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マンションのエントランスまで見送ると瑞木が言った。僕は一人で帰れると断ったが、彼は聞かなかった。エレベーターに乗っている間、瑞木は一言も話さなかった。さっきまであんなにお喋りだったのに。
僕から話すような話題が思いつかないので、暇をつぶすためにエレベーターのパネルを見つめた。一定のリズムで光る場所が変わる。だんだんと地上に近づいていく。
「岐田さん」「どうした」「…ごめん、何でもない」
やっと口を開いたと思えばこの調子だ。なんだか僕まで緊張してしまう。
扉が開いた。エントランスに着いたのだ。エレベーターから離れ、外へ向かおうとする。しかし、後ろから瑞木の足音が聞こえない。不思議に思い、振り返ると、彼はまだエスカレーター内に留まっていた。
「降りないのか?」「あ、うん。降りる」
瑞木の様子は明らかにおかしかった。朝の調子に逆戻りしている。今にも泣き出しそうな顔で、俯いている。
「瑞木、大丈夫か?少しあそこで休もう」
僕は設置されたソファを指差した。しかし彼は首を横に振る。そして堰を切ったように、涙を流し始めた。僕は思わず目を見開いてしまう。
おい、と声をかける僕の声なんて届いていないような様子で、呟いた。
「やっぱり俺、これ以上は無理だ。隠せない」
「何を」
「流石に気付いてるよね?」
「……だから何を」
「俺、岐田さんのことが好き」
時間が止まったと錯覚してしまうほど、辺りが静まり返った。車の音も、風の音も、蝉の鳴き声も聞こえない。ただ、瑞木の嗚咽がかすかに聞こえるだけ。
「ごめんね、岐田さん。驚いたでしょ。本当は言うつもりなんてなかったんだ。今の関係を壊したくなかったから」
「瑞木、落ち着けよ」
「確かに、今の俺は冷静じゃない。でもこれは本当なんだ。隠し通すのがキツくなるくらい、本気なんだ。…ごめん、もう俺と会わない方がいいと思う」
「何でだよ…意味がわからねえ」
「前みたいに、話せないと思うし、それに、何しでかすか分からないから。自分のことが理解できない」
瑞木はもう一度、ごめんと言って、エレベーターの方へ歩いて行った。呆然と立ち尽くした僕を置いて。まだ返事を言えてない僕を。
「ふざけんなよ……」
その場に座り込んだ。止めどなく涙が溢れる。床のタイルに、パタパタと音を立てて落ちる。
「僕だって……」
最初は、最低な夏休みになると思っていた。家と学校を往復するだけのつまらない日々に。
唯一の楽しみだったギターにも触れられず、そんな自分が嫌になる日常が続くと思っていた。
それを、変えてくれたのは彼だ。彼と話していると辛いことを忘れられた。そして、もう一度破れてしまった夢に向かい合おうという気になれた。僕は彼に救われていたのだ。そして、そんな彼のことをかけがえのない、大切な存在だと気付けた。
しかし遅かった。彼は僕から離れてしまった。鈍感な僕から。お互い同じような気持ちを持っていたのに、僕はそれをなかなか理解できなかった。
─失ってから初めて気付けた 大切なものだって
数年前に書いたポエムがここで自分に刺さるとは。僕は泣きながら、笑った。そうでもしないと、立ち上がってここから立ち去れなかったからだ。
エントランスから出て、家に向かった。もう図書室に行く気になれなかった。勇気を振り絞って出向いた図書室に、誰もいなかったら二度と立ち直れないような気がした。
もう夏休みは終わる。何事も流れに沿って終わりを迎えるのだ。僕たちの関係も、そうだ。気づかないうちに、終わりへ向かっていた。
数日後、僕はあのピアスを耳につけた。鏡の前で何度も角度を変えながら、耳元を凝視した。金色は意外と目立つ。すぐに教師や親にバレそうだ。しかし、そんなことは、今の僕にはどうでもいいことのように思えた。
初めてつけたピアスを褒めてくれる人も、一緒に怒られようと約束した人も、いないのだ。そっちの問題の方が重要だ。もういない。そう考えていると、鏡に映る自分の姿が滲んだ。
今日で夏休みが終わる。明日になれば何もかも終わって仕舞えばいいのにと、本気で願った。
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