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6一5

6一5 橘は無言で車を走らせている。 その間、由宇はスマホを手に唸っていた。 怜へ送る一言目がなかなか思い付かず、書いては消してを繰り返して時間ばかりが過ぎていく。 過去の楽しかった思い出を教えてよ!などとド直球でいけば、突然どうしたのとなるに決まっている。 遠回し過ぎてもいけないし、かと言って母親というフレーズを出せば「その話はしないで」と即座にシャットアウトされるだろうから、この一言目が相当重要だ。 「まだ送ってねーの? ひょろ長寝ちまうぞ」 「分かってるよー! でも何て送ったらいいか……」 「貸せ」 「あっ!? ちょっ…!!」 持っていたスマホを奪われた由宇は、運転中だろ、と言いかけてやめる。 ここがどこだか分からないが、暗がりでよく見えないけれどとても大きな家の前で車は停車していた。 奪われたスマホをどうするのかと思ったら、橘は何かを打ち込んで由宇にそれを返してきた。 てっきり、見本的な文章を打って「こんなんはどうよ」と見せてくれるのかと思ったら、すでに送信済みである。 「先生! 勝手に打って勝手に送るなよ!!」 「トロいお前が悪い」 「綿密に練ってただけだ! トロくない!」 ムムッとしながら送信された文章を読んでみると、それは何とも呆気ないものだった。 『まだ起きてる?』 「なーんだ………」 てっきり、唐突な文章で由宇をハラハラさせるかと思ったら、会話の糸口のさらに前の段階で一安心だ。 でも良かったかもしれない。 色々と考えを巡らせていたせいで、怜にとっては突然過ぎる文章を送ろうとしていた事にハタと気付いた。 スクロールしていつもの流れをサラサラっと読んだらしい橘が、何気ない文を送ってくれて話を広げやすくなったのは確かだ。 「俺が打ったんじゃ意味ねーだろ。 トロトロ考え込んでっから俺様が人肌脱いだわけよ」 「そこまで言うほどの文じゃ……」 「あぁ?」 「わー!! 怖いよ! その顔ほんとやめて!! 心臓が壊れる!」 「んだよ、心臓が壊れるって。 さすがの俺もそこまでのイケメンではねーよ」 「それは言ってない!」 「褒めてくれてアリガトウ」 「褒めてないって! しかもほら、まただよ。 言い慣れてないから片仮名に聞こえた」 「あぁ?」 「わぁっ、その顔やめてってばーー!!」 ちょっと軽口を叩くと橘に鬼のような顔をされるので、いちいちビクつかなければならず体力を消耗する。 イラついたからといって、そんなに頻繁に副総長を出してこないでもらいたい。 喚く寸前で車内で言い合っていると、早速スマホが通知を知らせてきた。 「あ、怜からだ。 …起きてるよ、どうしたの?って」 「ん。 そっからは由宇トロの出番だ」 「由宇トロって何だよ!」 「はいはい、黙って文捻り出せ。 俺ちょっと出てくっから。 十五分くらいで戻る」 え、と由宇が戸惑う前に、橘はエンジンを掛けたまま車から降りて行ってしまった。 橘の自宅も相当に大きなお屋敷だったが、この家もかなりのものだ。 重厚な門構えに吸い込まれるようにしてその家の中へと入って行ったのが見えて、ここは誰の家なのだろうと窓からジロジロ見た。 『由宇?』 マナーモードにしているスマホが振動する。 由宇の方から「起きてる?」と聞いておきながら返事をしなかったせいで、怜からの連投だ。 「そうだ、俺は怜を説得しなきゃ」 橘と言い合うとその事だけに意識が集中してしまって、すぐに目的から気持ちが逸れてしまう。 同じ過ちを繰り返すまいとしても、あの悪魔顔で唇の端を上げて笑われると正常な判断が出来なくなるのだ。 言っている事は意地悪でも、瞳の奥はそれほど無い気がして突っぱねる事も出来ない。 親とも違う、友達とも違う、何とも不思議な感覚にさせられる、学校の先生。 ヤンチャな親戚のお兄さんのようだと思えば、ふと漂わせてくるセクシーな大人の雰囲気。 すでに知らない世界をたくさん見せてくれて、橘のやる事成す事に意味があると知った今、「先生」という括りでは収まらなくなってきている。 橘が入って行った屋敷の外観を、ジッと窓から眺めた。 「あっ、怜だ! ……ごめん、怜…」 また数分物思いに耽ってしまっていた。 『おーい』と怜から可愛いスタンプが送られてきて、自分は今何を考えていたんだろうとハッとする。 怜の家族を救うためとはいえ、こうして橘と深く関われた事に喜びを感じ始めているのは紛れもなく…本心だった。 自分の事できっと精一杯だろう怜には、由宇の家庭の事情は掻い摘んでしか話していないから、いま由宇を本当の意味で分かってくれているのは橘だけである。 現に由宇の母親を見て、すべてを察してくれたらしい橘の軽口の向こうにある優しさが身に染みていた。 (先生のためにも、俺がしゃんとしなきゃ…!) 由宇はあれだけ考えあぐねていたはずの文章をすんなり書き終えて、送信した。 怜を笑顔にしてあげたい、その気持ちは今でも変わらない。 だが一つだけ目的がプラスされた。 橘が恩返しの意味を込めて怜の家族を救おうとしている手助けに、全力で協力してあげたい。 いつも、由宇の心を色んな意味で軽くしてくれる橘の力になりたい。 そんな風に思うようになっていた。

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