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第一章◆異端ノ魔導師~Ⅱ
儀式から、数時間後。
「 クソ ... 痛テェ ... ... まったく。雑 な仕事しやがって。腕が折れるかと思ったぞ」
彼らは、少しばかり汚れた服の土を払いながら帰路に着 いていた。
「雑なのはお前の方だ。私がミスリルを変成する前から、闇雲に剣を振るうからだろう?」
「闇雲じゃねーよ! ああでもしなきゃ、お前がやられてたろうが!」
帰路、とは言ったが。
単に その日の宿を探すべく、近くの町まで引き返しているところである。
「なりかけの魔物 に私の法は破れない」
「あーあー、大層な自信だな」
身 の丈 二つ分程度の魔物では、彼らの相手には不足だったらしい。
とは言え、早まったか。右腕をさすりながら歩くカーツェル。
彼の垂 れ流す不平を半 ば聞き流しつつ、それでも時には返事をしてやりながらの道中だった。
「何にしろな。いい加減、法の展開に要する間というものを把握 してくれ。
あれでは いくら私と言えど、面倒見きれるものではない」
「何だと!? 面倒見てやってんのは俺の方だろうが!
... って、おい! 聞いてんのかフェレンス!」
声を荒 らげるカーツェルに、やれやれ ... と、ため息混じりにフェレンスが言う。
「勝手について来たくせに、それを言うのか...?」
あまりにもしつこく纏 わり付く者を見る目。
「ぐ ... ... 」
カーツェルは若干たじろいで、視線を泳がせる。
何と言い返そうか。彼はすぐさま折り返した。
「だ、大体にしてだ。 お前の詠唱 ってやつはクソ長ぇーんだよ」
「私に限った事ではない。元も子もないことを言うな」
錬金にはイメージも作用する。そのための呪文である。
「まぁ。仮に省 いてやったとしてもだ ...
へなちょこな剣を握らさせて文句を言うのはお前だろう?」
「へなちょこ ... ... 」
だが、言い争いもやがて収 まった。
と言うよりは。気を逸 らされたカーツェルの負けだ。
「つか ... お前の言う 〈へなちょこ〉 ってどんなもんなんだ ... 」
へなちょこな剣 ... へなちょこ ...
なかなか想像つかずに、そわそわした気分になる。
次第に遅れるカーツェルを尻目に、フェレンスは門を潜 り町に踏み入った。
丸木を組み重ねる門の天辺には、こう彫り込まれている。
~ CHANTHENON ~
故国・シャンテの石杖となった空中都市が掘り出されたという、白の渓谷に程近い田舎町。
今でも良質の鉱石が採掘される谷へと通う、鉱夫達の住む土地だ。
「随分 と皮肉めいた名を付けてくれる ... 」
不快を感じる程ではないが、複雑な気分なのか。彼は不意にそう漏らした。
するとそこに、慌 て駆けつけ小声で言うカーツェル。
「おい、フェレンス。その格好じゃ勘付 かれるだろうが」
召喚術の使用後、彼は暫 しの間、ローブを脱ぐことが出来ない。
死霊の及 ぼす寒さと、霊症を防ぐため。という建前ではあるが。
その時、何者かが言った。
「冥府の炎の気配がするな ... ... 」
フェレンスを異端視する者の中には、些細な事であっても疑いの眼差しを向けてくる者もいるのだ。
かく言う、この人物がそうであるように。
「戦場跡を訪れては、染み付いた血を炙 り出すハイエナ ...
忌 まわしい儀式を嗅 ぎつけた魔物と一戦交 えたか?」
門からの並木沿いに建つ酒場のテラスから皮肉を寄せる人物。
後頭部で一度括 っても、腰までは優に届く長い金髪。
白く、か細い手足が引き立つ、ふっくらとしたトラウザーとマントの装 い。
ところがフェレンスはと言うと、見て見ぬふり。 淡々と歩いた。
完全 無視 か ... ...
心で呟 くカーツェルは、彼がそこに居ることをフェレンスが予 め知っていて目もくれず行ったと見受け、
あえて立ち止まる。
いつの間にやら背筋を張り、指先を整えて。
「帝国より御目付 け役を仰 せつかる お方が、事もあろう ...
