2 / 15
02
僕はこの時期をテーマにした曲をなかなか好きになれない。
青空、花火、海、高校野球、祭り、青春…そして、夏。若さや青さを前面に押し出た爽やかな雰囲気に馴染めない。
世間は夏を待ちわびているかのように、浮き足立っている。これは僕の思い込みではない。その証拠に、どこへ行っても似たような曲が流れていた。
国民の耳に馴染んだ懐かしい曲や、最近流行りだした真新しい曲が短いサイクルでループしている。
そんな街の喧騒から離れられるのはここぐらいだろう。市内にある公立高校の中で、もっとも駅から離れた場所にある古い学校。
しかし、時代遅れな制服に身を包んだ学生だらけの校内にも、街中と似たような騒がしさが広まりつつあった。
「岐田は明日から何するの」
イヤフォンを外しながら八沢が僕に尋ねる。白い耳栓からは、今週のオリコンチャート一位を取った新曲が漏れていた。
定番のコード進行。甲高い声のボーカル。この曲を盛り上げている音。ああ、ギターか。
僕はその音から遠のくために、わざと大きな声を出した。自分の声が耳を塞いでくれる。
「別に何もしない。思う存分ダラける」
「それは楽しそうだ。オレは毎日部活だから無理だなあ」
八沢の、のんびりとした声が人の疎らな駐輪場に響く。
遅刻するかしないかの瀬戸際で、明日から始まる夏休みの予定について話したがるのは、八沢しかいないだろう。
彼は今朝も寝坊したのか、後頭部の髪が跳ねていた。寝癖を直す暇も無いくらい急いでここまで来たのに、何故今になってのんびりしてしまうのか、僕には分からない。
「…八沢、昨日は本当にありがと。来てくれて嬉しかった」
イヤフォンを丁寧に束ねている彼に、小声で言った。蝉の鳴き声にかき消されてしまえばいいと思いながら。照れ臭かった。
「え?お礼を言うのはこっちだよ。音楽聴いて、あんなに感動したのは岐田の曲が初めてだったんだ。昨日もらったCDを何回も聴いているよ」
「やめろよ、恥ずかしいだろ」
僕は思わず八沢の腕を軽く小突いた。引き締まった筋肉が程よくついた彼の腕は、硬い。
真っ正面から褒められると、どう反応してよいか分からなくなる。謙遜すればいいのか、自信を持てばいいのか。きっと正解なんてないだろうが、考え込んでしまうのが僕の性だ。
「……まあ、ありがとう」
この反応が正しいかどうか知らないが、僕はこれが精一杯だった。
♢♢♢
全校集会が終わった直後の体育館は、汗と制汗剤が混じった、妙な臭いで満たされていた。
こんな暑い日に、大人数の生徒をこんな所に閉じ込めるなんて何事だ、なんて暴動が起きなかったのが不思議なほど今日の集会は長引いた。
この学校は部活動が盛んではないので、表彰式に時間を割かない。集会は生徒への注意喚起が主な目的だ。
僕が通っている高校は、10代特有の有り余ったエネルギーを部活にぶつけるような、健全な学生をほとんど見かけない。多くの生徒は行き所のない欲求や体力を、悪さに使う。夏休みなんて開放的な時期になったら、そんな奴はさらに増えるだろう。教師の気苦労がよく伝わってくるような集会だったのだ。
「やっと終わったな。もうケツがべちょべちょだよ」
八沢がハンカチで汗をぬぐいながら言った。流石の八沢も、今回の集会には辟易したようだ。彼は校内で数少ない、健全な生徒の一人だった。
「そういや、お前のチーム、また表彰されてた。凄いな。確か県大会出場するんだっけ」
「そうそう。だから夏休みも部活漬けだ」
八沢は手首のリストバンドを眺めた。それには黒い糸で高校名とチーム名が刺繍されている。
「八沢がバスケ始めて何年だっけ」「6年かな」
そんな会話をしながら廊下を歩いていると、突然怒鳴り声が響いた。周囲の騒めきが一瞬で失せる。僕は思わずビクリと肩をすくませた。無関係な人間も驚かせるから、怒声は嫌いだ。
その声の主は、生徒指導の先生だった。僕と八沢は人混みを覗き込むようにして、声の発生源の方を見た。
「おい、瑞木!何度言ったら分かるんだ。いい加減にそのふざけた服装をやめろ」
教師は眉毛と目を釣り上げて、怒鳴っていた。唾でも飛ばしそうな勢いで口を開いている。彼には暴力団員のような迫力があった。
しかし、怒られている生徒はその声を無視して歩き続けていた。そして人混みに紛れて、どこかへ行ってしまった。
金に近い茶髪に、片方の耳には重たそうなピアス。そして反抗的な目線。不良らしい要素を取り込んだ彼の格好は、教師に注意されても仕方がない。
「まったくアイツは…」と、教師はくたびれた表情でため息をついた。
暴力団員から中年男性に早変わりした彼と、僕はバッチリと目が合ってしまった。
露骨に視線を逸らす訳にはいかないので、軽く会釈をする。そんな様子を見た彼は、表情を緩めた。
「君は二年生か?…さっきのアイツとは違って君は真面目だなあ。感心感心」
満足そうに頷いたかと思うと、踵を返して職員室に向かった。
僕は自分の横に掛けられた、大きな姿見に目を向けた。当たり前だが、そこには自分が映っている。
耳にかかるくらいまで伸ばした黒い髪に、髪と同じ色の眼鏡。そしてあまり崩していない制服。さっきの不良生徒とは正反対だった。
「岐田が真面目だってさ。面白い先生だね」
背後にいた八沢が笑いながら言う。"面白い"とは独特な感想だな、と僕は思った。
ともだちにシェアしよう!