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 橘は黙って由宇を見詰めていた。  何分も、何分も、何か言いたげに、…ずっと。  あまりに見詰めてくるので、由宇は何度も顔を背けようとしたのだが許してはくれなかった。  あれがどれだけ思い入れのあるものなのか、そして、言いたくても言えなかった、大好きな橘への感謝を告げられて良かったとホッとしていたのに。  沈黙が長過ぎる。  こうも表情が変わらないと、橘が今何を思っているのかがさっぱり分からない。 「ね、ねぇ先生、……?」  痺れを切らした由宇が声を上げると、瞬く間に橘が馬乗りなってきて激しく唇を奪われた。  由宇の頭を囲うようにして両肘を付き、荒々しく口腔内をまさぐる橘の下半身が硬くなっている。 「んむっっ…! むっ…ん、んっ…!」 「可愛い事言うなよ。 寝ようかっつーのに煽るバカがいるか」 「煽って…っ、ないっ…!」 「お前どんだけ俺の事好きなんだ」 「……っ…んっ……!」 「しょうがねぇから俺も全力で返してやるよ、お前への愛を」 「んん───っ?」 (先生の機嫌が最高に良いってのは分かった! 分かったからもう勘弁して〜〜っ)  目一杯口を開いて強く舌を絡ませられると、すぐに頭がボーッとしてくる。  愛してくれるのは心底嬉しいけれど、今日の分の愛はさっき受け取ったので、これ以上は受け取れない。  許容量オーバーだ。  グイ、と下半身を押し付けてくる橘から身を捩って逃げようにも、体格差があり過ぎて敵わなかった。 「せ、せんせ…っ、今日はもう…っ」 「分かってる」 「じゃ、あ…やめ、て…っ。 ちゅー、やめて…!」  動き回る舌が執拗に由宇の舌を追い回してくる。  逃げられない上に呼吸も苦しくなってきた。  たった一日でディープキスが上達するはずもないので、由宇はバシバシと橘の肩を叩いて「やめて」アピールをする。  これ以上何かが始まっても困ると、必死だった。  その甲斐あって長かったキスは終わりを見たが、ご機嫌だったはずの橘はとても不服そうに眉を顰めている。 「なんだよ、ポメパンチ連打しやがって」 「ポメパンチ〜〜っっ?」  見下ろしてくる橘とは鼻先が当たっていた。  まるで熱々なカップルのようなそれはかなり照れくさかったけれど、聞き捨てならないワードに由宇は思いっきり顔を歪ませる。 「ポメパンチってなんだよ! もう…、苦しい…っ」 「ちゅー、って言い方が可愛くてつい」 「はぁっ?」 「あれ返してほしいんだろ」 「……あ! 返してほしい! さっきも同じ事言った!」  熱烈なキスによって忘れてしまいかけたが、由宇の大切なものはまだ橘の手中にある。  温かい余韻が残る唇が気になりはしたものの、グリグリと押し付けてきていた下半身の密着が無くなった事には安堵した。  あのいやらしい行為は、今日はもう出来る気がしない。 (いやいや、今日と言わず明日も明後日もその先もずーっと勘弁してほしいけど!)  刺激の強過ぎた行為の後も涼しい顔の橘には、由宇の気持ちなどきっと分かってもらえない。 「……この怪我はもう完治したのか」 「ひゃっ……!」 「可愛い声出すな。 そういう意味で触ったんじゃねぇよ。 …これ、完治したのかって聞いてんだ」  体を浮かせた橘にするりと左の太ももを撫でられて、ドキッと心臓が跳ねたと同時に変な声が出た。  橘が撫でてきたそれは、交通事故による骨折にて出来た縫い跡だった。  そういえば橘からは一度も事故の件を詳しく尋ねられた事が無い。  初めてそれをまともに触れられて「完治したのか」とは、相変わらず橘の意図はまったく読めず困惑する。 「か、完治っていうか、…まぁ……今のところ問題ないとは言われてる、けど…」 「じゃあ来年は体育祭出ろよ」 「えっ? 待ってよ、体育祭出るのとあれ返してもらうの、どう関係あるんだよ!」 「大アリだ。 あれはお前の御守りなんだろ。 来年の体育祭出るって約束するなら返してやる」 (全然関係ないでしょ! 何言ってんの、先生っ)  藪から棒とはこの事だ。  由宇の大事な桜の花びらが、なぜ体育祭と結び付くのかさっぱり分からない。  大真面目に語る橘はまさしく名案だと言いたげに自信満々だけれど、由宇は気軽に頷けなかった。  まだ全力で走るのは怖い。  意識せずの咄嗟の際は難なく走れるが、腕と足をフルに動かしての徒競走はすでに三年ものブランクがあって、クラスメイト達にも付いていける気がしない。  あと一年で憂鬱な行事とおさらば出来ると思っていたのに、由宇の宝物を返してもらう交換条件にしては少し厳し過ぎやしないだろうか。  入学して二年間とも体育祭を避けてきた由宇の気持ちを、橘も知っているもんだとばかり思っていた。 「…………やだ、って言ったら?」 「弱虫、泣き虫、ビビリ、へっぴり腰、いじけ野郎、鈍足、……」 「やめてよ! 悪口のオンパレード!」 「体育祭出ないんなら、あれ返してやらねぇし今の毎日言うぞ」 「なっ、…なんでだよ〜…っ」 「来年は学生最後の体育祭だろ。 絶対に出た方がいい。 無理はしなくていいから」 「………学生、最後…?」  由宇の上から退いた橘は、ゴロンと横になって天井を見上げている。  唐突に、「ふーすけ先生」が降臨した。  悪魔や魔王の影に必ず居る教師の顔をした橘は、由宇をそっと抱き寄せた。

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