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【連休9日目・夜】

 ケイさんのお父さんが手配してくれたという宿は、高千穂神社徒歩圏内の割烹旅館だった。  お父さんには昔からお世話になっていたから、と言う板長さんのご厚意から、夕飯の時間ギリギリのチェックインにも関わらず親切に対応してもらい、人脈って大事だなぁとしみじみ思う。  夕飯をいただいた後、高千穂神社の20時からある夜神楽に案内してくれるということだったので、部屋に荷物を置いてすぐに食事処に向かう俺たちはそれぞれ出掛ける準備万端だ。  食事処で給仕のため待っていてくれた中居さんが、食後の楽しみにワクワクしている俺たちを微笑ましそうに迎えてくれて、出発時間にここまで迎えに来てくれる旨を伝えて下がっていった。  母親世代の中居さんではあったが、子どもを見るような目で見守られてしまうと流石に照れ臭い。  割烹旅館というだけあって、用意された料理は目にも鮮やかで美味しそうなご馳走だった。  高千穂峡を構成する五ヶ瀬川の川魚や高千穂ブランドの牛肉と地元の野菜で作られた料理は、一品一品がたくさんの素材を使って作られていて、これ1食で30品目達成していそうだ。  霜降りの牛肉ですき焼きに後で焼きたての鱒を持ってきてくれるという豪勢なメニューで、ちょっとびっくりしてしまうのだけど。  前菜から〆の炊き込みご飯まで美味しくいただいて食の幸せを堪能しつつ食後のお茶を啜っていると、仕事を終えたそうな板長さんがやって来た。  綺麗に空いた皿に嬉しそうなのは料理人ならではなんだろう。  板長さんの用件は、夜神楽行きの出迎えついでにケイさんに挨拶もしたいしとのことで、早めに来てくれたそうだ。お父さんとそっくりだね、と目を細めて言われてケイさんが照れていた。  板長さんは若い頃は熊本市内の和食屋で修行していたそうで、配達に通っていたお父さんとはそこで知り合ったらしい。修行を終えて高千穂に移ってからもイベント事で旅館を利用したりと親交を続けていたのだそうだ。  良いご縁をいただいて、と板長さんは言っていたが、こちらこそとケイさんも返しているから両得の縁で間違いないと思う。  それはそうと、高千穂で生まれ育った板長さんの案内で高千穂の神楽について教えてもらった。  そもそも、高千穂に伝承される夜神楽は、「高千穂の夜神楽」として国の重要無形民俗文化財に指定され、 天照大御神が天岩戸に引きこもった時に岩戸の前で天鈿女命(あめのうずめのみこと)が舞ったのが始まりと伝えられるものだそうだ。  本来は秋の実りへの感謝と翌年の豊穣を祈願して11月中旬から2月上旬にかけてあちこちの神楽宿で奉納されるらしいが、その中の代表的な4つの番を観光用に見せてくれるのが高千穂神社の夜神楽という。  ちなみに、本来の夜神楽は33の番があり氏神様を神楽宿に迎えた夕方から始まり翌日の昼前まで舞い続けられるらしい。長丁場だ。  そんな説明を受けてから実際にこれから見られると、楽しみ度倍増。早く神社に行きたい。  俺がワクワクソワソワし始めるのをまるで待っていたように、それじゃあ行こうか、と板長さんが立ち上がって俺たちを促した。  板長さん、空気読める良い人だ。  夜の神社は少し寂しげで、俺はそっとケイさんと手を繋いだ。  イベント会場は7時開場の早い者勝ちで予約は受け付けていないらしいけど、そこは地元旅館の強みで、人数分の座席を確保しているそうだ。7時とか夕飯の時間真っ最中だからな。助かります。  実は御神楽を見るのは初めてだ。親戚の結婚式に白装束に鈴を持って巫女さんが舞う巫女舞を見たことがあるくらいで、物語になぞった伝統芸能に触れる機会など今まで一切なかった。  基本的に御神楽の奉納をしているような古くて大きな神社ってのは近畿と九州に多いものだ。ましてや俺の地元は実家も現住所も新興住宅地にあってそもそも小さなお社すらない地域だし、祖父母は南東北の片田舎在住でこちらも神社には縁がないんだ。もう、せいぜいプチ名物の盆踊りがある程度。しかも本会場ではなく公民館でやるくらいにメインから離れている。 「ん? 山形?」 「……何故分かりましたか」 「いや、花笠踊りでしょ?」  その花も紅花だから江戸時代以降の文化だけどな。いや、あれは確か大正時代の尾花沢生まれか。  それはともかく、祭りといえば軽トラの上に載せられて町内を一周するお囃子と担ぎ手が減って台車で引っ張るようになったお神輿、ごくたまに大衆演劇の一座が来るくらいという認識の俺にとって、御神楽は未知のものなんだ。  夜闇に包まれた静かな神社は夜神楽の会場だけが賑やかだった。こういうところでは大抵出ている夜店も無く、篝火が焚かれていて会場の雰囲気も盛り上がる。  旅館ごとにまとまって場所が取られているうちの3列目中ほどの位置に案内されて座ってみると、少し高めに上げられた舞台のおかげで前列の人の頭も邪魔とは思わない程度の好条件だった。  神楽鑑賞している間に御朱印を書いておいていただけるとかで早速ケイさんが席を離れていき、俺はこの室内の光量に合わせてカメラの準備をする。