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【連休5日目・昼】

 こっちに駐車しろと係員に呼ばれた通りに車を停めて、階段を上がって客室に入る。  初めてなら外で少し船旅を楽しんだら良いよ、と美作さんに誘導されて、屋上デッキに上がった。出港前だけど、既に風が気持ちいい。  船はこれから3時間近くかけて別府の港に向かう予定だ。  地図ではすぐそこっぽく見えるけど、案外時間がかかるらしい。  陸路で行ったら3時間じゃ全然足りないのだから、ただ乗っていれば車ごと運んでくれるフェリーは便利だ。  まぁ、高いけどな。仕方ない。  日曜日のおかげか、乗船客には子連れもチラホラいたようで、デッキはむしろ子どもとその保護者で賑わっていた。  その賑わいのすぐそばで男二人ベンチに並ぶとか、他人からみれば哀愁でも漂って見えるんじゃないだろうが。  哀愁どころか、俺は内心子ども返りしてはしゃいでるけどな。 「それがね。中学生の頃5人でいつもつるんでたんだけど、うち3人の名前が入り乱れててさ。俺は美作主計でしょ。他にも美作がもう一人いて、名字が主計ってヤツがまたいて。その二人は名前で呼べば個人識別できるんだけど、俺はどっちもダメだろ。で、仲間内で被らない名前ってことで、主計をしゅけいとも読むからそっちで呼びはじめて、そしたら仲間内はともかく他の奴からは『しけい』って聞こえてたらしくて殺人鬼だの何だの囃されて、俺はそんなもん聞き流してたんだけど、守也……名字が主計なヤツがぶちギレて。で、結果として差し障りなくよくあるあだ名ってことで、ケイで定着したんだよ」  いきなり、息継ぎどこ?って長台詞で説明されてしまった。  何の話って、フェリーに乗り込む直前の話の続きだ。  みまさかかずえさんがケイというあだ名で呼ばれる経緯。  熊本に多いらしい難読名字を姓にも名にも持っている美作さんの名前に纏わる逸話、といって良いかと思うが。 「俺は自分の名前は気に入ってる方だけど、あの時は親に文句のひとつふたつは言ったよね。まぁ、父親が主税と書いてちからと読む人だから由来は似た難読名前にしたんだろうとは分かるんだけど」 「親子揃って名前がカッコいい」 「ふふ。顔は平凡だけどね」  難読名前ではあるけれど、二人とも知っていれば読めないわけではない名前だ。  熊本には名字が主計という人もそこそこいるためか、結構な確率で一発読みされるらしい。  主税さんは忠臣蔵を知っていれば確実に読める。大石内蔵助の息子の名前で有名なんだ。  てか、内蔵助の息子が主税とか、家老のくせに財政親子か。余談だけど。  そんな話を聞いているうちに、船はゆっくり動き出した。出港だ。  あっという間に港を出て、船は海峡を突き進んでいく。  周りを凄い数の水鳥が囲むように追ってきていて、何でかと思ったら、子どもが鳥の餌を撒いていた。それ用に船内で餌を売っていたそうだ。  揺れる船上でもトタトタと走り回る子どもの叫ぶような笑い声を背中に聞きながら、そっと寄り添ってきた美作さん……ケイさんに俺からも寄っていく。  風が強くて少し寒いんだ、と言い訳。 「一緒に俺もあだ名で呼ぼうかな。香月くんなら、カズくんとかどう?」 「初めて呼ばれますけど」 「おや、意外。瀧本くんの名前短縮するならそこじゃないの?」 「いや、名字の方が多かったです。一番多く呼ばれたのは、タッキーかな」 「なるほど、そこか」  名字が滝で始まると大抵付けられるあだ名で、俺もずいぶん長いことそれで呼ばれていた。進学してクラス替えがあって、そのたびに仲良しグループが変わっていっても、呼ばれる名前は変わらないという。  そういや、滝の付くヤツは他にもいたのに何故か『タッキー』といえば俺だったな。不思議だ。 「なら、俺は誰も呼んだことのない名前で呼ぼう。カズくん、ね」 「結局そうなんですね。だったら、俺だってケイさんじゃなくて俺だけしか呼ばない名前にしますよ。主計さんだから……カズさん……」 「俺は妥協しないからね。カズくん」 「ケイさん、で良いです……」  そういう事になった。  昼飯は夕飯が旅館時間でだいぶ早い予定なのと、既に14時近いことも考慮し、サンドイッチなどの軽食で済ますことになった。  外は寒いので、船内のソファ席に移動する。テーブルのある席も用意されているのはやはり、船内で食事することを考慮されているのだろう。  いや、テラスにもテーブルがあるのに船内にない方がおかしいか。  車によく乗るだけあって三半規管は強い方だから乗り物酔いは滅多にしない方だけど、それを加味してもこの船はずいぶんと揺れが少ないと気がついた。  