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6一3
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由宇は家族で外食をした記憶が無い。
かと言って毎日自宅で母親の手料理を食べていたわけでもなく、大体は一人で出来合いを食べていた。
多忙な二人は由宇を省みる事がほとんど無く、外食はもちろん旅行などもした事がないので、由宇はとても狭い世界の中で生きてきた。
自宅では、テレビと教科書が家族である。
だからこんなに立派な料亭にやって来るのも初めてで、目の前に広がったきらびやかな料理を前にするとどれから手を付けていいのか分からない。
おまけに突然こうして橘と二人で食事をしている現状は理解の範疇を超えていて、軽いパニックを起こしている。
「食わねーの? あんま好きじゃねーか?」
「いや、好き…だけど。 この状況がちょっと意味不明で…」
「帰っても一人なんだろ? ならいいじゃん。 美味いもん食って任務を遂行して風呂入って寝ろ」
「宿題忘れてるよ」
「んなもんは任務途中にやれんだろ。 あ、この鴨鍋マジやべー。 食った?」
対面する橘はかなり食欲旺盛で、美味い美味いと次々に料理を平らげている。
鬱陶しそうに前髪をかき上げながら落ち着き無く食べる様は、とても二十六歳には見えない。
実際由宇は、橘はもう少し若いと思っていた。
新卒だと聞いていたし、見た目は人相さえちゃんとすれば学生でも通るのではというほど若々しい。
顔の造りのおかげで伸びっぱなしの髪の毛もおしゃれっぽく見えているのだから、せっかくスーツを着て真面目にしているならばまず強面を何とかすればいいのに。
そんないらぬ事を考えていると、橘から「食ってみろ」と言われて、由宇は鍋に手を付けた。
「ほんとだ、美味しい……」
「腹が減っては戦が出来ぬ」
「ぷっ。 戦に行くわけじゃないし」
笑みを溢した由宇は、お言葉に甘えて贅沢で美味しい鴨のフルコースを食べ進めていった。
やはり橘は食事中は話したがらない。
昨日の今日で、連日橘と食事の時間を共にしているがそこは本当に気が合う。
美味しいと言い合う以外は必要以上に話し掛けてこない橘の性格が、由宇はいたく気に入っている。
外食なんて記憶から探し当てるのも難しいほど久しぶりだ。
それが家族とでも怜とでもなく何故か橘となのだから、プチパニックに陥ってもしょうがないけれど……悪くない。
帰宅して一人で出来合いの弁当をモソモソと食べるのとは全く違う。
誰かと対面して食べる料理はこんなにも美味しいんだと、感動すら覚えていた。
食事を終えると、運ばれてきた上等そうな口当たりの良いお茶を飲み一息つく。
「ふぅ………」
「あー美味かった。 お前が鴨なんて言うから食いたくなっちまったじゃん」
「俺、鴨なんて一言も言ってないよ」
「何とか〜鴨って言っただろ」
「その鴨じゃない!! ……でも、美味しかった。 ありがと、先生。 ごちそうさまでした」
由宇のお礼の中には、一緒にご飯を食べてくれてありがとう、の意味もこもっていた。
橘には伝わっていないだろうが、皆まで言うとさすがの魔王も同情してきそうなので、やめた。
「構わねーよ。 腹も膨れたしタバコも吸いてーから出るぞ」
「はーい」
どこまでもマイペースな背の高い後ろ姿を追いながら、無造作に伸ばされた髪を見詰める。
何だろう。
由宇は、不思議な気持ちに囚われていた。
(あんなに大ッキライで、大の苦手だった先生なはずなのに………)
強い口調と、横柄な態度、すぐに眉間を寄せて生徒にガンを飛ばす所、まだ写し終えていないのに黒板の文字をすぐ消す所、嫌いだった箇所はいくつもあった。
それがいつの間にやら、食事を共にするような間柄になっている。
怜の事があるとはいえ、ここまでしてもらえると橘にとって由宇が特別な気がして嬉しい。
(………ん? …嬉しい??? なんだそれ。 嬉しいって、いや、違う。 嬉しいわけじゃないもんね)
自身で勘付いておきながら、それは絶対に違うと首を振る。
橘は、自分のシナリオ通りに事を運んで怜の母親に恩返しをしたいから、由宇を特別扱いしているだけだ。
怜を説得できるのは由宇しか居ないと知っているから。
「百面相中悪いけど、着いた」
電子タバコを吸いながら、橘は由宇へと視線を寄越す。
見回せば、本当に由宇の自宅前へと到着していて、店を出てからここまで瞬間移動したかのようにあっという間だった。
「へっ? あ! うん、ありがとう。 ……ほんとにごちそうさまでした」
「家誰か居んの? 電気付いてる」
「多分母さんじゃないかな。 …居てもほとんど自分の部屋にこもってるけどね」
「ふーん。 じゃいっちょ挨拶しとくか」
「えっ!? 挨拶なんていいよ! またの機会で!」
「なんでだよ。 親に断りもなくお前をメシに連れ出したんだから、挨拶しとくのは当然だろ」
こういう時の橘は、ふいに大人の建て前を振りかざしてくるので困る。
正当な事を言われては、所詮お子さまな由宇には反論など出来ない。
すでに車を降りてしまった橘は、由宇が降車するのを待たずにもうインターホンを鳴らしていた。
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