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俺たちの形⑩

 帰宅後も先生は口数が少ない。  俺はちょっと居心地悪く、それを誤魔化すように冷蔵庫の扉を開けた。 「陸也さん、飲みすぎた? 水……飲む?」  常備してあるミネラルウォーターを顔の横で軽く振る。先生はひと言だけ「飲む」と言うと、何やら深妙な面持ちで俺のことを手招きした。  ソファに座る先生に手を掴まれ、半ばよろけるようにしてその隣に腰掛ける。先生は俺から水を受け取ると、ゴクリと喉を鳴らしてひと口だけ飲んだ。 「志音は幾つになった?」 「……? 俺? 年齢?」  何だよ突然。 「十九だけど? それがどうしたの?」 「 ……志音はどうしたい? あの……さ、これから先の俺との事」  なんだか歯切れの悪い先生は、真面目くさった顔をして俺からスッと目をそらす。  きっと今日の敦と悠さんのを見て何か思ったのだろう。  俺とどうしたい? なんて今更それ聞くのかよ。先日の事もあったし先生的には早いところはっきりさせたほうがいいとか思ってんのかな。  言いたいこと、きっと結婚願望の事だよな…… 「陸也さんはどう考えてるの?」  質問に質問で返すのは好きじゃないけど、どう言ったらいいのか……そもそも今更わかりきったことを言わなくちゃいけないことがなんとなく嫌だったからそう聞き返した。 「どうって……そりゃ一緒にな、いられればいいと思ってるけど。それは俺の気持ちであって……志音も勿論俺と同じ思いでいてくれてるのはわかってるんだけど……」 「だから? 何が言いたいの?」  隣に座ってた先生がこちらを見ずに寄り掛かってくる。ちょっと甘えたようにも思える行動にキュんとしつつ俺も先生にもたれかかった。 「結婚……ってなんなんだろうな。俺は志音と結婚したい。プロポーズして結婚式挙げてさ、ちゃんとみんなの前で指輪の交換して祝福されて、式の後には新婚旅行も行ったりして……想像すると凄い幸せで泣きたくなってくるんだけど、でもそれは叶わないんだよなって思ったらなんとも言えない気持ちになって」 「………… 」  先生まだ酔ってるのかな?  同性婚は出来ないけど、式を挙げたり旅行したりするのは自由だ。男同士だからって出来ないなんてことはない。でも先生がそんなことを考えているなんてちょっと意外だった。やっぱり敦と悠さんの姿を見たからだろうな。 「いいじゃん、そうすれば。別に出来ないことないでしょ? 陸也さんがしたければ結婚式だってしてもいいよ? ……めちゃくちゃ恥ずかしいけど。みんなに祝ってもらいたいって言うならそうしたって構わないし。俺ちゃんと仕事も休みもらうし新婚旅行も行こうよ。楽しそうじゃん。なんでダメだって思っちゃうの? 世間体? 俺は陸也さんと一緒ならなんだっていいよ?……そういうことでしょ?」 「……うん、っていうかうん、そうなんだけど……俺ずっと考えてたことがあって。形だけじゃなくてさ……その、お互いが思い合ってるだけじゃなくてさ、俺はちゃんと志音と家族になりたいんだよ。目に見えるものっていうの? なんて言ったらいいんだ? あのさ、俺たち「婚姻届」は出せないけどさ、俺は志音と「家族」になりたいって思ってる。同じ籍に入りたい。二人で一緒にいられるための方法って色々あると思うんだ。公正証書を作ったりパートナーシップ制度を利用したり。でも考えたけど……養子縁組……はどうだろうかって」 「………… 」  先生、声震えてんじゃん……  俺だって先生と付き合い始めた頃にちょっとは考えたことがある。  結婚の意味。お互いが当たり前に一緒にいられる方法。  敦は近々悠さんとパートナーシップの制度を利用して証明書を発行してもらうと言っていた。法的な効力はないものの、それでもこの証明書があるだけで家族と同等に扱ってもらえる部分が増えるという安心感がある。  俺はぶっちゃけ証明だとか籍だとか、あんまり重要視していなかった。そんなのなくたって関係ない。俺も成人して仕事も順調にこなして一人前になったらいずれは先生と一緒に住んでそのまま共に生きていけばいいと簡単に考えていた。  それじゃダメなのかな。  ちゃんと「証明」されるものがないと不安なのかな? そんな保証みたいのがなくたって俺は先生から離れることはないんだけどな。  でも声を震わせてまで緊張しながら言葉を選んで俺に話す先生を見たら、ちゃんと考えないとダメなんだなって思った。 「志音も仕事もいっぱいして一人暮らしもして、大人となんら変わらないって思ってるかもしれないけどさ、ちゃんと成人を迎えたらでいい……俺との事、真面目に考えてくれないだろうか。俺は養子縁組をして志音と同じ籍に入りたいって思ってるけど、それは婚姻のそれとは全く意味が違ってくるし、何より親子の関係になるって事だから……嫌なら他も考えるし……」  きっと先生はちゃんと調べて俺たちにとってベストな方法を選んでくれてるんだろう。それでも俺が否定的に捉えるかもしれないと思って、こんなに緊張して話してるんだ。  嬉しい……  今更だけど、本当に今更なんだけど……先生にめちゃくちゃ愛されてんだなってわかって嬉しくてしょうがなかった。  俺も大概だ。  涙が溢れそうになって慌てて少しだけ顔を上げる。 「うん、わかった……俺もちゃんと考えるよ。陸也さん、ありがとう。俺にも少しだけ時間ちょうだい?」  俺もちゃんと応えられるように、考えて返事を出そう。  ちゃんと納得をして、先生の希望に応えられるようにしよう。  さっきから俺の顔も見ずに話している先生の頬に手を添える。ゆっくりと俺の方を向かせると真っ赤な顔をした先生と目が合った。 「好きだよ……陸也さん。……プロポーズありがとう。キスして……」  俺の言葉に緊張が解けたのか、先生は可愛くふにゃっと笑いキスをする。途端に照れくさくなった俺はそのまま先生の胸に顔を埋めた。  それから一年──  二十歳を迎えた俺は真雪さんから一週間の休暇をもらい、そして「高坂志音」になった。 ──俺たちの形 終わり──

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