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久しぶり会う八沢の肌は小麦色に焼けていた。しかし眩しい笑顔に変わりはない。僕に会うなり彼は、夏休み中、いかに退屈だったかを語った。彼に言わせれば、この一ヶ月間は八割部活、二割自由時間だったそうだ。
「岐田はどうだった?」
「別に、普通だったよ」
そんな会話をしていると、チャイムが鳴った。夏休みが終わった直後だというのに、通常授業だそうだ。この高校が真面目になりたがっていることが痛いほど伝わる。しかし、律儀に出席している生徒は一割ほどしかいない。空席が目立つ、ガランとした教室。こんなことならサボればよかった。
僕の席は窓際列の一番後ろ。授業を放棄してぼんやりするのにはうってつけの場所だ。
窓の外を見る。眼下に広がるグラウンドでは、体育の授業が行われていた。こんなに暑い日に陸上競技か。見知った生徒がいるとは思えなかったが、見続けた。水槽を眺めるように。
「あっ」
間抜けな声を慌てて抑える。目だけを動かして教室を見回す。幸い周りの人間は気付かなかったようだ。真剣に教師の話を聞いている者か、居眠りしている者しか、ここにはいない。
その様子を確認した後、もう一度僕は外を見た。
茶色の地面に、白い直線が引かれている。そしてその線に沿うように走る生徒たち。その中に、彼がいた。瑞木が駆けていた。
彼の姿をだいぶ久しぶりに見たような気分になった。あれから数日しか経っていないのに。
瑞木はとても足が速かった。同時に走り始めた生徒を抜き、あっという間にゴールしている。
飛び立つ鳥、獲物を狙う豹、平原を駆ける馬、身を貫くような疾風…。ありきたりな表現をいくつか思い浮かべる。どれもしっくりこない。瑞木は瑞木だ。何にも例えられない。
あれだけ上手く走れるなら、どこまでも遠くへ行けそうだ。僕の手を引いて、連れて行って欲しい。
そんな下らない妄想をしていると、突然名前を呼ばれた。心臓が不自然に跳ねる。頬杖をやめて、恐る恐る前を見る。教師が僕をじっと見ていた。
「岐田が授業を聞いてないなんて珍しいな」
「すみません。集中します」
「以後気をつけるように」
説教はあっさりと終わる。普段の自分に感謝した。
♢♢♢
「岐田が先生に怒られるなんてなあ」
「たまたまだ」
授業後、僕と八沢は廊下を歩いていた。夏休み前に借りた本を、図書室に返すために。読書感想文のためだけに本を買うのを勿体無いと判断してしまうほど、学生は金がない。
実を言うと、借りた本を八沢に押し付けて、帰りたかった。しかし大人しく、図書室に向かってている。そんな不躾なことをするほど、僕は我儘になれなかった。
廊下にある窓は全て開けられていた。風通しを最大限良くしても、暑いものは暑い。
「なんか悩んでるだろ?いつもよりも元気ないし。無理して話さなくてもいいけど」
「どうしてそう思うんだ」
「岐田の雰囲気が全然違うから。変わったよ」
隠せていると思っていたのは、自分だけだったようだ。友人に、僕の変化を悟られている。そう思うと、隠すことが下らないことに感じられた。
「ああ、僕は変わったよ。ものすごく」
「まあ夏休みなんて長いからね。誰だって…」
「好きな人ができたんだ」
「えっ」
「それに気付いたと同時に失恋したけど」
八沢が足を止めた。驚いた表情のまま、固まってしまっている。その様子を見て、言うんじゃなかったと少し後悔した。大ごとにするつもりは微塵もないのだ。
「別に大したことじゃないから。もう終わったことだし」
「それ、本当?」
「ホントだよ。もう吹っ切れた」
「嘘だね」
「どうして分かるんだ」
「だって」
そう言葉を切って、八沢は僕を指差した。
「すごく辛そうな顔してる。全然諦めてないんだろ」
胸の内をズバリと当てられて、僕の顔は熱くなる。最近の僕は、相手に自分の隠し事を、曝け出してばかりだ。
「その相手が大切な人だって、失ってから気付けたんじゃないか?いつもクールな岐田だけど、たまには熱くなっちゃってもいいんじゃない」
「熱くなるって…どうやって」
「会いに行けばいいんだよ。その人がいそうな場所にとりあえず行ってから色々考えたらどうだ?」
瑞木がいそうな場所。今も彼は図書室にいるのだろうか。もし会えなかったら…。
俯く僕の肩を八沢が優しく叩く。
「ほらっ、考えないで!足が止まるだろ」
「八沢…」
「どうした?」
「ありがとう。少しだけ、気楽に考えられた。僕、行ってくる」
彼の顔を見た。目と目が合う。涼しい風が僕らの髪を揺らす。僕は彼の持っていた本を取った。
「代わりに返してくる。このお礼はまた改めてするから」
「おー、そっか。頑張れよ」
手を振り、僕を見送る八沢に背を向けて走り出した。僕は恵まれている。親友のお陰で、こうして走り出せたのだ。何度も何度も心の中で、感謝の言葉を繰り返した。
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