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第15話

夢から醒めるように記憶から引き戻されて、 暗い部屋にいた。 頬に涙が伝っていた。 呼吸をするのも忘れていたように、急に息苦しくなって小さく咳き込む。 こんな綺麗な記憶を持っているだなんて、 酷くおこがましい事のように感じた。 「ジザベル....」 不意に耳元で声が聞こえた。 さっきまで聞いていたのに、ひどく懐かしいようにも思えた。 ジザベルはゆっくりと顔を動かし正面へ顔を戻す。 「泣いてたの?」 ニロの指先が頬に触れた。 夢と現実の間の幻の時間。 ジザベルはそう思っていた。 すべての感覚が麻痺して靄がかかっているようだ。 「痛かったろうね」 酷く苦しそうな顔をして、ニロはジザベルの両手を取った。 左腕の包帯は外れ、注射の跡から血が滴っていた。 右手の爪先は血で濡れている。 ジザベルは呆然と正面を見つめていた。 そこには何も写っていないのかもしれなかった。 「ジザベル....ッ」 少年の腕を持ったまま、ニロは思わず俯き込み上げて来るものを抑えようとした。 しかし無駄だった。冷たい腕の温度を感じるたびに、涙がこぼれてくる。 「行かないで、ジザベル...!俺を置いて行かないで...っ」 ニロの涙がジザベルの腕に滴り落ちた。 傷口に水が浸みて、じんわりとした痛みになる。 現実と様々な夢の間の世界を写していた目。 瞬きの隙間に、ニロの耳が見えた。 「ニ、ロ.....、」 ジザベルの呟きにニロは顔を上げた。 暗く沈んだ瞳が確かにこちらを見ていた。 ニロはホッとして涙でぐちゃぐちゃの顔をさらにめちゃくちゃに歪ませた。 その顔がおかしくて、ジザベルはニロの頬に手を触れる。 「変な顔.....」 ジザベルはにこりともせずに呟いた。 「ジザベルの、せいじゃないか...」 頬に触れた彼の手を取りながらニロは力なく笑った。 「どうしたの、何かあったの?」 「.....いや」 少年は眼をそらすように首を傾ける。 「何でもない」 彼がどのような実験を受けているかは知らないが、 薬の副作用で暴れたりちぐはぐなことを言ったりする事はままあった。 今もそうなのかもしれないが、ニロはよくわからない不安感に苛まれる。 「本当に?」 「.....目、治ったの?」 ニロの言葉を遮るように、ジザベルは彼のクリーム色の瞳をじっと見つめた。 「あ、うん..こっちの視力も落ちちゃったけどね」 自分が不在の間何があったのか気になったが ニロは右目を覆いながら微笑んだ。 彼がいずれ話す気になるまでそっとしておいたほうがいいのだろう。 もしかしたら話すほどの事でもないのかもしれないし。 「よかった」 ジザベルはどこかホッとしたように瞬きをした。 よかった、その言葉はニロも思っていたことだったので、とても嬉しい気持ちになる。 彼の顔が見えなくなる所だったなんて今思うと恐ろしい。 「うん..よかった。戻ってこられて、本当に...」 だがもう済んだことだ。 ニロは彼の細い体を抱きしめ、その体温に顔を埋めた。 「ジザベル...遠くに行っちゃわないでね」 いつまでもずっとこうしていられればそれでいい。 世界が果てるその日まで。 あるいは、命が尽きてしまうその時まで。 「........うん」 耳元でジザベルが頷く。 ニロはゆっくりと顔を上げ、ジザベルに口付ける。 涙の味がした。 「...ん...、」 柔らかくて暖かくて幸せな温度。 ジザベルはこのまま溶けていきたいとそう思った。 ゆっくりと目を閉じようとした瞬間、 遠くの方で啜り泣く少女の声が聞こえた。 『........イタ、.....イ.......』 様々な記憶のフラッシュバックが始まる。 暗い部屋、白いベッド、笑い声、鎖、涙、血... 「.....ッッ!!!」 ジザベルは目を見開き、ニロの身体を押すように身体を離した。 少年はびっくりしたようにこちらを見る。 一瞬にして汗が吹き出て寒気と痛みが襲ってきた。 「ジザベル?どうしたの...?」 ニロが不安そうに声を震わせた。 ニロだったら、ジザベルは頭の片隅に残る冷静な部分で呟いた。 「........っんでもない..」 吐き捨てるように呟きながら、ジザベルはふらふらと立ち上がった。 床にへたり込んでこちらを見上げているニロを見下ろす。 「...僕に構わないで」 様々な感情が入り混じったぐちゃぐちゃの顔でニロはこちらを凝視していた。 それ以上に酷い顔をしていたに違いない。 彼さえいればよかったのに。 世界は残酷だ。 ジザベルは身体を引きずりながら部屋を出た。 叫びたかったが、ひどく疲れていて、歩くのがやっとだった。

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