フェリーというだけあって大型船だから重いせいか。いや、でも、車を載せているところはつまり大きな空洞だからむしろ軽いのか。  不思議がって首を傾げていたら、不思議そうな俺の方こそ不思議そうにケイさんが問いかけてくるのだけど。 「重さは関係無さそうだけどなぁ。一番の問題は風でしょ。風向きとか強さとかで波が変わるから」 「重いと安定するんじゃないです?」 「海に浮いてる場合どうなんだろうなぁ。そもそも浮力の方が強いから浮いてるんだしな」  ふむ。物理の問題か。理系は苦手だ。  そもそも算数から苦手だから計算問題で苦手意識が助長されるっていう残念なスパイラル。 「え。システムエンジニアって理系じゃないの?」 「よく言われますが、どちらかといえば必要な技能は文系です。外側作る人たちは理系ですが」 「外側?」 「ハードとか、基盤とOSの間とか? 外側は俺もよく知らないんですよ。鍋の作り方や野菜の育て方を知らなくても料理は出来るじゃないですか。それと一緒です」 「例え話がいきなり庶民的」  でも分かった、と頷きながらケイさんはクスクス笑っている。 「そう聞いてると、なんか文系って自称に納得する。説明得意?」 「人と話すのは苦手ですよ。業務連絡や会議での発言はできても、世間話なんかは苦手です。なんていうか、他人に興味を持てないんですかね。話題が浮かばないんですよ」  システムエンジニアなんてしていると、仕事は専門家でも使う人はド素人なものだから、システマチックな仕組みについてゼロから業務に即した使い方を提案して納得させるのが仕事の第一歩になる。  納得してくれたらその上でさらに客の要望を吸い上げて利用者満足度の高い製品を提案して、今度はそれを製造者という専門家に過不足なく伝える能力が必要なんだ。  自称コミュ症の俺がよくやってる、と身内にはよく言われるが、雑談で相手を楽しませるという需要はないから単純な言論能力があれば今のところ充分だった。  客先営業もしてこい、とか無茶振りされるとあっという間に役立たずになるんだけど。 「確かにな、会話力にも色々あるよな、とは俺も思うよ。交渉能力に長けてる先輩が実は空気読むの苦手とか、プレゼンならコイツってヤツだけど行間読むのが苦手でよく上司に怒られてる同僚とか、営業にも色々いてさ。俺は幸い満遍なく平均値だから困ることも無かったけど」 「それ、行間読むのが苦手なのがいけないんじゃなくて、上司さんの説明不足が悪いんじゃないです?」 「あ、やっぱりそう思う? アイツも同じこと言ってたよ。そのくせ、理解できていないからって質問すると、そんなことも分からないのかって追い払うような上司でさ。今説明の時間を割いて完璧な仕事をしてもらったほうが、後で大失敗されるよりよっぽど時間短縮で労力削減になると、俺も思ってはいたんだよね。周りでサポートしあって乗り切ったけどさ」  そんな話を聞いていると、何処も同じなんだなぁ、なんて思う。  俺の職場にも似たような人がいるから、実感がわいてしまうんだ。 「まぁ、もう辞めちゃった会社だけどね」 「ケイさんならきっと活躍してたんでしょうね」 「いやいや、俺なんて良くも悪くもなくとにかく平均値だよ。怒られることはあまり無かったけど誉められるようなこともなくて。海外営業だとチーム戦になるから、誰かが突出して評価される仕事ではないんだけどね」  いやいや、ご謙遜を、とも思うけど。  ソフトウェア産業の営業職なんて、汎用向けパッケージ製品でも売り出していない限り単独行動だから、営業職がチームプレーという現場は想像の範疇外だ。  それこそ、テレビドラマの世界を想像するしかない。  プレゼンとかは営業ではなくてシステムエンジニアの仕事だし。 「え、そうなの?」 「そうですよ。仕様の説明や提案から経過報告に納品、運用保守までエンジニアの仕事です。営業は金額交渉と納品についてくるだけで、まぁ、会社としての責任者として同席してるみたいなイメージですかね。ソフトハウス特有の仕事内容かもしれないですけど」 「へぇ。業種変われば役割も変わるもんなんだねぇ」  しみじみ、と感想を述べるのと同時に、別府港到着を知らせる船内アナウンスが流れる。  異業種交流に夢中になっていたら、時間が経つのもあっという間だ。  置きっぱなしだった昼食の残骸を片付けながら見えた窓の外には、別府の港が随分と近くに見えていた。  九州初上陸だ。

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