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7一9
7一9
食事は部屋まで運んでもらえるスタイルだというので、暗くなる前に少しだけ散歩をしようと橘に誘われて遊歩道を歩いていた。
いつでも車移動な橘にそんな意外な誘いをかけられれば頷くしか無く、かと言って付いてきたはいいが遊歩道とはいえ自然で出来た道のようでとても歩き難い。
たまに足を取られながら少しだけ距離を取って、スタスタと先を歩く橘の後ろを付いていく。
「あのさー、ストーカーぽいからやめてくんね? 隣歩けって」
「ふーすけ先生、無駄に足長いから歩幅大きいんだもん」
「あーそういう事な。 悪かった」
「え…?」
あえて余計な一言を付け加えたのに、橘はゆっくり由宇の隣へとやって来ると、前を向いたままではあったが「悪かった」と確かに言った。
また軽口を叩かれるのだろうと身構えていたのに、拍子抜けだ。
「なんだよ」
「先生が謝った」
「悪いと思えば謝るだろ。 俺を何だと思ってんの?」
「…………………」
(悪魔。 魔王。 …暴君)
「おい、またここん中で悪口言ったろ」
トン、と指先で胸元を押され、その指はじわ〜っと由宇の小鼻へと向かいそこで止まるとギュッと摘まれた。
「痛っ…! 痛いってば!」
「生意気な僕チャンだな。 どうせまた悪魔とか魔王とか思ってたんだろ」
「すごーい!! よく分かったね!!」
「は? マジで?」
「いえ! とんでもございません!」
「ペナルティ1な」
「なんでだよーーーっっ!!!」
「こんなとこで叫ぶなバカ。 ほんっとうるせーな」
何故悪魔だと思っただけでペナルティなんだと絶叫すると、眉間に皺を寄せた橘にギロリと睨まれた。
だがすぐさま「ん」と言葉を発さないまま右手を差し出され、首を傾げる。
「何?」
「手」
「………え、やだよ。 小さい子みたいじゃん。 恥ずかしいよ」
「うるせー。 いいから、手」
(なんだよもう……)
差し出された右手に、ソッと自身の左手を当てると強く握り締められた。
それは痛いと呟くほどでもなく、離れられないような絶妙な力加減だった。
(…恥ずかしい、んだけど……)
由宇が歩くのが遅いからと言って、これはあんまりにも過保護過ぎやしないか。
十も離れているのだから、橘から見れば由宇はまだまだ子どもなのだろう。
だからこうして、危ない山道を躓かないように手を引いてくれているのだ。
(子どもだと思うんならキ、キスなんてするなよ…!)
途端に、あの悩みに悩んだガムキスと放課後のキスを思い出してしまい頬が熱くなった。
意識を逸らそうとしても手を繋いでいる今、橘の事しか考えられない。
握られた手は大きくて、少しだけ冷たく、人肌が恋しい時に触れられるとヒヤッとするくらいだ。
(手が冷たい人って心は温かいって言うよね………顔面は別として)
横を歩く橘の横顔はいつだって無表情だ。
片方の唇の端だけを上げてニヤリとするアレは、笑顔ではない。
笑顔を見せてくれたのは、ガムキスのあと由宇を送りがてらの車内からだけ。
なんの意味があってあんなに優しい笑顔を見せたのか分からず、その笑顔のせいで由宇は混乱に次ぐ混乱を味わう羽目になっている。
こんなにも由宇を困惑させておいて、当の本人はあのキスに何の説明もしてくれないので「忘れろ」という意味なのかと問い質す事も出来ないでいた。
由宇ばかりが気にしていたら腹が立つし、何にも気にしてませんよとその話題を出さない事でプライドを保っている。
きっと女性には不自由していないのだろうから、あんなもの橘にとってはガムを噛むのと一緒なんだと思うようにした。
忘れてしまった方が、今の由宇の悩みの種が一つ消えるから好都合だ。
「明日ひょろ長ん家に行くから、母親のとこ行くように言ってみろ」
「……っえ!? 突然!?」
由宇の手を引いてからはかなり歩幅を合わせてくれている橘が、歩きながら唐突にそんな事を言うので思わず立ち止まった。
それにならって橘も止まらざるを得なく、ちょうど見晴らしの良い絶景ポイントで二人は向き合う形となる。
「行くか行かねーかは分かんねーけど、早い方がいい。 せっかく一週間も経たねーうちに説得出来たんだから、動くのも早ぇ方がいいだろ」
「そりゃあ……お母さんのためにも早い方がいいだろうけど……」
「山降りるんなら俺は別の用事済ませてくっから、行けるもんなら行け」
「い、行けって簡単に言うけどさぁ、仮にお母さんのとこにお見舞い行ったとしても、またここに戻ってくる嘘つかなきゃいけないじゃん」
怜にはもうこれ以上嘘はつきたくない。
橘をおばあちゃんに見立てたのはこれで二度目なのだ。
ただでさえ離れがたそうにしていた怜に、お見舞いに行ったから「じゃまた明日!」となんて言えないし、簡単には帰してもらえない気がする。
「そんくらいなんとでも言えよ。 っつーかひょろ長とこのままでいいと思ってんの? その話もしてこいよ。 それなら嘘つかなくて済む」
「……………………………」
「言ったろ? お前に少しでも気持ちがあんならそのままでもいーけど、無いなら長引かせるな。 お前もひょろ長も傷付きたくねぇなら、ダラダラしてねーで言わなきゃなんねー事ビシッと言えよ」
(そんなのふーすけ先生に言われなくても分かってるもん…! 分かってるけど、それができないから悩んでるんじゃん!!)
由宇の気持ちを分かっているのかいないのか、さも「簡単だろ」という風な発言に頭にきて、相当な念を込めて橘を睨み付けてやった。
(…………ムカつくけど、…先生の言う通りだよ。 悩めば悩むだけドツボにはまってる…)
やはり怜の家族の事よりも、優先すべきは怜とのお付き合いの件なのだと考えを改めるには充分ではあった。
無神経かつ堂々たる橘の言葉に、由宇の頭の中でようやく一つの線が見えて、目が覚めた。
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