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第9話 弾丸アーバンチュール

その時だった。 「きゃあっ」 小さな悲鳴が聞こえ、 アッシュの前に水色のドレスを身に纏った女性が飛び出した。 世界がスローモーションになり、 前のめりに身体が倒れていく彼女。 危ない、と思うより早く手が伸びた。 彼女の腕を掴み、身体を引き起こすと華奢な体はアッシュの方へと引っ張られ身体が密着した。 彼女は顔を上げ、 その瞬間世界の音が消えた。 エメラルドグリーンの輝く瞳は 不安げにこちらを見ていた。 「.....!?」 一同がどよめいた。 突然現れた謎の姫の腕を王子がとったからだ。 アッシュは暫く彼女の手を離せなかったが、 彼女は慌てて頭を下げた。 「アッシュ殿下..!?」 彼女の透き通る声が脳に届き、 アッシュも慌てて掴んだ手を離した。 「だい...じょうぶか...?」 「ええ...!あの..助けていただきありがとうございました..」 彼女はちらりとアッシュを見上げ、眼を伏せてお礼を呟いた。 その長い睫毛が揺れ、春風のような柔らかなものが吹き抜けていく感覚にアッシュは動揺し 思わず自分の胸を服の上から抑える。 「ですが、ああ...わたくしったら...」 彼女は恥ずかしそうに顔を赤らめ、 両手で顔を覆った。 「大変失礼致しました...っ ではわたくしはこれで..」 女性は再び頭を深々と下げ、 背を向けて立ち去ろうとした。 「ま、待ってくれ..!」 アッシュは思わずそんなことを呟いていた。 一同も女性も驚いたようにアッシュを見た。 「名前を....君の名前を教えてくれ...」 美しい女性は驚いたような表情のまま振り返り、やがてふわりと広がるドレスを持ち上げ 姿勢を低く礼をした。 本日30人以上の高貴なお姫様に礼をされたが、 彼女ほど優雅で上品な立ち居振る舞いは初めてであった。 「わたくしは...マグルシュノワズ国王女、 ファリス・フレンフランでございます、殿下」 ファリスと名乗った女性はゆっくりと瞳を開き、アッシュを見据えて微笑んだ。 強く鋭い、槍、いや、 弾丸のような視線。 アッシュは暫く呼吸すら出来ずその瞳に魅入られていた。 この会場に大勢いるどの女性とも違う、 今まであったどの女性とも違う。 アッシュはそう想うと同時に彼女に手を差し出していた。 これは公務で、 頭の端では確かにそう理解していたのだが。 「私と....踊っていただけませんか...?」 会場中がどよめいた。 王子がワルツの相手を選んだのだ。 それも名も知れぬような国の姫を。 ファリスは驚いたような顔をした後、 やがておずおずと手を取った。 「ええ...喜んで」 ワルツの曲が大きくなり、2人は踊り始める。 さっと集まっていた人々は2人のために場所を開けた。 「どこの国だって?」 「聞いたこともない方ね」 「でもとても美しい方だわ..」 人々の囁きは遠い遠い雑音だった。 アッシュは胸が高鳴るのを感じた。 世界が花で満たされ、目の前の女性はまるで ミューズのように、高尚で、絶対のように感じられる。 踊っている途中でファリスはアッシュの胸にぶつかり、小さく謝って恥ずかしそうに顔を赤らめた。 アッシュは生まれてはじめて、恋に落ちていた。

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