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6一4
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一度鳴らしたくらいでは、母親は出て来ない。
部屋の灯りが点いてるからといって、そんなものも気にしないで度々居留守を使う。
二度、三度、と優しく押していた指先に力が込められた。
苛立つ橘がインターホンを連打し始めたのである。
ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン…。
「ふーすけ先生! ゲームのボタンじゃないんだから!」
「出て来ねーからだろ」
近所迷惑にもなるのでやめてくれと言いかけた時、覇気のない顔で母親が玄関を開けた。
「うるさいわね…どちら様?」
寝ていたのか、視点も定まらないらしい。
数年前まではハツラツとした綺麗な看護師長だったのに、今や普通のオバサンにしか見えない。
私生活がボロボロだと、仕事にも影響が出てきていそうだ。
「あら由宇? ……と、この方は?」
母親は出て来ながら少しだけ身なりを直すと、橘を見て首を傾げた。
「由宇くんの学校で数学を教えてます、橘っす。 今メシ食って来たんで晩飯はいらねーんで」
言いたい事は分かるが、もう少し先生らしく喋ってはくれないだろうか。
仮にも進学校の教諭なのだ。
苦笑を漏らしながら、由宇は橘の横顔を覗き見る。
彼は本当に裏表が無いようで、たとえ由宇の親の前であろうとポケットに手を突っ込んだまま、いつもの悪魔面で母親を見据えていた。
「そうなの。 今日お弁当買ってき忘れたし、ちょうど良かったわ。 おいくらでした?」
「金はいーっす。 てか親ならもうちょい言葉選んだ方が良いっすよ。 家に居んならメシくらい作れ……っす」
(先生、ヤンキー滲み出てるよ……)
言葉遣いの悪い橘を、本当に教師なのだろうかと訝しく思い始めているのか、母親は何とも怪訝そうだ。
耳の痛い事を言われたから尚更だったのかもしれない。
「そうね、肝に命じておきます。 由宇を送ってくれてありがとう」
言うだけ言った母親は、パタン、と玄関の戸を閉めて中へ入ってしまった。
今日も相変わらず機嫌が悪そうだった。
ほとんど自室にこもっているとはいえ、扉の外にまで暗い雰囲気を漂わせてくるので、帰宅しようにもなかなか一歩が踏み出せない。
温かい家庭なんて幻想だと突き付けてくるこの家から、早く飛び出したかった。
高校卒業までのあと二年がとてつもなく長く感じる。
「なんだあれ。 いつもあぁなのか?」
「うん、いつも通り。 ちょっと機嫌悪そうだったけどね。 ふーすけ先生がヤンキー丸出しで喋るから」
「あれは俺が超真面目人間でも同じ対応しただろ。 お前の母親、生きながら死んでんな」
「え、…………暴言…」
「いやマジで。 早いとこ離婚成立させて離れた方がお互いのためだ。 お前にも悪影響しかねーよ」
「………………………」
いつの間にかタバコに火を点けて吸っていた橘が、車に寄り掛かってサラリと由宇の胸を打つ事を言ってくれた。
そう、今の現状は悪影響しかない。
毎日暗い雰囲気の中で生活していると、由宇の気持ちもだんだんと落ち込んでくる。
歯を磨いているだけでどんよりしてきて「かったるい」と思ってしまったり、無音の中で勉強していると両親のケンカが耳の中で再生される。
それは繰り返し繰り返しで、正直勉強どころではなくなるのだ。
不思議と、怜の自宅で勉強をしているとそんな幻聴に悩まされないのだが、やはりそれはこの家のせいだと由宇も思っている。
二人の決意が固いなら、早く決別した方がお互い良い方向へ向かうと思うのに、ゆっくり結論付け過ぎだ。
由宇に悪い影響しか及ぼさないと、母親とたった数分接しただけで気持ちを分かってくれるとは思わなかった。
ちょっと、……泣いてしまいそうだ。
「なぁ、ちょっとその辺流そーや。 車ん中でひょろ長と連絡取りゃいい」
「な、なんで? いいよ、そんな事したら先生またここに戻って来ないといけなくなる」
「はい、強がり由宇クン出ましたー。 いいから乗れ。 あんな母親のとこそんな急いで帰るこたねーよ。 連れ回しても大丈夫そうだったしな」
「………………いいのかよ」
「乗れ」
橘の好意にすぐに頷けなかったのは、彼を信用していないからや、嫌だったからではない。
本気で、面倒を掛けてしまうのが気が引けて、断ろうとしていた。
強引に助手席に押し込まれたけれど、その手には力など全然入っていなくて…むしろ優しかった。
(家の事はあんまり話したくなかったから話さなかったけど……もうぜんぶ分かってそうだな、先生)
シートベルトを嵌めながら、ふとそんな事を思う。
「助けていい?」と言われたのを思い出し、じんわりとシートに体を預けた。
怜の件もまだ解決には程遠いし、由宇の両親は結論を出しているからそんなもの必要ないと突っぱねたが…。
こんなにも頼れる人が気持ちを分かってくれると、心強いと思わざるを得ない。
この魔王は何を考えているかさっぱり分からないけれど、「正義」な事にはかわりなさそうだった。
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