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2一2
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この人は笑顔というものを母親のお腹に忘れてきたのだろうと本気で思っていたので、 イジメのショックよりも目の前の笑顔の方に気持ちを持っていかれた。
如何せん憎たらしいほど顔が整っているため、由宇の瞳を見開かせるほどにはその笑顔は相当な破壊力だった。
が、橘はすぐにその笑顔を失くして、いつもの無表情に戻ってしまう。
「口開いてっけど? ……で、どうするよ。 マジで他の奴に頼むなら早い方が…」
「い、いや、橘先生でいいです。 あんまり知られたくない、から」
誰だか知らないその人も、由宇が知らないフリを通して何も反応を見せなかったら、次第に小さな嫌がらせなど無意味だと気付いてくれるのではと思った。
甘い考えなのかもしれないが、あまり事を大きくしたくないというのも本音だ。
いじめられているかもしれないなんて、怜にさえ言えないほど恥ずかしい。
「………………それ、もう一回言え」
「え? だから、あんまり他の人達に知られたくない…」
「違う。 その前」
「その前? 何て言いましたっけ?」
「橘先生って」
「はっ!?」
(何言ってんだこの人!?)
今すごく大事な話をしている最中ではないのか。
そんないつでも誰からも言われているであろう事を、なぜもう一度改まって言わなければならないのか。
いじめのショックを引き摺る間もなく由宇の目は点になった。
「……………橘先生」
「なんだ」
「言えって言ったのに何なんだよ! 変な人!」
「そんなにお願いされちゃしょーがねーな。 内密に動いてやるから、ぷんぷん丸封印しろ。 いいな?」
「お願いはしてない! しかもまたぷんぷん丸って言ってるし!」
話が通じない事に苛立ちを覚えて、由宇は全力で目くじらを立てるも橘はそんなもの意に介さない。
本来なら、もう少し深刻そうな雰囲気の中で話すべき内容なはずだ。
由宇自身も入学前から懸念していた、いじめられやしないかという不安が現実かもしれない事を知って、当然穏やかではいられない。
だが目の前の橘といるとどうも調子が狂って、メソメソするのを忘れている。
逆に落ち込まずにいられて良いけれど、つくづく変な人だ。
「まぁ、ぷんぷん丸もおもしれーからいんだけど。 嫌いな奴の授業なんか受けたくねーってのも分かるしな」
「だ、だから、きき嫌いじゃないですって……」
「うろたえ過ぎだろ。 っつーか何であんな事すんのかねー? 気に入らねーならちまちまやってねーで殴っちまえば済むのに。 そう思わねー?」
腕を組んだ橘は、由宇のどもりにまたフッと笑いを見せたが、それはあの笑顔ではなく悪魔のような三白眼だった。
一見非情そうに見えるが、どうも由宇より憤っているらしい。
由宇を見下ろして恐ろしい同意を求めてきたが、そんなものに頷けるはずがない。
「それやると停学か、下手したら退学だからじゃないですか?」
「んなのビビって卑怯な事すんの? 分かんねー。 お前イジメてる奴見付けたらボコボコして二度とそんな気起こさねーように考え改めさせよ」
「それだと先生の首が危ないですよ!」
「俺の首はどうだっていんだよ。 コソコソ小せー事しか出来ねークソみたいな奴は根性叩き直さねーと」
「先生、昔めちゃくちゃ悪かっただろ……」
この顔と目付き、唇の端だけを上げて笑う凄みのある微笑は、恐らく昔の名残りであろう。
真実を聞くのも怖かったが、由宇の問題に親身になってくれている事は明白で、饒舌な橘を前に少しだけ彼への嫌い度が下がった。
やはり根っから悪い人ではないのだ。
ちょっと高圧的で、いちいち由宇をイライラさせる一言が多いだけで。
「そんじゃ話は終わったからもう帰れ。 なんか進展あったら教えてやる」
「……殴るのはナシでお願いしますよ」
「約束はできねー」
「約束してください!」
「わーったよ、お前声でけぇ」
耳を押さえながらシッシッと追い返す動作をされ、一応ショックを受けてる身なんですけど…とは言えず生徒指導室を出た。
自宅へと帰る最中、ずっと気分が悪かった。
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