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 微妙な空気に耐え切れなかったのか、不意に嵯峨山が声を上げ、弔問していかないのかと立花に問い掛けた。一瞬、立花は身体を強張らせた。 「…いや、特にご家族の方と面識があったわけではないし…呼んでもない人が顔を出せば、ご家族に迷惑になるのは確かだから…」  職業柄、想定外の参列者が訪れたとき、遺族が小さな混乱を招くのはわかっている。それは嵯峨山も理解したのか、微かに苦笑を浮かべただけに留めて、無理を言うことも無かった。 「君は何か用事があって戻ったんじゃないのか…?」  立花の指摘に、あっと声を上げて嵯峨山は何かを探し始めた。 「故人の式の場で不謹慎だけど…今、財産分与の話が上がってるんっすよ」 「いや…よくあることだよ…」  少なからずプラスとなる遺産があれば、いついかなるときだろうが分与の話は上がるものだ。特に突発的な死が故人を襲った場合は、生前に財産に関する遺言書を残していない限り揉めることが間々ある。 「とりあえず俺は放棄するんで、受け取る気満々の奴らが一筆書けってうるさいんっすよね」  あった、と取り出したのは実印ケース。そこまでやらせるのか、と溜息が出てしまう。  再度家を出るための最終確認をする嵯峨山に、そろそろ暇を告げようと動こうとすれば家主に制止をかけられた。 「ああ、まだゆっくりしててください」  嵯峨山は笑ったが、立花は躊躇う。家主が自宅を出るのに、いつまでも居座るわけにはいかない。  立花が言わんとしていることに気付き、嵯峨山はタバコを銜えながらヒラリと実印ケースを振って見せた。 「どうせすぐ戻りますし、いちいち電気とか消したり点けたりも面倒いんで…っても、立花さんがよければですけど」  逃げ道を残して、立花が選択できるように提示してきたが、何より立花自身がひとりにはなりたくなかった。 「…わかった。お言葉に甘えて待たせていただこうかな」 「あざッス!ベッドとか自由に使っていいっすから」  どこか嬉しそうな笑みを浮かべ、嵯峨山は慌ただしく出て行く。鍵を掛ける音が響き、立花は深く息を吐き出した。  部屋も暖まり、立花はコートを脱いで視線を巡らせた。見付けたハンガーを拝借して、壁に掛けさせてもらう。再び床に腰を降ろし、テーブルに肘を付いて息を吐き出した。しんと静まり返り、本当に何の音もしない静寂。  上着からタバコと携帯灰皿を取り出す。箱には数本しか入ってなく、自宅に予備があっただろうかと思い出しながら一本取り出して唇に挟んだ。  ジッポで火を点し、煙を吐き出した。 (煙と一緒に、この想いも消えれば楽なのに…)  悲報を聞いたときに露呈した、色褪せていなかった幼い気持ちが、ずっと胸の奥がズキズキと痛みを訴えている。  何本目かのタバコを吸いながらぼんやりとしていると、不意に響いた鍵を開く音に立花ははたと我に返った。時計を見れば嵯峨山が出ていって、三十分近く経過している。灰皿には潰れたタバコの小さな山。室内に漂う煙で微かに視界が白い。 「すんません、遅く…けむっ」 「あ…ごめん」 「もう、窓開けてくださいよ」  嵯峨山が笑いながら窓を開ければ、煙は逃げ場を見つけて我先にと流れ出て行く。頬杖を付きながらそれを眺めていると、嵯峨山が手元のカップを取り上げた。 「何飲まれます?」 「勝手に入れるから、もうちょっとゆっくりすれば…?」  落ち着かないのも分かるけど。そう告げれば、嵯峨山は一瞬だけ表情を歪め、まばたきの刹那に苦笑へ変えた。 「なんか、すんません…」  カップをテーブルに戻し、嵯峨山は力なくベッドに腰を下ろす。深く項垂れると同時に、肺を空にするほど長く息を吐き出しながら手のひらに顔を埋めた。  立花は何も考えずに、タバコを吸いながら頬杖をついて嵯峨山の姿を視界に入れていた。何も思わないわけではない。むしろ、悲しみが複雑に絡み合い、逆に立花の気持ちを冷静にさせた。  そして、肩を震わせる男を慰めるべきは己の役目だと、歪んだ使命感を植え付けた。  立ち上がり、嵯峨山の真正面に膝をつくと、顔を覆う右手をやんわりと掴んだ。嵯峨山の顔がのろのろと上げられる。充血した目が痛々しい。 「大丈夫か…?」  大丈夫なわけがないのは、立花も重々承知していた。それでも問わずにはいられなかった。  そして、今からしようとしていることが、あまりに滑稽なことも理解していた。それでも、止める気はない。  触れた唇の温もりが、遠い過去を滲ませた。

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