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4-21 逃げ出した場所

この頃の自分には本当に小説しかなかった。 生まれてこの方島の、そしてこの旅館のことしか知らなかった自分が 見たこともない都会の生活や、体験したことのない出来事を必死で想像して書き綴っていくしかなかった。 海の向こうにはどんな人がいるんだろう。 どんな生活をして何を思って生きているのかな。 いつか自分も体験できるだろうか、そうだといいな。 そんな思いが文章を構築していて。 ナナメは気付けば涙を溢してしまいながらも、ぐちゃぐちゃの文字で書かれたくしゃくしゃの文章を追っていた。 この頃の自分に、今の自分を見せてあげたいような気がした。 官能とはいえ本が出て、賞を取ったりしたんだよって 一緒に小説のことを考えてくれる人がいて、受け入れてくれた出版社があって、教えてくれる人がいて、 それから、小説なんかなくても良くしてくれる人たちがいっぱいいて。 愛してるって、大切だって言ってくれる人も。 できたんだよって。 ノートの最後のページに、絶対に東京に行く!と書いてあった。 ナナメは小さく笑いながら、その文字を撫でた。 そんなことはダメだと言われ続けてきた。 うまくいくわけがない、と。 やるべきことがあるだろう、と。 例えそうだったとしても、その純粋な気持ちが眩しかった。 「ナナメちゃん」 後ろから声をかけられ、ナナメは慌てて涙を拭って振り返った。 姉のナナコが小さな女の子を抱えて立っている。 「わ、わぁ…ナナカちゃん?大きくなりましたね…!」 彼女に近付くと、小さな女の子は不思議そうな顔でナナメをじっと見つめてくる。 生まれたての頃に一度会ったっきりの姪っ子は 色素の薄い髪にくりっとした丸い瞳で可愛らしかった。

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