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第9話
タクシーが俺のアパートに着いた。主任に続いて車を降りた途端、下半身にピリピリとした痛みが走る。
「おっと」
「大丈夫か」
よろめいた俺を、すかさずキャッチして、主任が囁きかけてきた。
「はい……」
そう言いながら俺は腰に手をやった。
微妙な箇所がズキズキする。
さっきまで、めちゃくちゃ大きなものを、受け入れてたんだから仕方ないよな。
「十分で戻る。待っててくれ」
主任はタクシーの運転手にそう言うと、俺に肩を貸してくれた。
「一人で歩けますから、大丈夫です」
「いいから甘えろ」
主任はきっぱりと俺の言葉を退けた。
「すみません……」
仕方なく、支えられたままアパートに向かう。
エントランスに入ろうとした時「カシャ」と言う、シャッター音が聞こえてきた。
振り向くと植え込みにコート姿にマスク、黒いサングラスという、あからさまに怪しい男がいた。手にはスマホを構えていて、ますます怪しい。
俺がじーっとそいつを見ると、スマホをコートのポケットに入れ、くるりと背中を向けて去っていった。
「あれ……?」
「どうした?」
主任が不思議そうに俺を見る。
打ち明けようとして、やっぱりやめた。
「いえ、なんでもないです」
できたての恋人に、無駄に心配をかけたくなかった。
ドアの前で、主任が囁きかけてきた。
「おやすみ」
「はい……おやすみなさい……」
切れ長の綺麗な俺のことをじーっと見つめている。そして引きよせられてキスされた。
俺はおとなしく目を閉じる。
(主任の唇……温かい……)
こんな日が来るなんて、想像もしてなかった。
でも、たった一日で主任のやり方に馴染んでいる。
俺はそっと主任の背中に手を回した。
同じフロアに、恋人がいる。
それは最高に刺激的なことだ。
主任の態度はいつもと変わらない。でも、時々目が合うと、俺にだけわかるようなサイン……例えばちょっとした笑顔とか……を送ってきて、そのたびに甘酸っぱい気持ちになる。
「何にやけてんだ」
慎太郎が俺の腰のあたりをバン、と叩いた。
「っ……てえ……!」
思わず大声を上げてしまい、フロアが一瞬しん、となった。
「なにそれ、お前、大げさな」
慎太郎が思いっきり引いた顔で俺を見ている。
「お前な〜」
恨めしげに俺は慎太郎を睨む。
「……なんだよ」
「……別に。何でもねえよ」
まさか男に抱かれて腰が痛いなんて、口が裂けても言えないよなぁ……。
昨日の電話でこいつの、かなりおおらかな一面に気がついたけど、それでもカミングアウトの勇気はない。
「外回り行くんだろう? 出ようぜ」
慎太郎が誘いかけてきた。
「おお」
肩を並べてエレベーターに向かう。
「ところで、例の件はどうなった?」
エレベーターの中でそう聞かれ、俺は正直にこう答えた。
「ああ、付き合うことになった。お前のおかげだよ。サンキュー」
「そっか。もしかして、お相手って新倉さん?」
慎太郎は総務の係長の名前を出した。四十二歳独身で、二まわりほど年上だけど、俺とは結構ウマが合う人だ。
「え? なんで?」
「わけありって言っただろ」
「ああ……」
不倫じゃないなら熟女だろうと、慎太郎は推理したらしい。
「そのうち話す……落ち着いたら。だから、ちょっとだけ待ってくれない?」
「ああ。わかった」
慎太郎はきっぱりとこう言った。
「別に俺は、誰だっていいんだけど。お前が幸せならそれで」
やば。今の、ちょっとうるっときた。
「お前って、マジでいいやつ。嫁にもらいたいわ」
いつもの軽口が口からこぼれる。シリアスなことの多い数日だったので、こういうひとときがすごくほっとする。
「ばーか」
コツン、と頭をこづかれる。ちょうどエントランスに到着し、俺たちは別々の場所に向かって歩き出した。
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