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第2話
心地よい風が髪を撫で、全身を包み込む。今はもう見慣れた白い羽根も一緒にそよ風に揺られていた。いつもと同じ温かな戯れが、この日ばかりは悲しみに歪んでいる。
『うう~……やだ! ボクここにいるっ!』
『……律。そんなに泣くな』
よく知った掌が律の小さな頭を撫で回す。無骨だが優しいその仕草が、余計に嗚咽を誘った。
『――がいるわけないって。あぶないヤツにだまされてるんだって、お父さんがぁ……! うっ、うえぇん……っ!』
あぐらをかいた分厚い太ももに、泣きじゃくってぐしゃぐしゃになった顔を押しつける。
感情をコントロールする術をまだ知らない律は、涙とともに溢れる悔しさを吐き出すことしかできなかった。
『お前の父親だって意地悪で言ったのではない。お前が大切だから心配しておるのだ』
一層柔らかな手つきで律の髪を梳きながら、低い声が宥めるように耳をくすぐる。
『わしもお前が大切じゃ。だからわしのことで心を痛めるな』
『ううっ……でもっ!』
『いいから笑顔を見せろ』
『……う、うん』
体を起こし、言われた通り笑顔を作ったが、涙で潤んだ視界では優しい男の顔を見ることは叶わなかった。
『ずっといっしょにいてくれる?』
『……。ああ、ずっと見守っていてやる』
『やくそくだよ!』
一瞬の沈黙の意味など疑問にも思わず、大きな胸に思い切り飛び込んだ。
手に入れたはずのぬくもりが突然パンッと弾ける。衝撃に仰け反った瞬間、古びた木造の天井板が視界に入った。
「……へ?」
掠れた声が静寂を破る。手足の感覚がじわじわと戻るにつれ、数秒前の出来事は夢だったのだと悟った。
「夢、見てたんだ……?」
あの既視感は一体――。幼い自分と会話していた、あれは誰だ。顔は全く見えなかった。
夢の輪郭をもう一度なぞろうとした時――ズキン。突然波が来た。
『助けて……っ!』
覚えのある感覚に律は内心うんざりする。カエルを助けて終幕を迎えたものと信じていたのに、『声』の主は別の誰かだったらしい。
『助けて……もう嫌だ……っ!』
(え……?)
――ズキンズキン。波打つ痛みに紛れるSOSが少しばかり変化している。
「嫌って、なにが?」
――ズキズキズキ。返事はない。額が破れそうな痛みが襲う。律は頭を抱えながらフラフラと立ち上がった。。
「なにが嫌なの!? ……助けるって、どうすればいいのっ!?」
そんなに助けを求めるなら、その方法を教えて欲しい。これではどちらが救いを求めているのかわからない。痛みに耐え切れず階下へ向かうと、律はまた縁側から庭に飛び出した。
人ならざるモノのことは、あの化けガエルに聞けばなにかわかるかもしれない。
会える保証などどこにもないが、正体不明のカエルを求め、辺りを見回した。
「ねえピョン吉……っ! いないの!?」
できるだけ大きな声で呼びかける。一秒でも早くこの苦しみから解放されたかった。
『助けて! ……お願いっ!』
「……っ、こっちが助けてほし……っ! いるなら出てきてよ! ピョン吉――!!」
絶え間なく寄せては返す『声』の波間をぬってありったけの力で叫ぶと、ツツジの葉の間から緑の影が飛び出した。
「うるさいぞ~! なにか用でもあるのケロ!?」
「……っ! ピョン吉!」
まさか本当に会えるとは。全身の緊張が一気に解ける。ヘロヘロとその場に膝をつき、藁をもすがる気持ちで懇願した。
「誰かが助けてってうるさいんだ……っ! そのせいで、頭、イタ……っ! オバケの仕業じゃないの……!?」
「助けて? ……あやかしの仕業ケロ? ――某には聞こえないケロ」
「うそ! ……っ、どーにかなんない!? 頭痛くて……死にそっ!」
等間隔で訪れる鈍痛にクラクラして、律は地面に手をついた。乱れた前髪の隙間から、額の痣が顔を出す。
『助けて! ここから出して!!』
声とともに光が弾けた。カエルは律の痣を見て目を見開く。
「この痣は……っ!」
「イッ! たたた……っ、ピョ、ンきちっ!」
「しっかりするケロ! まさか、この痣が悪さをするはずは――!」
心配と戸惑いを滲ませつつ逡巡したカエルは、大きく息を吸い込み、空に向かって叫んだ。
「――様! ……郎坊様! 三郎坊様ぁーっ!!」
周囲の雑音が遠のく。
上空から羽根の羽ばたく音が聞こえ、律の意識はプツリと途切れてしまった。
――ゆらゆら。大きな腕に抱えられ、温かな振動が全身に伝わる。懐かしい匂い。
誰かがそっと律の前髪をかき分け、人差し指で額の痣をなぞると、あれだけ律を苦しめていた痛みがスゥーっと消えていった。
意識の表面に薄いヴェールがかかったまま、夢なのか現実なのか曖昧な世界で、律はどこまでも心地良い温もりに包まれていた。
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