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2一9
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怜の自宅は、学校から徒歩で五分とかからない高層マンションだった。
未だ毎日駅まで由宇を迎えに来てくれている怜は、学校がすぐ目の前なのでさぞ面倒に思っているのではと内心では感じたが、たとえそれを言っても「運動になるから」といつもと同じ返事が返ってくるだろう。
「どうぞ」
「ありがと」
綺麗に整頓された怜の自室は、ベッドと勉強机、本棚、中央には白くてふわふわしたラグの上には小さなテーブルがあった。
由宇は促されるままにそのふわふわの上に落ち着いた。
「はい、由宇は麦茶でしょ」
「あーありがと。 よく見てるね」
「毎日わざわざ麦茶選んで買って飲んでるの見てるからな」
いつも由宇が買う麦茶を手渡してくれる怜が、そんなところまで見ていたのかと驚きながらも笑みが溢れる。
「今日は勉強どころじゃないから、話しよ」
「…………うん」
由宇の前に座った怜は、落ち着かないのかミルクティーを何度も開け閉めして飲んでいる。
ひょっとすると、昨日からずっとこの調子だったのかもしれない。
「…どっちから話すの」
「由宇から」
「えー俺から?」
「嫌なの」
間髪入れずに怜から鋭い視線を向けられて、由宇が話さなければ自分も話さないとの強い姿勢に重たい口を開く。
「嫌じゃないけど……。 ……俺、プリントなくなった事あったじゃん」
「うん、あったね。 あれ何だったんだ?」
「あの時、実は数学だけじゃなくて、現国と世界史の提出プリントもなくなってて」
「はっ!? マジで?」
驚いた様子の怜が、テーブルに肘をついて身を乗り出してきた。
その先が何となくわかったのか、怜の表情がみるみる怒気を孕んでいく。
「橘先生が協力してくれて、それが分かったんだ。 その後の事も、橘先生が解決してくれた」
「……………ふーん…。 それってイジメ?」
「最初はそう思ってたんだけど、俺の父親がそのプリント隠した人のお父さんのポストを奪ったとかで…。 俺とばっちり受けた、みたい…?」
「由宇のお父さんって何してるんだっけ」
「外科医。 でもどこの病院で働いてるかとか、どんな役職に居るのかとか、全然知らないんだ。 …あんまり家に居ないし、話もしないから…」
「…そういう事か」
由宇の顔をジッと見ていた怜が、またミルクティーに手を伸ばす。
そしてゆっくり由宇の方へと近付くと、ポンポン、と優しく頭を撫でた。
きっとこれは慰めてくれてるのだろうと、由宇はされるがままに見上げると、怜の表情は強張っていた。
「それ、橘が解決する前に俺に話してほしかったな」
「………だって、イジメられてるかもって打ち明けるの、すっごい恥ずかしかったし、俺自身もめちゃくちゃ動揺してたし、ショックだったし、なんか……それどころじゃなかったんだ。 自分の事で精一杯で」
「気持ちは分かるけど。 …今ので由宇の親との関係性もちょっと分かった。 もう全部話さなくても、俺そんな鈍くないから、大丈夫。 つらい事言わなくていいよ」
怜は由宇の隣に座り直して、顔を覗き込むようにして優しく微笑んだ。
やっぱり、怜には話して良かった。
すでに解決してしまった後だからか怜もそれ以上怒る事はなく、ただその時に一緒に悩んであげられなかった事を少しだけ責められただけだ。
それも、打ち明けるのが怖かった由宇には嬉しい叱咤だった。
「………うん…。 ごめんな、怜には事後報告になっちゃって…今度から何かあったら一番にちゃんと話す」
「絶対だぞ?」
再確認してくる怜に力強く頷いた由宇は、肩の荷が下りたとばかりに麦茶を一口飲んで、傍らの涼しい顔を見やる。
「…………怜の番だよ」
由宇の言いづらかった事などちっぽけだったと思わざるを得ない怜の話を聞くまでは、由宇はラグのもふもふを楽しむ余裕があった。
話したくない、と頑なだった怜に、申し訳なさを覚えるほど由宇は驚愕する羽目になる。
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