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2-6 新年会のミューズ

「…カミエちゃん、カミエちゃん」 そこには一輪の花があった。 いや、花どころの騒ぎではない。 この頭が薄い冴えないオヤジばかりの中に降臨した、ミューズだった。 「カミエちゃんってば!」 「スピーチ中ですよ!静かにしてくださいっ」 小声で注意をされたが構わなかった。 會下は上江の服をぐいっと掴み彼を引き寄せた。 「あの子誰?」 そして小さく指をさす。 上江は暗がりの中目を細めてその先を確認しているようだった。 そこには長い髪を1つにまとめ、 スーツを着ているというより着られているような初々しさが残るような、可憐な姿の青年がいた。 傍らに立つ長身の男に話しかけている。 「あれは、そう。袖野ですよ。私の先輩の」 どう考えても誤魔化しているような声色の上江に會下は彼をじっと睨んだ。 「違うよぉその隣! 女の子みたいな子がいるでしょ!新しい編集の子?」 彼はあからさまに嫌な顔をしているが、 その顔が余計に良いものであることの確信になった気がして ますます興味が湧いてきてしまう。 「あのお方は五虎七瀬さんですよ..."このエロ"と“セツナ賞”の」 「えっ!あの子が!?」 上江は目を細めて軽蔑するような目で會下を見てくるが、 そんな事より頭の中が彼への興味で埋め尽くされていってしまっている。 「絶対ダメですよ…あの方は我が社のホープなんです 今一番お偉い方達に目をかけられてるんですからね」 上江は腕を組みながら釘を刺してくるが、 會下は思わず緩んでしまう頬を自分の両手で包み その可憐な姿を観察した。 痕を付けたら堪らなさそうな白い肌に抱き心地の良さそうな細い腰、 あの大きな瞳はどんな風に潤んで、形のいい唇はどんな風に歪んで… と瞬時に色々と想像してしまう。 「そりゃそうだろうねえ…あんなに可愛いんだもん…」 「小説の話ですよ!」 とはいえ、上江の気苦労もわからんでもなかった。 小説界が注目した"このエロ"を、歴戦の作家達を押し退け見事受賞した五虎七瀬の才能はもはやこの出版社の財産と言っても過言ではない。 雪雛玲一郎も、この會下詠慈でさえもその点では彼に惨敗したことになる。 しかしここが官能小説界である以上、所謂変態の才能を持っているということになるのだ。 「そっかぁあの子が五虎七瀬ちゃんかぁ…あの子があんな文をねえ…」 「先生…五虎七瀬なんか若いだけでろくな作家じゃないとか言ってましたよね。泣きながら」 「そんなこと言ったかなぁ〜」 受賞を逃し會下はいい歳して悔し泣きをしていて 上江を一晩中付き合わせていたわけなのだが、 もちろん悔しかった故に彼の作品はちゃんと読み込んだし 悔しくも、確かに…、と思うものではあったのだ。 しかしどうだろう。 あのまるで女神のような風体の彼があんな文章を書いているだなんて想像すると余計にゾクゾクしてしまって いてもたってもいられなくなってしまう。 「ねえねえ挨拶してもいいよね、してくるね!」 「ちょっと待ってください。スピーチが終わってからです」 「えっ!終わったらいいの?」 「あー…くそ、やられた…」 上江に舌打ちされながらもしてやったりと會下はご機嫌になるのだった。

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