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【連休10日目・夜】
今夜の宿泊地である霧島温泉に着いたのは、17時半頃のことだった。
美作のお父さんが予約しておいてくれたという宿は温泉街から少し離れた立地の代わりに全室露天風呂つき和洋室という非常に贅沢な宿で驚いた。
仕事上取引のある宿故に格安料金で泊まらせていただけたとのことだけれど、ちょっとどころでなく恐縮してしまう。
宿泊プランに鹿児島の焼酎飲み比べプランというものがあってそれにしておいた、とのことで。
「やっぱり親父に気に入られたよね、カズくん」
「うーん。なんでですかねぇ」
「焼酎好きの呑兵衛だからだよ。お仲間お仲間」
なるほど、それで。納得。
宿に着いて夕飯の時間までちょっとゆっくりできるのは、意外にもこの旅行では初のことだ。慌ただしい旅程でケイさんには申し訳ないけれど、時間を持て余すのが苦手な俺にはそれで良かったんだけど。
夕飯時間が選べるそうなので遅めの19時にお願いしておいて、まずは部屋付き露天風呂へ入ることになった。
当然のように、ケイさんと一緒。
部屋風呂だから大きさは確かに狭めだけれど、男2人で一緒に入っても浴槽に身体が当たらずにゆったり入れるくらいには大きな風呂で、それだけでもすごく贅沢に思える。
浴槽が広いということは、それだけ必要な湯量も多いということだから。
シャワーはひとつしかないのでお先にどうぞとケイさんに譲ってみたら、譲られたはずのケイさんに全身マッサージ付きで洗われてしまった。ぎゅっと抱き締めて拘束しながらなものだから、抵抗の余地もなく。
確かに恋人に身体を触られることに抵抗などないものだし、マッサージが気持ちいいからこちらは嬉しい限りだけど。
反対に俺からケイさんを洗ってあげるのができなくて申し訳なさも同時に湧いてくる。触られるのは全然構わないのだけれど、自分から他人に触れるのは躊躇してしまうせいだ。
触ってみたいけど、相手に嫌われてしまいそうでなんだか怖い。俺に好き勝手するケイさんがそのくらいで俺を嫌うとも思えないけれど、怖いものは怖いんだからしょうがない。
俺のそんな訳のわからない恐怖心を知るはずもないケイさんからは、そんな要求もまったくなくて先にお湯に浸かっているようにと促されるだけ。有り難いやら申し訳ないやら。
しっとりまとわりついてくるような温泉のお湯に全身浸らせると、身体の力もすっと抜けていく。
温泉は良いよね。日本人に生まれて良かった。
自分自身は手早く洗ってすぐにやって来たケイさんが隣に入ってきて、あれよというまに俺を膝の上に抱っこしてくる。
ちょっと反応しかけのケイさんのアレが尻の割れ目にうまい具合に押し付けられていて、恥ずかしかったりドキドキしたりと忙しない。
ケイさんはもちろん分かっててやってるんだろうけど。
「カズくん。今夜はお酒はほどほどにしておいてね」
えーと、今この状況でそれということは、夜のお誘いということでしょうか。
「じゃあちょっとずつ飲み比べにしときます」
「飲まないって選択肢はないんだね」
「ないです」
即答です。素面でなんて恥ずかしすぎて爆発してしまいます。
はっきりキッパリ答える俺にケイさんは楽しそうに笑っていたから、機嫌が良さそうで安心する。
ゆっくり過ごせる夜は今夜が最後。
そう思ったら、なんだか切なくなってきた。
「ねぇ、ケイさん」
「ん?」
「……今夜は最後までしませんか?」
そっと窺うようにケイさんの顔を振り返って見つめて、勇気を振り絞ってみる。
身体のことも気持ちのことも色々怖かったりはするけれど、今のまったりした関係のまま距離ができてしまったら、俺はきっと怖じ気付く。自宅に帰った途端にケイさんと自然消滅を目論む自分が容易に想像できる。
今現在の俺はそんな未来の自分が嫌だから、抵抗するんだ。打てる手を打っておく。今できるのは、この何の魅力もない貧弱な身体でも欲しがってくれるケイさんに預かってもらうことだけ。
出会ってまだ10日足らずの急展開だから、その勢いに乗じて行けるところまで行ってしまった方が自分のためだと思えるから。
