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2-26 単純かつ不穏な背景

どうしよう、どうしよう、どうしよう。 こんなに自分が自分でなくなるような感覚、 一体どうしたらいいんだろう。 雨咲はトイレまで走ってくると個室に引きこもって頭を抱えた。 至近距離で見た真壁の顔やら香りやらを何度も呼び起こして、 顔が熱くなって、思わず叫び出したくなってしまう。 「うう……好き……」 雨咲は思わず思いを吐露してしまい、ぎゅう、と自分の胸を服の上から抑えた。 心臓がばくばくと暴れ散らかしていてどうにか抑えねばと思うのだが。 「…いや絶対いるでしょ、 だって弁当持ってきてるのって大体既婚者か実家暮らしじゃん」 「まあでも別にいたとしても関係なくない?奪えばいいしぃ」 「こっわぁ」 ドアの向こうから笑い声が聞こえ、 どうやら一軍女子達が入ってきてしまったようだ。 雨咲はますます個室から出られなくなってしまい、声と気配を殺した。 「ていうか営業の林クンにアド聞かれてたじゃん」 「あー。あたしやっぱイケメンじゃないと無理なんだよね あとなんか彼出世しなさそうじゃない?」 「やば。じゃあ無視してんの?」 「まあねー今は真壁さん一筋ってカンジ?」 突然出てきた名前とその聞き覚えのある喋り方に雨咲はハッとなり顔を上げた。 「とかいってキープ他にもいるっしょ」 「ひっどぉいあたしをなんだと思ってんのぉ?純愛主義子なのにぃ」 「どの口が言ってんの」 やはりミナミの言っていたことは本当らしい。 こんな女豹みたいなやつに狙われているだなんて冗談じゃない。 雨咲は飛び出して文句の一つや二つ言ってやりたいのを必死に堪えていた。 「でも真壁さんの彼女とか絶対レベル高そうじゃない? どうする?ミスコン女子とかだったら」 「てか寧ろブスだったら逆にショックかもぉ」 女子達は絶対に男子の前では見せない状態でゲラゲラと笑っている: 雨咲は、彼女、という言葉に思わず両手を握りしめた。 確かに見たことはないが、居る可能性は高い。 今まで考えないようにしていたが、こんな風に他人の口から言われると思い知らされてしまう。 雨咲は暫くぐるぐる考えていたが、やがて笑い声がトイレから消えていくと 深くため息を溢してようやく籠城を解除することができた。 誰もいなくなった鏡の前で、じっと自分の顔を睨み付ける。 「……確かめ、なくちゃ…」 鏡の中の恐ろしい顔をした女を睨みつけながら 雨咲は小さく呟いた。

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