しなかったんだよ」 「そのうち、やめてくれると思ったんです。一過性のもんだって」 「甘っちょろいな」  吐き捨てるように言われて、俺はかちんときてしまう。 「何度も言ったんです。私用で呼び出すのはやめて下さいって。でも、全然聞いてくれなくて……これ以上、どうすればよかったんですか。仮にもクライアントですよ」  主任は立ち止まった。 「バカか。お前はクライアントならセクハラでも許すのかよ」 「はあ?」  俺は両眼を丸くした。 「セクハラって、俺は男ですよ」 「気づいてなかったのか? 山田社長はお前に気があるんだろ」 「まさか」  俺は思わず笑ってしまう。  そりゃ、気に入られてるとは思ったけどさ。だけど、セクハラだなんて。女の子じゃあるまいし。 「……なるほど。お前がよっぽど鈍感だってことがよーくわかった」  主任はスマホを取り出すと、誰かに電話をかけ始めた。 「俺と、尾宮は今から直帰する。上に伝えといてくれ。じゃ」  そして主任は俺の腕を掴むと、反対側の手をすっと上げた。  目の前でタクシーが止まる。 「あの……」  俺を車に押し込めると、主任は隣に座ってきた。  そして自分の住所らしき行き先を告げる。 「お前とはじっくり話をする必要がある」  主任は俺の腕を握ったままそう言った。  主任のマンションは100階建てビルの最上階で、いかにもエリートらしいゴージャスな部屋だった。 「あの、すみません。主任、俺、言い過ぎました……」  だだっ広いリビングに引きずり込まれた俺は、もうすっかり後悔していた。  もともと苦手な主任とプライベートゾーンで二人っきり。マジで勘弁してほしい。 「いいから座れ」 「でも……」 「座れって」 「……失礼します」  仕方なく俺は王様の命令に従った。  暴君は何かキッチンの方でごそごそしてる。コーヒーでも淹れてくれてるんだろうか。そんなのいらないから、早く解放してほしいのに。  しばらくすると主任は缶ビールを手に現れた。 (アルコール?  昼間っから……?)  主任はビールを俺に渡すと隣に座る。肩と肩が一瞬触れ、俺はびくっとして距離をとった。しかし微妙に詰められてしまう。 「飲めよ」   いちいち命令してくる人だな。まあ、そういうタイプだってわかってるけどさ。 「俺、めちゃくちゃアルコール弱くて」 「そんなの知っている。いいから飲め」  仕方なく俺は缶ビールに口をつけた。気詰まりな沈黙が続く。あー、いやだいやだ。俺は自分から口火を切った。 「俺、やっぱり営業、向いてないです。今更言っても仕方ないかもしれないけど、できれば内勤に替えてほしいなって……」  酔った勢いか、甘えきった言葉が口を吐く。 「できるか馬鹿」 「でもこのままじゃ……」 「俺が怒ってるのは、成績のことなんかじゃない。お前はちゃんとやってる。数字には出ないが、クライアントにちゃんと気に入られてる。人に好かれるのは特技だぞ」 「え……?」 「どんなビジネスも、基本は人だ。山田さんの懐に飛び込もうとして、弾かれた営業マンがどれだけいると思う? お前は、自分の良さに気づいてないだけだ」 「主任……」 「結局人間は、ひらめきで行動を決めてるんだよ。どんなに狙っても、最初に好感を持ってもらえなければ物事は進まない。その点については問題は無い。新規の成績は今一つでも、既存クライアントのフォローはできてる……って、何驚いてるんだ」 「まさか、そんなこと言われるとは思ってなくて」 「営業にお前を引っ張ってきたのは俺だ。ちゃんと実力は認めてる。勘違いするな」 (まじで……!) 「……ありがとうございます」  思いもかけない展開にきょどった俺は、照れ隠しにビールをあおった。それじゃぁ、マンションまで引っ張ってこられたのは、俺を労うためなのか? (いやいや、間違いなく、あの時主任は怒ってた。馬鹿って言われたし)  疑問とアルコールのせいで頭の中が朦朧としてきた頃、主任が意外なことを言ってきた。 「お前、山田さんのことが好きなのか?」 「え、まさか」  あ、声がトロン、としている。 「じゃあ那須と付き合ってるのか?」 「付き合ってませんけど……」 「結婚がどうとか言ってたろう」  はて、何のことだろう。 (そうか。レストランでそういえば、俺、ふざけてお嫁さんになるとか言ったよな。あれ、聞かれてたんだっけ) 「そんなわけないでしょ。これ、何の尋問ですか?」  俺は体を横に向けて、主任の顔をまじまじと見た。 「それじゃ……好きな奴は?」 「え?」   主任の表情は、今まで見た事がないほど真剣だった。  きれいな顔だとずっと思っていたけど、至近距離で見ると圧巻だ。涼しげな瞳に、吸い込まれてしまいそうになる。 「いません……けど……」  なぜだか喉がカラカラになってきた。だって……。  明らかに変な空気なんだ。いつもの主任と違う。何か意図があるような熱い眼差しに、胸の奥がざわざわする。 「それじゃあ、誰に遠慮する必要もないな」  両肩をがっちりと掴まれて、強い力で主任の方に向かされた。  アルコールのせいか、胸の鼓動が早くなる。 「あ、あの……」 「お前は誰にも渡さない」  くぐもった声が鼓膜の中に流し込まれる。  次の瞬間俺の唇には、主任の薄い唇が押し付けられていた。 (な、なんだ。これ、どういうこと……!)  唇を奪われながら俺は大きく目を見張る。  あまりにも意外なことが起きたとき、人はすっかり脱力してしまうらしい。  俺は抗うこともなく、巧みな口づけを受けていた。  長い舌が差し入れられ、口腔を搔きまわす。 (どうしよう……すごく……気持ちいい……)  俺はそっと目を閉じた。

ともだちにシェアしよう!