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【連休3日目・昼】
酒で思考力が低下していたせいか何なのか、俺の旅の期間と行きたい場所を話したら、実家のある熊本城までずっと同行しようという話に落ち着いた。
しかも、九州の観光地は道案内とガイドも引き受けてくれるという。
未知の場所だから俺としては嬉しいばっかりだけど、甘えて良いものだろうか。
そんなわけで、男二人並んで長い長い階段をゆっくりおしゃべりしながら登っていた。
場所は金刀比羅宮。全国金比羅さんの総本山だ。
同じ居酒屋にいたので薄々予想はしていたものの、同じホテルで同じ階の部屋だった俺たちは、朝食でも顔を合わせて一緒のテーブルで朝食を取り、8時過ぎには揃って宿を出発した。
流石に昨日まで見ず知らずだった相手にハンドルを任せられずにドライバーはこちらに専任で任せてもらったが、良く話を聞けばマイカーのない美作さんは当然自動車保険も入っていないペーパードライバーだそうで、長距離ドライブが趣味だと公言した俺に全面的に運転を委ねてくれた。
で、最初の目的地である神社近くの民間駐車場に車を停めた直後の一言がこちら。
「車ってこんなスムーズに動けるものなんだな」
誉められれば嬉しいもんだ。
ところで、神社も寺も観光先に選びはするものの、そんなに信心深いわけでもない俺は神社と寺の区別をつけるくらいが精々だが、美作さんは旅行荷物に御朱印帳と数珠は常備するタイプらしい。
最近の御朱印ガールやパワースポットを持て囃す風潮には物申したいらしくて色々話してくれる。
「ってかな。御朱印ガールに物申すような偏った頭の固い御仁の方に俺は一言苦言を呈したいわけさ。御朱印って、今や来訪記録サインでしかないんだよ。スタンプ集めして何が悪い、ってな。御朱印を有り難がるとか意味わかんねぇって話よ」
なんでも、そもそも御朱印の起源は霊場巡礼から始まっていて、納経の受領証として発行されていたものらしい。
納経って写経でもするのかと聞いたら、一々そんなもの受け付けられるほどお寺も暇じゃないよ、と笑われた。
本来納めるべき経典は法華経で、文字数「六万九千三八四 」もあるそうだ。そりゃ、ちょっと行って書いてくるって文字数じゃないな。
じゃあどうするかというと、本来は書いておいた写経を筒に納めて持っていっていたらしい。けど、それも荷物多くて大変なので、代わりに納経札というものを持っていってそれを写経の代わりに納めたそうだ。
その納めた写経を受領した証しとして書状を受け取ったのが御朱印のはじまり。
そのうちに、受領証も予め帳面をこちらから持っていってそこに書いてもらう形式に替わった。まぁ、せっかく巡礼するならその順番に最初から纏まってた方が後で記念にもなるもんね。日本人は昔から簡略化が得意だ。
その帳面こそが、御朱印帳の起源だ。当時は寺も神社も区別なんてほとんど無かったから神社も当然納経を受け取っていて、やがて、他の巡礼霊場にもその仕組みが広がっていき、現代まで御朱印文化が残った、と。
つまり、納経は巡礼修行の一貫であって御朱印はただの領収書、集めた帳面は旅の思い出、日付と寺社名が入るのは領収書なんだから当たり前で、朱のスタンプやご本尊の尊名を記入してくれるのはご本尊をアピールする各寺社のご厚意。集めた冊子はスタンプ帳で間違ってない、らしい。
現代では神社仏閣も観光名所で、交通インフラの発達で巡礼に修行の意味も無くなったから巡礼文化も形が崩れたわけだし、お参りの記念に御朱印を貰って来ても何ら問題ないだろう。
それがダメならそもそも寺社自身が納経(札含む)と引き換えでない御朱印を発行しなければ良い話だ。
そんな風に美作さんは結論を出す。
御朱印ガールに憤るおっさんとか実際に会ったことあるけど、そうは言ってもあそこで普通に金出せば書いてくれてるしねぇ、とは思ってたんだ。
