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貰ったティッシュの感触を指先で確かめる。ポケットに入れたせいで少し折れ曲がっていた。 僕はあの後、すぐに広場から離れた。泣きながら演奏なんて出来ないと判断したのだ。 人がまばらな電車に揺られながら、考える。彼はどんな人なんだろう、と。周囲の人間にあがり症であることを隠すために、メガネを外していた自分を恨んだ。見栄っ張りな僕がしたミスだ。彼にしっかりとお礼が言えないまま、帰路についた自分が情け無い。 気のせいだろうか。いつもより背中のギターケースが重く感じた。 ♢♢♢ 昨夜の小さな事件は僕の日常に影響を及ぼさない。むしろ、及ぼしてたまるかという気持ちが強かった。 昨日のことはもう忘れよう。今後は駅前広場に寄り付くのをやめることにした。 いつものように図書室の扉を開ける。いつものように本棚の前に立つ。いつものように、あの不良生徒は読書をしている。 何も変わらない、普段通りの風景。これを三十回程度繰り返せば僕の夏休みは終わるのだ。そんな安心感があった。 部屋の奥にある本棚に向かう際、彼の近くを通りかかった。すると彼は顔を上げて、僕をじっと見つめた。背中に痛いほどの視線が刺さるのが分かる。彼はその行為を隠す気は全く無いようだ。何か怨みを買うようなことをした覚えはない。僕はため息を押し殺して、棚の裏に身を隠した。 「なんなんだよ」と、誰にも聞こえないような小声で呟いた。メガネをかけた状態で、誰かの視線を感じることは苦手だ。自分の挙動に不必要な気配りをして、ぎこちなるのが嫌だった。 図書室の奥は明るかった。いつも閉め切られたカーテンは珍しく開いており、日が差し込んでいる。僕は朝日に背を向け、本棚を眺めた。夕方まで時間を潰せそうな本を探すために。 しかしその探索は一瞬で終わった。 僕に覆いかぶさるような大きさの人影が、本棚に映された。その影は僕にピッタリと重なっている。 真後ろに誰かいる。一瞬のうちに頭で理解できたのに、体が動かない。 「なあ」 低い声だった。急に耳元で囁かれる。 「振り向いてよ」 聴き覚えのある声だった。僕の頭上から降ってくる。 背中に目があればよかったのに。そうすれば、振り向く必要なんてなかった。身体中の筋肉が強張る。手にじっとりと汗が滲んだ。 僕がこうして固まっている間、後ろにいる奴は何も話さなかった。沈黙が痛い。何も知らない呑気な蝉たちの鳴き声だけが響いている。 もし僕がこのまま動かなかったら、一生この状態じゃないだろうか。そんな馬鹿で不吉な妄想から逃れるように、僕は意を決して振り向いた。 目の前に、学校指定の白い開襟シャツがあった。顔を確認するために、目だけを動かして上を見る。僕の真後ろに張り付いていたのは、あの不良生徒だった。毎日顔を合わせていた彼を、こんな間近で見たのは今日が初めてだった。彼は黙って僕を見下ろしている。僕よりも背が高いせいで、威圧しているように見える。 彼の背丈は、僕の後ろにある本棚と、そう変わらないだろう。そんなことを考えていた。 静かな図書室で、二人とも黙って見つめ合う。そんなおかしな状況を先に壊したのは目の前の彼だった。 「こ、こんにちは。初めまして…は変か。こんな時は何て言えばいいんだ?」 一人でブツブツ呟きながら、手に持っていた本を急に読み始めた。僕は思わず口をあんぐりと開けてしまった。何なんだ、こいつは。 眉をひそめながらページをめくる彼から目を離し、その本に注目する。表紙には『これなら簡単!友達の作り方』と書いてあった。 「あ、これでいいか。 えっと、こんにちは!俺はあなたと仲良くなりたいです。…なので、名前を教えてください……。これならどうだ?変じゃないだろ」 「…変だと思うけど。なんか不自然じゃないか?」 厳つい見た目の生徒に、つい本音を吐いてしまった。彼はそんな僕の言葉を気にする様子はなく、「やっぱ、そうだよな」と小さく呟いた。 そして顔を真っ赤に染めた。頰に触るととても熱そうだ。慌てている彼の様子を見ていると、僕は何だか気の毒に思えてしまったので、要望に応えることにした。 「僕の名前は岐田だ。アンタの名前…を聞く前に、この体勢をやめてもいいか?動きにくいんだ」 彼はドタバタとした少し大袈裟な動作で、僕から少し離れた。やっと本棚から背中を離せた。 「俺は瑞木。あのさ、前から気になってたんだけど……あなたって、俺のこと避けてる?」 「は?何で僕がアンタを」 「その様子だと、やっぱりそんなわけ無いよな。昨日あんなことがあっても、岐田さんの様子が全く変わらなかったから、少し驚いたんだ。聞いただけだから、気にすんな」 「昨日って…」 何の事だ、と言いかけて口をつぐんだ。目の前の、本棚くらいの背丈がありそうな瑞木をどこかで見たことがあるような気がしたからだ。学校以外の、身近な場所で。

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