3 / 6

「おはようございまーす」  出勤した立花が挨拶と共にドアをスライドすれば、既に出社していた社員が挨拶を返してくる。寒い寒いと赤くなった手を擦り、自分の席へと向かっていく。 「おはよう、立花さん」  席に着いたと同時にデスクに置かれた自分の黒のマグカップ。白のラインで猫が描かれている。 「おはよう、野路さん。ありがとう」  顔を上げれば、ふわふわの波打つ茶色の髪、ナチュラルメイクを施された可愛らしい顔立ちの女性。野路聖子。株式会社広瀬葬祭の事務員で、大きな葬儀施行の際は受付などもしている。  笑った立花に野路も笑い返した。 「おはよう、立花ー。朝からお熱いねー」  そうからかいながら立花の席に書類を放ったのは、立花の先輩である一条徹。 「野路ちゃん、俺にもコーヒー」 「高いですよー?」 「社員割で」  軽いやり取りの後、笑いながら野路は給湯室へと入って行った。見送った立花は深く息を吐き出しながら、背凭れに体重を預けた。同時にビジネスチェアがギシリと悲鳴を上げる。 「一条さん、グッジョブ…」 「いいってことよ。あからさまだよなー、野路ちゃん」  一条が視線を投げたのは、女性陣の楽しそうな声が響く就業前の給湯室。 「まー、お前が優し過ぎるのにも原因はあるよな」  手にした書類で軽く立花の頭を叩き、一条は小さく溜息を付いた。立花もそれは分かっていたが、女性に興味がないからこそ優しくなってしまう。自分の容姿が、女性に対してどれだけ有効なの かも理解しているが、自分の性癖上、恋愛対象外だと思ってしまうのだ。もちろん、カミングアウトをしているわけではないから、周囲の人間がそれを知っているわけではない。  立花はパソコンを起動させ、処理すべき書類を引き出しから取り出す。その間に野路が一条の分のコーヒーをデスクに置いて自席に付いた。  もう間もなく始業時間。その時、出入り口が開かれた。 「はざーっす」  立花の肩が僅かに跳ね、そそくさと席を立つとトイレへと入って行く。一条は首を傾げながら来客の対応に立った。 「おはよー、さがやん」 「どもっす、一条さん」  カウンターに肘を付いて手を振るのは、嵯峨山だった。 「朝からどうした」  一条が口を付けていないカップを差し出せば 、嵯峨山は軽く礼を述べながら温かなそれを飲んでほっと一息ついた。 「いや、先日の兄貴の葬式の礼にと思って」  からりと笑いながら、手に持っていた紙袋をカウンターに置いた。中には菓子折り。 「あー…もう初七日か。別によかったのに」 「そう思ったんすけど、義姉さんが持ってけって…」 「ああ、そっか…じゃ、貰っとく。お義姉さん、今後どうするって…?」 「実家に戻るみたいです。家は持ち家だから…俺に貸すって形で。まあ、家賃の代わりに俺がローン支払うんですけどね。最初はいいって断られたんですけど、住まわせてもらうんだからって無理言った形で…」  僅かばかり寂しそうに笑いながら嵯峨山が言えば、一条はそうかと何度か小さく頷くだけだった。ふと、嵯峨山の視線がぐるりと社内を見渡すのに気が付く。 「どうかしたか?」 「あー、立花さん、居ますか?」  立花なら、そう口を開こうとした瞬間、内ポケットに入れていた携帯が震え始めた。嵯峨山に一言断りを入れ、表示されている名前を確認すれば、立花からだった。 「もしも」 『すみません。今、そいつと会いたくないんです。適当に言い逃げお願いします』  伝えるだけ伝えると、立花は一条の返事も聞かずに一方的に通話を切った。呆れたように息を吐き出しながら、一条はカウンターに頬杖をついて嵯峨山を斜めに見上げた。 「お前さん、あいつに何かしたの…?珍しく慌てた様子で、居ないって言ってくれって…」  一条は立花の存在を隠す気はさらさらないようで、こそこそと小声で嵯峨山につい今しがた言われたことを伝えた。嵯峨山は苦笑を浮かべ、こそりと一条に伝える。 「葬儀の際、ちょっとありまして…」  それだけを伝え、身を起こした。一条は何かを言いたそうに眉を跳ね上げた。 「まあ、いいわ。本人に後で追及したろ」 「ははっ、止めてあげて下さい。…それじゃ、またなんか仕事があったら連絡ください」  嵯峨山はわざとらしく声量を上げ、顔には笑みを浮かべて見せた。「失礼します」と嵯峨山が声を上げれば、社内の人間も「お疲れ様ー」と声を上げた。  自動ドアの向こう側へ嵯峨山を見送り、一条は深く息を吐き出すと立花が籠城しているトイレへと向かった。  コンコンココン。 「おぼっちゃーん、嵯峨山くん帰ったよう」  至極呆れた声で言えば、ドアノブが回り、遠慮がちに立花が姿を現わした。 「んで?何な訳」  自席へと戻りながら、一条は立花へ問い掛けた。立花は気まずさを隠すように一条から視線を外しながら、小さく唸り声を上げる。 「ちょっと、色々と…バカな事をしまして…」  デスクに肘をつき、立花はその手の平に額を乗せた。思い出したくない、言いたくないと言わんばかりの態度であったが、一条はじっと視線だけで先を促す。その目の奥には、明らかに楽しいと笑う色が浮かんでいる。  どうしたものかと悩みはするが、答える気は毛頭ない。逃げの一手に頭をひねる。  眉間に皺を寄せて、むすりと表情を歪める立花に一条は数度まばたきを繰り返した。 「しかし珍しいな、お前がそこまで頑なになるとか」 「…たまにはそんなこともありますよ」  眉間の皺もそのままに、マウスを操って手元の資料を入力するのに必要なファイルを呼び出した。何も言う気はないのだと悟った一条も、溜息をつきながらではあるが自身の仕事へと向かう。

ともだちにシェアしよう!