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第10話
最後の営業先で話が盛り上がってしまい、気づけば夜の八時を過ぎていた。
主任にメールをしたら、すぐに直帰の指示が返ってくる。
なんてことのない業務メールに、なんだか肩透かし。デートのお誘い……を期待してるわけじゃないけどさ、もっと甘い文面になるかと思ってた。
アパートのエレベーターに乗ると同時に、スマホが震えた。慎太郎からのメッセージだ。
『今日、お前んち、行っていい? デートだったら遠慮しとくけど』
「はいはい。予定なんてありません。ウェルカムですよ〜」
そんな独り言を言いながら、サクッと返信する。
エレベーターのドアが開いた瞬間、コートにマスク、サングラスの男が俺の前に立ちはだかった。
(こいつ、昨日の……!)
やばい、と本能が俺に告げる。だけど遅かった。
シュッと、スプレーから白い気体が吹きつけられ、俺は前のめりに男の胸へと倒れ込む。
そしてそのまま、意識を失った。
目覚めると俺はベッドルームに仰向けになっていた。
「おはよう。寝顔、ごっつ可愛かったで。お姫さん」
話しかけてきた人物に、俺は両眼を見開いた。
「山田……社長……」
「そうや。びっくりした顔も、ええもんやなぁ」
山田社長は男っぽい唇を、片方だけ歪めてニヤリと笑った。
俺の部屋に、勝手に赤の他人が上がりこんでいる。それだけでも、とんでもないのに社長ときたら、上半身が裸だ。
スーツの上からでも、はっきりとわかる盛り上がった筋肉は、直に見ると黒光りして、ギリシャ神話に出てくる英雄みたいだった。
って、そんなこと言ってる場合じゃない。
「ちょ、何やってるんですか……!」
俺は起き上がろうと身を捩り、その時初めて拘束されていることに気がついた。
手錠で戒められた両手が、バンザイの形で左右に開かれベッドヘッドの柵に繋がれている。
「ほら、見てみ。可愛く撮れとるやろ」
山田社長はそう言いながら、スマホの写真ホルダーを開いて見せた。
「俺の写真ばっか……なんでっ?」
「暇さえありゃ、尾宮ちゃんの写真隠し撮りしてたんや。知らんかったやろ。そしてこれは、一昨日の分」
山田社長が提示したのは、俺が主任に抱えられ、アパートに向かっている写真だった。
「昨日の盗撮魔……あれ、山田社長だったんですか!」
そう叫んだ瞬間、スツールの上に乱暴に脱ぎ捨てられた、コートとTシャツ、黒いサングラスが目に入った。
「そうや。俺に内緒でおいたしちゃあ、あかんで。尾宮ちゃん」
社長の目がぎらりと光る。
「あの、もしかして社長は俺の事……」
「そう。好きや。尾宮ちゃんが欲しいんや」
ゴクリと俺は唾を飲む。主任の言う通りだった。
「もう俺には構わないって言ってくれたじゃないですか」
「そんなの嘘も方便やろ。それに、あの時とは状況が変わってきたしな」
山田社長は画面をスライドし、別な写真を表示した。
「あ……」
主任と一緒の写真。それはホテルのエントランスで撮られたものだった。全然気がつかなかった。
大量に撮られた俺の写真から、社長の執念が伝わってきて、思わず背筋がゾクゾクする。
「尾宮ちゃん、ノンケやなかったんやな。何も知らん思て遠慮しとったけど、そういうことなら、いくらでもやりようがあるわ」
その写真から何を読み取ったのかわからないが、とにかく社長は確信を持ってしまったらしい。しかもそのカンは当たっているから、これ以上弁解の余地はない。
社長はスマホをスツールに置くと、ベッドの上に片膝を乗り上げた。
「俺には持論があってな。美形の男はSEXが適当。なあ、あいつもどうせそうやろ? それに比べて俺は自分で言うのもなんやけどテクニシャンやで」
スプリングの軋む音がして山田社長の肉体が近づいてくる。
「俺はあんたに一目惚れしたんや。誰にも渡さへん。ましてやあの忌々しい棚橋なんかには絶対にな」
俺のズボンからベルトが抜かれ、シャツが引きずり出される。
ゆっくりとボタンが外されていき、素肌が冷たい空気にさらされていく。
恐怖に……鳥肌が立った。
「惚れてるなんて……嘘ですよね……」
