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ピントのずれた写真のようにぼやけた視界で、彼の姿を捉えた。
彼はいつもと同じ様子で、僕の方を見ていた。彼はああして毎日のように自動販売機の横に設置されたベンチに座っている。
メガネ無しでは生活できないような僕の視力で何故、彼の存在に気付けたのか自分でもよく分かっていない。いつの間にか彼はいた。僕が演奏に飽きて立ち上がるまで、ただ座ってこちらを見ているのだ。時々発生する人だかりに混じることもせずに、じっと。
人によっては不気味に感じるかもしれないが、僕の場合は違った。彼の存在は心強かった。
存在価値を失いかけた歌を歌っても、彼だけは居座って、最後まで聴いてくれていたのだ。それがただ嬉しかった。
じっと彼を見つめた。霞んだ視界では、彼が今どんな表情をしているのかは分からなかった。それでも目を逸らせなかった。今、眼球を動かすと、瞳を覆う涙が溢れてしまいそうだったからだ。
僕は再び歌った。彼が聴いてくれているかどうか分からないが、弾いた。突然聴き覚えのない歌を歌い始めた僕を、チラと見る通行人が稀にいたが、誰も足を止めなかった。
─誰かに認められるためにやっているんじゃない。自分のためにやっているんだ。
以前、バンドのメンバーに対して僕が言ったセリフを思い出した。評価を得られなくても、自分が満足できればそれでいいじゃないか、とも続けたような気がする。
あの言葉は嘘ではない。心の底から出た本音だった。その信条があったからこそ、ずっとギターを手放さなかった。
しかし、本当にそうだったのだろうかと最近になって疑問が湧く。
こうしてわざわざ隣町の人通りが多い駅に来て、毎日ギターをかき鳴らしている僕は、その信条を貫けているのか。あの発言は、胸から湧き出る自己顕示欲から目を逸らしていただけなのだろうか。
鼻の奥がツンとする。喉の奥の粘度が高くなる。声がうまく出なくなっても、歌うのをやめられなかった。今辞めてしまったら、二度と弾けなくなるような気がしたのだ。
解散してしまったバンドを思い浮かべる。今の自分は、彼らと差がなかった。
異性にモテるためにボーカルを志願した山科君。
あわよくばチヤホヤされるためにドラムを始めた中村さん。
一人だけ本気で武道館を目指していた田中。
みんな自分の欲望に素直で、正直で、真っ直ぐだった。僕だけ「自分は違う」と、周りを捻くれた目線で見下していた。
今になってやっと自分の素直な欲に気付けた。
全部失ってから、だ。
鼻をすすった。いつの間にか、泣いていた。
泣きながらギターを弾く僕に寄り付く人間はいなかった。駅前広場には沢山の人がいるはずなのに、僕だけが独りのように感じられた。
目の前に彼が立っていることになかなか気付けなかった。涙に濡れた目を拭い終わり、顔を上げると、彼がいたのだ。
座っているところしか見たことがなかったので、少し驚いた。彼は意外と背が高かったのだ。図書室の本棚のようだった。
その本棚が、何かを僕に差し出していた。メガネをかけていない僕は、それが何か受け取るまで分からなかった。
それはポケットティッシュだった。最近オープンした居酒屋の広告が挟んである。
「あの、これって」
お礼を言おうと思って再び顔を上げたが、もう彼はどこにもいなかった。
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