まさか俺の方から誘うとは思っていなかっただろうケイさんが、驚いた顔で俺を凝視して、それからぎゅっと抱き締めてくれた。
「明日も運転頑張ってもらわなくちゃいけないのに。後悔しない?」
「やった後悔よりやらなかった後悔の方が怖いです。それに、運転はケイさんに頑張ってもらえるから大丈夫」
「うん、それは頑張る」
神妙な顔で頷いてくれるケイさんにほっこりして体重を預けてみる。浮力があるからきっと重くない。
真面目な顔のまま強く抱いて離す気配のないケイさんにようやく色気みたいなものを感じて、返す反応に困った俺はほんのり笑って俯くしかなかった。
提供された各銘柄焼酎の瓶にほくほくしながらいただいたお酒と夕飯は、鹿児島ならではの豚肉メインながら牛も魚もと高蛋白で構成されていてとても美味しく大満足だった。
酒が旨いのは言わずもがななので割愛ということで。
あぁ、九州に移住したい。なんてぼやいたら、目の前の彼氏にニヤニヤ笑われたけど。
「だから、嫁においでって」
はいはい、そうですね。
酒に誘惑されるとか、いくら呑兵衛でもさすがにちょっと。
でも心引かれたのは事実だったりする。
食後に控えている予定に対する不安と何となく想像する事態から、満腹にしないように食事量を控えてみた。
揚げ物と炭水化物は申し訳ないけれど食べられなくて、せっかくの食事を残してしまうことに罪悪感も無くもない。美味しそうなんだけど、無理だなぁ、って感じだ。
残してしまった俺の方のいくつかの皿を見て、ケイさんが少し心配そうだけど。
「こっちの煮物と天ぷら交換したら良かったかな」
「いやいや、こんな旨いもの奪えませんよ。気にしないでください。もともと天ぷら苦手ですから」
それがなくても、豚しゃぶにステーキに煮魚にと豪華な内容でお腹はいっぱいだ。心配ご無用である。
ほどよく酔って、腹八分目の胃袋に満足しながら部屋に戻れば、あとは明日の朝食まで部屋を出る予定もない。
和洋室だから畳敷き6畳間の奥にベッドが置かれた洋室があるつくりで、布団がピッチリ貼り付けられたビジネスホテルと違ってふかふかの掛け布団が掛けられたセミダブルのベッドが、見るからに気持ち良さそうで眠気を誘ってくれる。
自分から誘った手前、ベッドの誘惑に負けて眠ってしまうわけにはいかないけれど。
って、思い出したら落ち着かなくなってきた。
もう一度温泉に浸かってきた方が良いだろうか。
食後だしひとまず歯を磨くのが先だろうか。
和室の片隅に置いたままの荷物から充電器と洗面道具を引っ張り出して、スマホとカメラの充電池をそれぞれコンセントに繋いでから、洗面所に駆け込んだ。
ちなみに、歯ブラシセットは旅行荷物に必須アイテムとして持ち歩いている持参のものだ。宿の使いすて歯ブラシって痛くて嫌いなんだよな。
一心不乱、な感じに歯を磨いていたら、後からやって来たケイさんが同じように隣で歯磨きを始めて、空いた片手を俺の腰に回して抱き寄せられた。
抗議しようにも、口の中は泡だらけ。ムグムグとしか声が出ない。
「ほっほ、へーはん!」
いや、は行しか言えない、が正しかった。
咎めたのは分かったようなのに、ケイさんが実に楽しそうなんだが。
後から来たはずなのに先に口を漱いだケイさんが、洗面所を去り際俺の耳元に囁き声を吹き込んでいく。
「ベッドで待ってるよ」
置いてきぼりの俺が腰くだけになって座り込んでいたのは、ケイさんには内緒だ。
洗面所からようやく出られた俺を待っていたのは薄暗く照明が落とされた部屋で、立ち竦む俺の手を引いたケイさんの手が記憶にある体温より高くて。
キスの直前に初めて言われた「愛してる」の言葉を皮切りに、可愛いとかキレイとか、それに痛くないかってしつこいくらいに聞かれながら。
時間をたっぷりかけて緩めてもらった俺の中に受け入れたケイさんの大切な一部は、正直、感動のひと言だった。
眠ってしまうギリギリ前に呼んでくれた「香月」の名前に、気持ちがフワフワ幸せのまま夢の中へ直行。
無理のできない旅の途中でなかったら、もっとたくさんもらえたのに。
ちょっと勿体なかったな。
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