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 今年もあと数時間で終わろうという大晦日の夕方、由宇は橘に連れられて見知った街を歩いていた。  至って普通のカジュアルスタイルな由宇の隣には、黒のカッターシャツと黒のスラックス、黒いサングラスと黒光りした高そうな時計を平然と身に着けている橘がいて、その姿は見るからに……その筋の者である。  もしくは、黒ずくめでとてつもなく人相が悪いので、由宇が知らないだけで悪魔が人間に扮しているのかもしれない。  この悪魔かヤの付く者かという姿で由宇の自宅まで迎えに来た橘は、意外にもかなりご機嫌だったようで、「よっ」と右手を上げて短い挨拶をしてきた。  助手席のドアを開けると悪魔が居たので、由宇が車に乗るのを相当に躊躇したというのは極めて正しい反応だと思う。 「先生の私服ってそういうのしかないの?」 「何が」  しばらく橘の運転する様を見ていた由宇は、我慢できずに聞いてしまった。  だるそうに片手でハンドルを握る橘は、赤信号の度に恋人である由宇のほっぺたをつまんでいじめてくる。 「いや、だから……なんか怖そうなやつ」 「何が怖いんだよ」 「えーっと…何ていうか……人って外見も大事だよね」 「は?」 「似合ってたらいいと思うけど、誤解されるようなのはやめた方がいいよ。 また校長先生に目付けられるよ? それか、魔界から迎えの者が飛んでくるよ?」 「はぁ? だから何の事を言ってんだっての。 分かるように話せ」 「ま、先生は格好良いし校長先生にも屈しないからいっか」 「おい、自己完結やめてくんね?」  デパートの駐車場に車を停めながら、橘が何度も「は?」と訳が分かっていない間抜けな声を上げるので可笑しくなってきた。 (先生が白シャツ着てるのってスーツの時だけだしな。 黒ずくめ似合ってるからオッケーって事にしとこう)  いくら言ったところで、橘は周囲の目など絶対に気にしない。  ポリシーがあってそうしているわけではなく、彼の場合は選ぶものが単にそれだったというだけの事だろう。  あまり言い過ぎてイラつかれた橘に、公衆の面前で見境なくキスされてしまうかもしれないリスクを考えれば、由宇は自己完結がベストだと判断した。  一見完全なる魔界からの使者だが、格好良くてキマってるのには変わりない。 「で? 親にちゃんと言って来たんだろうな」 「あ、年末年始でしょ? 言ってきたよ」 「何も言われなかったか」 「うーん…母さんには微妙な顔されたけど」 「俺ん家に来るって言ったのか?」 「いや、怜の家って事にしといた。 先生の体面もあるし」 「…………そうか」  由宇の家族に気を遣う橘から、「年末年始は当然こっちに来るんだろうな」という脅しに似たメッセージが届いた時、由宇の頬は盛大に緩んだ。  先週末の特別個人授業の後もやはり泊まらせてはくれなかったので、冬休みに入ってしまった由宇は、橘と二週間以上も会えないと不貞腐れていたのである。  似合わない気なんか遣わなくてもいいと思うのだが、大人には色々と事情があるらしい。  それに、あまり駄々をこねると「これだからガキは…」と悪魔の微笑を浮かべられるので、由宇は黙って我慢していた。  しばらくは自学で、ほとんど頭に入らないであろう教科書を開いた矢先の橘からのメッセージに、一瞬で怜の名前を出す事を決めた。 「ねぇねぇ、どこ行くんだ? 何買うの?」  車を降りてデパートの中へと入り、エレベーターに乗って地下を目指す。  此処は、金持ちマダムしか受け付けませんというような御立派な百貨店なのだ。  存在は知っていても、高校生である由宇にはまったく馴染みがない。  橘が迷わず進む隣を、由宇はぴたりとくっついて歩いた。  歩幅云々の文句を言って以来、橘はいつも由宇に合わせてスローペースで歩んでくれる。 「買い物」 「なんの?」 「桃ゼリー」 「桃ゼリー? 誰の? 誰かに送るの?」 「お前うるせーよ。 黙って歩け」 「ひ、ひどい! 可愛い恋人に向かってよくそんなひどいこ……んぐっ」  何も説明しない橘が悪いのに、そんな言われようはあんまりだ。  息巻いた由宇の口を塞ぐ橘に、耳元で低く圧力をかけられた。 「ここめちゃくちゃ人が居るよな。 お前には見えねぇのか? こんだけ人間が往来してんのに、お前には見えねぇの? 目付いてる?」 「むむむっっ………!」 「俺はこの場でベロチューしても何とも思わねーけど、お前は違うだろ? なんでンな事すんだって怒んだろーが。 俺らの関係バレたくねぇならデカい声出すな。 分かったか」 「うむっ、うむっ!」  口元を押さえてくる手のひらの圧が強過ぎて、由宇は必死で頷き返した。  仮にも恋人であるはずの悪魔に、息の根を止められるかと思った。

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