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2-20 単純かつ不穏な背景

ああつまんない。 會下はその言葉を顔で表現しながら電車に揺られていた。 今日は雑誌の企画で別の小説家と対談だった。 変態おっさんが2人で猥談した内容をわざわざ文におこして全国にばらまこうという不毛な企画、一体誰が喜ぶというのだろう。 會下は逃げたかったが相手も怒らせると厄介な大物作家であるし 何より上江に怒られるから行かねばならなかった。 先日の新年会といいこの業界の行事は本当につまらないことばかりだ。 はぁ、とため息をつき窓の外を流れる景色から、少し混んできた電車内に視線を移した。 その先で時が止まった。 この感覚は2度目だった。 「…ミューズだ」 思わず呟いてしまう。 そこには電車に揺られる五虎七瀬の姿があった。 新年会の時とは違い、髪を下ろし薄手のロングコートに、 ジーンズにブーツというカジュアルな格好だった。 座席に足を組んで座り、広げた手帳に目を落としている。 異様に優雅な佇まいにその物憂げな瞳と電車の窓から差し込む光を背負った姿は 會下には絵画の世界のように見えてしまうのだった。 暫く放心していたがやがてふらふらと彼に近付いていく。 「…七瀬先生!」 彼の目の前までくると會下は思わず笑顔になってそう声をかけた。 七瀬はゆっくりと顔を上げ、會下を見上げた。 「か、會下先生!?」 七瀬は驚き声を上げた。 會下は間違いなく運命だ。デスティニーだと思った。 「あ、えっと…先日は、どうも」 ぺこりと頭を下げられる。 スーツ姿も初々しくて可愛かったが私服もまた違った雰囲気で可愛いらしい。 會下は彼を観察した。 「奇遇ですね、またお会いできるだなんて」 しかし表向きはあくまで紳士的に振る舞う。 頭の中で色々と想像しているだなんて一切顔には出さないように。 「本当ですね!びっくりしちゃいました。 …あ、座ります?」 「いえいえ、いいですよこのままで」 席を譲ろうとした七瀬を制し會下は吊革を掴んだ。 すみませんと何故か彼は謝っている。 「おでかけですか?」 もしかしてデートだろうかなどと邪推してしまうが 別に恋人がいようが既婚者だろうが落とす上で會下には関係のないことではあった。 とはいえリサーチしておいて損はない。 「いえ、打ち合わせです。會下先生は、…デートですか?」 「はっは、僕は仕事です。雑誌の対談企画で…」 「わぁそうだったんですね! すみません、凄くオシャレだったから勘違いしちゃいました」 さらりと褒められ、會下は大変愉快な気分になって心の中で小躍りした。 老人作家とつまらん会話をするから適当な服でいいかと思ったが 写真の撮影もあるというので一応身綺麗にしてきてよかったと思った。

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