みっともない位、声が震えている。でも俺は、止めなかった。
「どういう意味や……?」
山田社長は不思議そうに首をかしげた。
「本気で俺のことが好きなら、こんなことしないでしょ。俺なんてどうでもいいから、適当なことができるんですよ」
そう言った瞬間、俺の胸に鋭い痛みが走る。
(そういや俺、主任のことを無理矢理……いやいや、あれは酒に酔ってたから……いや、違う。俺はちゃんと責任を取ったわけだし……)
ぎらついていた社長の目が、冷たい色へと変わっていく。
「捨て身の反撃か? けど、俺にはきかへんな。本当は、俺の気持ち、十分わかっとるくせに。本気やで。ストーカー行為っちゅうのはな、暑いし寒いし散々や。職質やって何回されたやらわからんのやで」
「そんなの……自業自得じゃないですか!」
「そう。自業自得や。やから今から、落とし前つけるんや」
(ダメだ……何を言っても通じない……)
社長の目も口ぶりも、いかにもイッちゃってる感じで、その迫力になけなしの闘志がしぼんでいく。
「俺が、どれほど尾宮ちゃんに惚れとるか、今から体に教えこんだるわ」
(山田社長に火がついた)
後悔したけど、もう遅い。山田社長は舌なめずりしながら、 俺の顎を片手でつかむと、反対の手のひらで唇をいやらしくなぞった。
「社長、 お願いです。やめて下さい」
「やめへんよ。今からやんか」
頭の中に主任の悲しそうな顔が浮かぶ。
(主任……ごめんなさい)
「今、誰の顔思い出しとる? 悪い子やなあ、尾宮ちゃんは」
山田社長は舌を出して俺の唇をべろりとなめた。
両生類が 這い回るような感触。背筋がぞわぞわして、胸の奥が苦しくなる。
と、心臓がどくん、と音を立てて跳ね、下腹が何故か燃えるように熱くなった。
(なんなんだ この感触)
「あ、言うとくけど、さっきのスプレーな、催淫剤が入っとっるから」
山田社長は唇を解くと、恐ろしいことを囁きかけてきた。
「嘘……そんな……」
頭の中がガンガンして、ろれつが回らない。
「そのうち、腰を振って俺のをねだるんやろうな。我慢せんでええで。欲しいもん、たっぷりぶちこんでやるさかい」
下半身が突然熱くなってきた。
うろたえているうちに再び唇を奪われる。
口の中を山田社長の長い舌がゆっくりと這い回り、俺の体はますます熱くなる。
「うう……く……」
俺は何度も体をよじった。手首をばたつかせ、戒めから逃れようとした。
だけど、頭の中でイメージする動きと、実際の動きとが全然違う。のろのろだ。薬が効いているんだ。このままだと、本当にやられちまう。
「天国見せたるわ。楽しみにしいや」
ボタンが全て外されて、むき出しになった胸元に、大きな手のひらが這い回る。
「うう……」
「尾宮ちゃんの肌、白うてきめ細やかで、触り心地ががええわ。ずっと、夢に見とったんや。尾宮ちゃんとこうやって睦みあうとこ」
節くれだった指が乳首をいじり、じん、とした快感が立ち上ってくる。
「あっ……」
「あれ? こんなところが感じるんかいな。見た目通り、女の子みたいな性感帯やな」
聞き捨てならない言葉が耳の中に流し込まれた。
湿った吐息が耳の中に入ってきて、体の奥がますます震える。
「社長……今なら、間に合います。やめてください」
俺は心を込めてそう言った。
「やめたら、俺とお付き合いしてくれまっか?」
「それは……できません」
「ほんならその提案、呑めへんな」
山田社長はきっぱりと俺の提案を退けて、太い腕で俺の背中を抱きしめ、体を密着させてきた。
「わ……やめて……」
俺の貧弱な胸板に、社長の鍛え抜かれた筋肉が押しあてられる。
手錠で繋がれているとは言え、軽く体重を乗せられているだけで、俺の体はびくともしない。すっかり……薬が回ってしまってる。
社長の指はとても暑くて、乳首が焼き切れてしまうような気がした。
「ふっ
鼻の先からいやらしい吐息が漏れる。
「尾宮ちゃんの声、色っぽいなあ。腰のあたりにビンビンくるわ」
山田社長が嬉しそうに言った。
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