なんか、納得してしまった。
そんな話をしているうちに、絢爛豪華なお社に到着していた。
御本宮までまだもう少しあるらしいけど、とりあえず休憩がてら写真タイムだ。
カメラを構えていたら、撮影機材はスマホしかないらしい美作さんに何故か感心された。
「小さいけど随分本格的なカメラなんだね。瀧本くん、意外と多趣味?」
「俺の趣味は全部ドライブから派生してますよ。ドライブの目的地になるんで観光地覚えるでしょ。良い景色見るから写真撮りたくなるし、簡単なデジカメじゃ感度悪いし白飛びするしで良いカメラ欲しくなるじゃないですか。音楽もドライブのお供程度だし、飯も軽く食えるB級グルメがメインですし」
「なるほど」
「ちなみに、サイト構築の自学自習がてら学生時代に自分のホムペ作ってたのを再利用して、撮り貯めた写真を著作権フリーの写真素材として公開配布してますよ」
「え、凄い。見たい」
「じゃあ、夜にでも」
素人写真だから金取る気もないし、せっかく撮ったから自慢したいし、旅に出ない週末の暇つぶしになるし。という自画自讃サイトだけど。
縁あって旅の道連れしてる人に自慢しても罰は当たらないと思う。
延々と階段を登ってきただけあって、見える景色は遥か遠い。
山の苦労の醍醐味だよな、こういう景色。
山観光ついでに展望台からの写真付けて呟くと、ネット友だちからは航空写真だってからかわれるんだけど。
1日にあちこち回る俺は移動時間がみんなの感覚より早いらしくて、空でも飛んでるんじゃないかってのが定番のからかい文句で。航空写真発言もその絡み。
実際、のんびり走ってるんだけどな。法定速度しか出さねぇよ、俺は。
一通り写真を撮ったら、待っていてくれた美作さんにお礼を言って先に進む。
御本宮までは急階段で、お喋りしている余裕も無くなった。
階段を登りきると御本宮。その先にさらに階段が続いて、奥宮があるそうだけど。
「ここでまだ階段は半分過ぎたくらいみたいだね。奥宮行く?」
「昼過ぎまでに祖谷に着きたいですけど、美作さん行きたいなら付き合いますよ」
「いやぁ、あと1時間も階段上っちゃったら今日は他に動きたく無くなっちゃうよ。瀧本くんには運転してもらわなきゃだしね。次行こう」
そんなわけで、御本宮でお参りを済ませ、俺はカメラ撮影、美作さんは御朱印を貰いに並びに行って、来た道を引き返すことになった。
帰りに食った加美代飴は素朴ながら絶品だった。
金刀比羅宮の参道で買ったお土産の五色餅を食いながら車を山に向かって走らせて行く。
餅は二人で分け合いなのだが。
「えーと、覆ってる餅が五色だね。普通のアンコ餅と、ヨモギ、タカキビ、アワ、黒豆だって」
「俺実は豆苦手なんですよ。美作さん食えたらどうぞ」
「黒豆旨いのに。じゃあ、貰っちゃうね。代わりに好きなのどれか言って」
「なら、ヨモギください」
こんな感じで相談しながらの分け合いだった。
運転しながらでは数も食えなくて、俺が2つ、美作さんが3つの配分。
そもそも美作さんの奢りなんだから取り分が多くて当然だと思うんだけど、支払いをしてくれた時は運転手の労力分と言い、数が多いのは後で別のものご馳走すると言い。
気にする性格なのかな。
さらに、流石に旅慣れている人だから、祖谷に着いてからは実にスムーズかつ積極的に先導してくれて、俺はただ楽しむのに夢中になった。
かずら橋ではへっぴり腰の俺を笑いながらもスマートに手助けしてくれたし、川下り中に写真に夢中になっていた俺が船から投げ出されそうになっていても自然に身体を支えてくれるし。
何なのこの紳士。うっかりキュンとしちゃうじゃないか。
1日一緒に過ごしてみての、感想。
憧れる域を越えてる。俺にこの気遣いは無理だ。ここまで他人に気が回らない。
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