7 / 17
第7話
カウンター席で待っていた主任は、俺に気づいて片手を上げた。
いつもと同じポーカーフェイス。だけどもちろんいつもとは違う。俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
シリアスなシチュエーションって、すごく苦手だけど……自分のしでかしたことには責任を取らなきゃ。
「待たせて……すみませんでした……」
俺は頭を下げると、主任の隣に座った。
正面には大きな水槽があり、バーテンダーの後ろをゴージャスな魚……アロワナっていうんだっけ……がゆっくりと横切っていく。
ここは、学生時代からずっと憧れていたバーだった。雑誌で見る以上にリッチな空間で、今の俺は気後れしか感じない。
「遅い」
俺を見るなり主任は軽いツッコミを入れた。
「すみません……」
「嘘だよ」
ハイスペックな男のキラースマイルに俺の心臓はどくん、と跳ねる。
昨日まで、胡散臭いと思っていた笑顔なのに。なんなんだ、これは。俺は魔法にでもかけられたのか。
「この店、憧れだったんですよね。いつか恋人ができたら一緒に行きたいなって」
緊張を隠しながらそう言うと、
「知ってる。だからここにしたんだ」
意外なセリフが返ってきた。
「え? 俺、その話、しましたっけ?」
主任は頷いた。
「インターン時代にな」
「よく……覚えてましたね」
「忘れるかよ。初めて見た時から惚れてたからな」
惚れていた……?
どっ、と心臓が音を立て、全身の血液が顔へと上っていくのがわかる。
こんなにキザなセリフが絵になる男なんて、きっと主任以外にいないだろう。
「そうでなきゃ、誰がやらせるか」
続けられた言葉に、ますます血が上る。
結局、そういうことだったのか?
ボクシングやってた人が、なんで俺なんかに、って不思議だったけど、そういう理由だったのか。
好きだから、受け入れた。信じられないけど、そういうことみたいだ。
「なんで、俺なんだろ」
ぽろっと、その言葉が口をついた。主任が妙な目で俺を見たので、慌ててこう付け加える。
「だって主任はかっこいいじゃないですか。俺なんかよりもっとすごい人がお似合いっていうか……」
もはや主任への複雑な思いはどっかに行ってしまっている。
不思議なくらい、嫌じゃなかった。男どうしなのに、どうしてなんだろう。
今の俺は、主任の気持ちがただひたすら知りたかった。知った後に、どうするかなんてわからない。それでも聞かずにはいられなかった。
「俺はお前がいいんだよ」
「だから、それがよくわからない……」
卑下してるわけじゃなくて、本当に全然わからないんだ。俺なんかのどこがいいんだ? お調子者だしチビだし、ヘタレだし、まじで褒められるようなとこ、全然ないじゃんか。
あ、悲しくなってきた。
「お前は……可愛い」
思いがたっぷりとのった言い方に、ただでさえ早かった胸の鼓動が速度を増す。
「お前の笑顔は絶品だ。掃除のおばちゃんにも、クライアントにも、上司にも、誰にでもいつも変わらない。何も企んでない。屈託のない笑顔……子供みたいですごくかわいい」
可愛いって言われてうれしくなったのは初めてだ。
熱い眼差しに喉が渇き、ぐいぐいグラスを煽るけど、正直カクテルの味なんて全然わからない。
「好きだ」
バーテンの眉が一瞬ピクッ、と動く。何か言ってごまかそうとしたら、左手を握られた。
「主任……」
「好きだ……」
左手を少し引いてみたけど、主任は離してくれなくて。
(この目……主任は本気なんだ……)
周囲がざわめき始めた。きっと俺たちのことを噂しているんだろう。
こんなに人がいっぱいいて、ただでさえ目立つルックスの主任なのに、こんな大胆な行為、よっぽど覚悟ないとできないよ。
(俺も、ちゃんと覚悟を決めよう)
そう。そのためにここに来たんだ。
主任と正面から向き合うために。
「あの、不束者ですが、よろしくお願いします!」
ギャグみたいなセリフが自分の口から飛び出してきて、俺は真っ赤になってしまった。
(やばい! なんか、すべった……!)
告白したのもされたのも、学生時代、はるか昔の出来事だ。
「なんちゃって……あの……」
言い直そうと思って顔を上げると、燃えるような主任の目が瞳の中に飛び込んできた。
「あの、主任?」
「いいのか?」
俺の声にかぶせるようにして主任が聞く。
その声がびっくりするくらい掠れていて……。頬も心なしか赤らんでいる。
(今までこんな目で見られたことあったっけ。こんなに熱い目で見られたことって……いや、あったのかもしれないけど、全部忘れた)
それくらい破壊力のある視線だった。
心臓のきしむ音が聞こえた気がした。
「はい」
俺は大きくうなずいた。
主任への思いがこみ上げてくる。
本当はずっと尊敬してた。憧れてたんだ。だけど俺にだけ冷たくて……だから意地張って嫌いなふりをしていたんだ。
恋かどうかは……まだ、わからないけど。
主任が俺の耳に囁きかけた。
「行こうぜ」
「え……?」
「部屋をとってる」
恐い位に鋭い視線。でも、そらすことなんてできなくて。
「いいよな?」
俺は大きくうなずいた。
ともだちにシェアしよう!