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第5話

「No.23、じゃなかった、ジザベルくん! ご機嫌いかが〜?」 妙に明るい蛍光灯を反射してメガネの向こうの瞳は見えなかった。 座らせられた硬い椅子の脚に尻尾が巻きつき不機嫌そうだと思った。 「普通...です」 ジザベルは肩をすくめるように背中を丸めながら答えた。 目の前には自分の椅子よりはるかにグレードのいい椅子に偉そうに座る小太りのメガネの男。 白衣はやや黄ばんでシワシワだった。 この男はジザベルの担当の研究員だった。 被検体にはそれぞれ担当がつきそれぞれ別の研究をしている。 2〜3体の被験体を使う者もいるが、 担当こそ変わるもののジザベルはここに来た時からずっと1人で受けていた。 今のこの担当研究員は正直あまり好きではなかったが 今までいた中で好きな人間がいたかというとそうでもない。故にご機嫌もよくもなく悪くもない。 「そうかそうか!それはいかんなぁ〜。 楽しいことはないのかい?」 男は立ち上がりこちらを見もせずに不自然に高く気色の悪い声で話しかけながら狭い部屋の中をうろうろし始める。 「..特にないです」 部屋は担当研究員の専門研究室だった。 資料が大量に乗ったデスク。パソコンが埋もれている。 締め切られたままのカーテンは黄ばみ、様々な薬品の香りを溜め込んでいるようだ。 ジザベルはこの研究員に担当が変わってから毎日決まった時間に自分で足を運ぶことになった。 迎えに来たり常に連れ回している研究員もいるが このスタイルが正直一番ラクだった。 暫くゴソゴソしていた研究員はやがて銀色のトレーを持って戻ってきた。 デスクの資料を避けてトレーを置き、どすんと椅子に座った。 「さぁて腕を出してみようかー!」 ジザベルは何も言わずに左手のシャツの袖をめくった。 包帯の巻かれた手首を研究員の前に差し出す。 「そういえば可愛いウサギちゃんが入ってきたみたいだけどお話ししたかい?」 研究員はジザベルの手首に巻かれた包帯を外し始める。 可愛いウサギちゃん。ミナのことだろう。 「いえ、特には。興味ないので」 入れ替わりの激しいこの施設の動種達。 誰が入ろうが死のうがいちいち干渉しなくなった。 友達や仲間という概念がジザベル達の中にはなかった。 それでも言葉を交わせば情が生まれ、理不尽に消えていく命に対し何かを思わざるを得なくなる。 そんなことを嫌というほど繰り返した結果ジザベルは、ニロ以外とはなるべく関わらないようにしていた。 「女の子に興味がないとはいかんなぁ〜!年頃だろう!」 大口を開けて下品に笑いながら、研究員はトレーから注射器を一本取り出した。 なんの断りも入れずにそれをジザベルの腕に刺し、液体を注ぐ。 ジザベルはそれを見ないように、デスクに乱雑に置かれた紙の山を眺めた。 「さてさて今日から少しお薬を変えていくからねえ」 男はさらりとそう言い、さらに注射器を取り出す。 嫌です、と言えるわけもなくジザベルは無言でいた。 「....っ」 冷たい液体が血管に入ってくるのがわかる。 思わず右手を握りしめた。 ニロの温度はもうなかった。 「よし、よしよぉし」 男が独り言を呟きながら 針の跡だらけの腕に新しい包帯が巻きはじめ、ジザベルは安堵した。 「じゃ、あとはこれ飲んだら今日は終わりだよ」 銀色のトレーから水の入ったコップと小さな小皿を差し出され ジザベルはコップを受け取る。 小皿の上には色とりどりの錠剤が10粒ほど乗っていた。 なんの薬なのか皆目見当もつかないが、ジザベルの中の何かを壊していくものであるのは間違いなかった。 手のひらに錠剤を乗せ水で流し込む。 最初の頃は噎せていたが、慣れたものだ。 コップを突っ返し、尻尾がようやく椅子の脚から離れる。 「...戻ります」 たった数分のことなのに酷く疲れていた。 ふらふらと椅子から立ち上がり出口に向かおうと男に背を向ける。 「ジザベルくん、1つ質問してもいいかい?」 背中に声がぶつかり、ジザベルは面倒くささに舌打ちしそうになりながら振り向く、と 男の顔がすぐそこにあり、心臓がどきりと跳ね思わず一歩後ずさる。 「なん..ですか..?」 呼吸が止まりそうになりながら男の光るメガネを見上げる。 肌に浮いた脂汗が間近で見え思わず目をそらしたくなった。 「死ぬのは、怖いかい?」 「.......は?」 投げられた唐突な質問にジザベルの思考は停止した。 目を大きく見開き男を見上げる。 薄気味の悪い笑みが張り付いていた。 「ねえ、死ぬのは怖いと思うかい?」 男は同じ質問を繰り返し、ジザベルはなんと答えていいのか口を開きかける。 その瞬間、男の腕が伸びジザベルの首を掴んだ。 「....ッ.....!?」 予想だにしないことが起き恐怖で体が強張る。 男は容赦なく首を掴む手に力を込め ジザベルは反射的に男の腕を掴む。 「答えてよ、ねえ」 顔を近づけられ、やっとメガネの向こうの目が見えた。 口こそ歪んでいるものの 肉に埋まった細い目は微塵も笑ってはおらず、虫でも殺す時のようなそんな目だと思った。 「....か..っは....」 喉を絞められ呼吸が上手く出来なくなる。 恐怖で震える身体。 男はいつの間にか両腕でジザベルの首を掴んでいた。 「死ぬのは怖いかい?ジザベル」 男の声に凄みが増した。 頬に涙が伝うのがわかった。 体が冷たくなって行くような気さえした。 ジザベルは力なく男の腕を掴み、その目を懇願するように見つめた。 「.....ッ、こわ、い...で...す....」 掠れた声が溢れた。 ジザベルがゆっくり目を閉じて行こうとした瞬間、 ふっと首が楽になり身体が重力に負けてその場に崩れ落ちる。 「そっかー!だよねー!」 いつものような気色の悪い声が聞こえた。 咳き込みながら首を押さえ、滲んだ視界の中ジザベルは訳も分からず男を見上げた。 男はこちらに背を向け、鼻歌を歌いながらデスクに向かっていく。 乱れた呼吸を必死で整えながらその背中を見つめる。 今すぐ逃げ出したいが、身体が震えて言うことを聞かない。 ジザベルは床を這うように出口のドアへと向かい、ドアに寄りかかりながらなんとか立ち上がった。 「戻り、ます...」 呟きながら震える手でドアノブを回した。 「死にたくなったら、教えてね」 背を向けたまま男はそう言った。 声すら出せなかった。 いつもより何倍も遅くドアを開き、動けよ、と震える足を叱咤しながら研究室を後にしたのだった。

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