ピントはオートフォーカスだから、焦点を中央固定にしてシャッタースピードを周囲の暗さにしては早すぎるくらいに抑え、取り込む光の量は昼間なら白飛びするくらい明るめに設定。  室内であっても夜間に動くものを撮影するのは難しいから、むしろちょっと写りが悪いくらいにしておいたら勝手に幻想的な写真になるんだ。例によって三脚は無いし、あってもここには置けないし、なので出来上がりは運次第だな。  御朱印帳を預けて戻ってきたケイさんが席につくと、すぐに舞台が始まった。  榊の木と紙幣の付けられた注連縄で舞台に結界が作られていて、案外狭い。  最初に案内人による高千穂夜神楽の説明があって、今夜見られる4番の紹介があって。  さてそれでは御覧いただきましょう、とばかりに演者の登場。  演目は、先の3番が天岩戸の物語。最後の1番は国生みの物語だった。  まず最初に現れるのは白くて厳ついお面を付けた天手力雄神(あめのたぢからおのかみ)。鈴と幣を両手に持って何やら探している様子を表現している。どこかに隠れてしまった天照大御神を探し回っているのだそうだ。  登場シーンこそカメラの出番だったけれど、舞が進むにつれて見入ってしまって写真どころじゃなくなった。これは、4番全てこんな調子だろう。  次の番で登場するのは天鈿女命(あめのうずめのみこと)。天岩戸に隠れた天照大御神の興味を引くために岩戸の前で舞い踊った女神様だ。  神話では胸も下もさらけ出して裸同然で踊ったらしいけれど、流石に御神楽ではちゃんと着ている。白いおかめさんのようなお面を付けて赤い頭巾で頭を覆った人がこちらは日の丸扇子と幣を持って踊っている。  きっと本当の天鈿女命の舞いは妖艶で美しいんだろうなぁ。  なんて、エロ心が思わず出てきた。危ない危ない。  次の番でもう一度登場する天手力雄神は、今度は赤いお面を付けていた。袖も襷で括り上げられている。  理由はその演目。天照大御神が籠っていた岩戸の岩を担ぎ上げ放り投げるシーンだからだ。そんな力仕事だもの、邪魔な袖は捲るだろうし顔も真っ赤になるというものだ。  これでポイされる岩の行き先が長野県の北の方というのだから、何度想像しても凄いの一言だ。天岩戸の伝承がある場所は日本全国あちこちにあるけど、岩が落ちた場所は戸隠一択なのも興味深い話だと思う。  最後の1番は国生みの話。イザナギとイザナミの夫婦が笊だの桶だのを使って国を造っていく場面だ。これは他の3つと違って演者が2人いるので、掛け合いに笑いが生まれたり見ているだけで話の流れが分かったりと、他とちょっと違った雰囲気にできている。  国生みといえば、古事記の冒頭部分にあたる日本創成神話の根幹だ。ていうか、神話の初期段階からセックスシーンなんて日本の神話くらいじゃないだろうか。足りない所に余ってる所を入れちゃおうとか、性教育かなにかですか。  そういえば、主人公が須佐之男命にシフトする前までの話って何かと女性が上位だよな。  国生みのお見合いシーンも最初は女性から声をかけてしまって失敗したって話だし、高天原の最高神は天照大御神で言うまでもなく女性だし。  つまりは生み出すのは女性で管理するのは男性っていう得意分野の違いなんだろうけど。  なんだかんだ熱中している間にあっという間に予定の1時間が過ぎていた。結局ほとんど出番の無かったカメラが寂しそうだけど、夢中になってしまったのだから仕方がない。  いつか祭りの時期に33番全ての神楽を見に来たいよな。  舞台が終わっても出口が混んでいることを言い訳に座ったまま余韻に浸っていた俺の目の前に、男らしいゴツい手が差し伸べられた。  当然ケイさんの手で、そろそろ出ようと笑いかけられていた。人前で男が男をエスコートするってどうなのかと思うけれど、周りを見ても誰もこちらのことなど見ていない。  手を借りて立ち上がれば、正座をしていたわけでもないけど思ったより足が痺れていて転びそうになる。ケイさんの手を借りていて良かった。 「痺れ抜けるまでちょっと待とうか?」 「歩いてればすぐ治りますよ。行きましょう」  一気にどっと捌けた客席は俺のように混雑が過ぎるまで待っていたのんびりしたお客さん数組しか残っていない。  ゆっくり出れば神社の境内も喧騒は去っている頃合いだろう。 「お参りしていきます?」 「そうだね。少し散歩しながら戻ろうか」  20時に始まって1時間の演目だから、現在時刻21時過ぎ。  手を繋いだままゆっくり境内を散策して、拝殿前では、夜だから神様も寝てるからね、とケイさんが柏手を打つのを遠慮するのに倣って、お邪魔しました、と手を合わせ。  旅館までのんびり歩いて10分の道程を星を見上げながら歩いて帰る。  なんだかんだ詰め込み気味だった遊び疲れで身体は今にも眠ってしまいそう。ケイさんに手を引かれながら大きな欠伸をひとつ漏らす。 「お風呂入ったら寝ちゃおうね」 「……ケイさんにおあずけしすぎてません?」 「ふふ。無理しなくても明日も明後日もあるよ。旅行先で、今夜は寝かせないよ、なんて無茶言う勇気は俺には無いし」 「……ケイさんが分別あるオトナの男で良かったです」  ちょっとキザすぎる気もしないでもないが、俺に不利益が生じるでもないし、まぁ良かろう。

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