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2一4

2一4 橘に連れられて、わざわざ少し離れた旧校舎までやって来た由宇は、傍らで煙草を吸う橘をしばらく観察させられていた。 動くと若干汗ばむ気候に、近頃橘はスーツのジャケットは着ていない。 白のカッターシャツに、緩められたネクタイ姿のクールビズ仕様だ。 「…あの、先生。 煙草の匂い俺に付いちゃうんですけど」 「お前絶対そう言うだろーと思って今日は加熱式タバコなんですー。 残念でしたー」 イラッ。 タバコに馴染みのない由宇からすれば煙が出ていたら全部一緒である。 そんな事より、あと五分ほどしか時間はないのだから、早く本題に入ってほしかった。 あれからもやはり実害は無く、プリントが提出されていないと他の教科担当からも言われる事はなくて安堵していた。 それはつまり、ここに由宇を連れて来た事からも、橘が犯人を見付けてくれたと思ったのだが違うのだろうか。 「橘先生っ、のんびりタバコ吸ってないで、話しましょうよ!」 橘はいつかのように空を見上げて黄昏れていて、煙を深く吸い込んでは吐き出す、を繰り返している。 それをただ見ているだけだった由宇は、いい加減にしろよと怒鳴りたい気持ちをグッと堪えた。 ほんの少しだけれど、空を見詰める橘の視線が物憂げに見えて、なかなか話し掛けられなかったのだ。 「あ? あ、今お前の存在忘れてた」 「どういう事ですか! 先生がここに連れて来たんだろ!」 「うるせーって、ぷんぷん丸。 …例の件なら解決したから安心していいぞ」 本当に匂いの少なかったタバコをポケットにしまいながら、橘が悪魔の笑みを浮かべた。 「………へっ?」 もしかしてそうかも、と思ってはいたが、本当にこんなに早く決着が付くなんて凄い。 橘は驚く由宇の前に立つ。 目の前に来られるとどうしても見上げなければならないので、逆光で眩しかった。 「俺の舎弟…いや、仲間が動いてくれた」 「い、いま舎弟って言わなかったです?」 「気にすんな。 犯人…誰だか知りたい?」 お得意の悪魔顔で笑う橘が含みを持たせた事で、確実に犯人と思しき人物が存在すると知って由宇の背中にゾクッと震えが走った。 「舎弟」という言い方をした橘の仲間達がその人物に一体何をしたのかは知らないが、冗談では済まされない事実に再度ショックを受けてしまう。 実際の被害は提出プリントだけだったからか、由宇はこの一週間でイジメの件は忘れ去ってしまえそうだった。 こんな事あるはずない、もしかしたら偶然に偶然が重なっただけなのかも、とポジティブに考え始めていたので、橘の言葉に体が動かない。 「…………泣く?」 橘を見詰めたまま固まった由宇に、心のこもらない声が降ってきてカッと頭に血が上ったのが分かった。 仮にも教師なのだから、ほんのちょっとでも心配そうな素振りをしてくれてもよくないか。 「泣かない! 誰だかも知らなくていい!」 由宇は走るのが嫌いなのに、これ以上橘の前に居られないとその場から急いで退散した。 (ひどいっ、他人事だと思って! 泣くに決まってんじゃん!) 熱くなる目頭を気にしながら、由宇は恐恐と校舎の方へ走ってみていた。 案外走れた。 痛みも違和感もないので、この調子なら体育祭も出られたかもしれない。 けれどやっぱり嫌いなものは嫌いで、すぐに立ち止まって蹲った。 もう次の授業はサボろう。 「やだな…もう……何もかも…」 苦手な数学と無神経な教師、由宇が知らない所でのイジメ。 家でも最近、顔を合わせれば両親は喧嘩を始めるし、部屋にこもっていてもその怒鳴り声が聞こえてくるため、由宇にはいま居場所が無い。 何で嫌な事は重なるのだろうか。 両親が由宇に冷たい事や、不仲っぽいところは今に始まった事ではないから耐えられる。 だからせめて学校では居心地よく過ごしたかった。 入学式で異常に緊張していたのは、学校では嫌な事を忘れて楽しい場所として過ごせるかを不安視していた。 イジメられたら嫌だ、友達ができなかったらどうしよう。 不安しかない状態で入学して、たった二ヶ月足らずで何もかも嫌になった。 そっとポケットに忍ばせていたパウチした桜の花びらを取り出し、由宇はそれをギュッと握って静かに泣いた。

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