日も沈まぬうちから呑んだくれてお出 でとは。流石 、良いご身分」
胸元に手を添えつつ一礼を配す。紳士の立ち居振る舞いだ。
「お久しゅう御座 います ... クロイツ様。 恋い慕 う男性にでも逃げられましたか?」
乱暴な物言いも一変して。艶 のある声。清楚 な物腰。
言っている内容は不躾 極まりないが。
礼儀など、こいつには不要。彼の挑発的な視線が、そう物語る。
「私は男になど興味はないと。何度も言っているじゃないか ... カーツェル」
一方、男性とも女性ともとれる中性的な声と様相をした人物は、
グラスを片手にテラスの縁 に肘 を置きながら返した。
マントの留 め具には、帝国紋の配された記章。
おそらくは女性だが。
「お前こそ ... しつこい男は女に嫌われるらしいぞ?」
定番の台詞では事足りず。
「ああ、思い知る以前に寄っても来ないか。
なかなか良い顔立ちをしているのになぁ。残念な奴だ」
皮肉に皮肉を重ねる。
鋭い目で凝視するカーツェルは、言うまでもなく業 を煮やしていた。
短気を弄 ぶ お役人様は、余裕 持て余して、グラスの酒を煽 りながら、テラスを降りて来る。
「そう怖い顔をするな。 罪深き ... お前の主人が、ずーっと あちらでお待ちだぞ?」
軽い調子で、促 す手振り。
「早く行かないと叱 られるだろう。呼び止めるようなことを言って悪かったな」
口では詫 ても、勘 ぐるように見据 えてくる目はそうは言っていない。
見ると確かに、フェレンスが わざわざ立ち止まって待っている。
相手にするなと言いたげだ。
不自然を指摘されぬようにしたかったが、裏目に出たか。
しかし、そう感じた時には遅かったよう。
「ところでカーツェル ... ... この右腕の痣 はどうした?」
行けという言葉とは裏腹。 突如 、クロイツの手に捕らえられる。
皮の手袋 の内側に纏 めた袖 が捲 れ上がると。
先の一戦で受けた強打による黒い痣 に加え、何やら ... 印文を模 す古傷。
それは、ほんの一瞬だけ垣間 見られた。
腕を振り払い、直 ぐ様に距離を置くカーツェルは平静を装 う。
「大した事では ... 魔物が打ち砕いた岩の破片が、運悪く腕に ... 」
何でもない口調、素振り。
苛立 ちを隠せず、むしろ表情に出たのは役人の方である。
「異端者の下僕 が ... 見え透 いたことを」
舌打ちまで聞こえて、カーツェルは苦笑した。
「それでは、私 もこれにて」
胸元から片眼鏡を取り出して掛けると、中指でクイと押し上げ、早々に立ち去る。
声を張り、役人は言った。
「 ...〈魔導兵召喚〉は、禁じられた複合錬金の一環 に値 する異端の法だぞ フェレンス!
本人が一番よく分かっているだろうがなぁ!!」
彼が煽 りかけていたのは、カーツェルではなくフェレンス。
そうだろうと察して間に入ったカーツェルだったが、結果的に墓穴を掘った。
クロイツは続ける。
「貴様がローブを脱がないのは、ファントムの纏 う
〈凍てく冥府の炎〉による凍傷の回復が長引いているからだ。
ファントムの炎 、それだけならば然程 冷気を伴 わないはずだが。
魔導兵としてファントムを具現化させたなら、話は別 ... なのだろう?」
早めに宿をとらねばならぬところ、とんだ道草を食った。
クロイツの言葉を他所に、聞こえぬ振りを続ける二人。
待つフェレンスのもとへ行く合間にも、腹の虫が収まらないのか、
今一度 睨 み返そうと息を吸うカーツェルだったが。
「構 うな ... ... 」
フェレンスの静かな声が、それを制す。
「警告する、フェレンス ... !
審議が長引いている現状、白黒付かないうちは貴様を捕らえられんがな。
貴様の技が〈制約の翠玉碑 〉の禁に触れている以上、
度を越 したとあらば、問答無用で貴様を拘束する。 忘れるなよ!!」
石造りの町並みに反響し、くどい程よく聞こえた。
「まったく。監視官って奴はどんだけ暇 なんだよ... 魔導師一人に付きっ切りとはな」
カーツェルの小言も止まない。
「お前ら、まさかデキてんの?」
「そんな訳があるか ... 」
「ふーーー ... ん」
終いにはあらぬ疑いまで掛けられる。
「 ... なぁ。ホ ン ト ニ ? 」
「 ... いい加減にしてくれ」
会話だけで息切れがしそうだ。
「私も、異性に対する特別な興味はない」
「え ... それってもしかして ... ホモ?」
馬鹿野郎 ... ...
返すのも面倒になり、視線が代わりにものを言う。
だが、そうだったのかと、一人で勝手に納得するカーツェルの深刻そうな顔を伺 えば、
今後いいネタにされるのは目に見えているため。フェレンスは、大きな溜め息を挟んでから言った。
「 ... ... 言い換える。
浮世の色恋沙汰に身を晒 すつもりはな ... ... て、何だその防御体勢は」
ところが、こいつときたら人の話を聞かぬのだ。
「寄るな。俺に その気 は無ぇ ... 」
「 ... ... ... 」
聞き捨てならぬと、答えてみれば ... ...
フェレンスは頭に被ったストールをはらい、『紹介しよう』 と言って不敵な笑みを浮かべた。
「彼女はシャンテのとある名家に仕え、勤 め上げたメイド頭でな... 尻・百叩きをものの20秒で ... 」
〈 バン バン バン バン バン ッ! 〉
「いやぁああぁあああぁぁぁぁぁっっっ!!!!」
朗 らかな顔をして街灯を試し打つ、気合の入った鞭捌 き。
老メイドの神技を見よ。
一方では、街角の鉄柵を背に しがみついて奇声を上げる大の大人の図。
腰 のベルトを握り込まれても、尻だけは守る。
また、そんな彼の様子を呆 れ顔で眺 めるフェレンスはと言うと。
一息ついて、一件の宿屋を振り向いた。
口の減らない使用人の躾 は メイド頭にお任せ。
早く休みたかった。
「あっ ... フェレンス! 待て!」
呼び止めるが、フェレンスはお構いなし。
〈 パタン ... 〉
宿屋の戸が閉まる。
「 クソ ... 」
鉄柵から離れられずに苛立つカーツェルに対し、ある時、鞭をしまい スッ... と消えていく老メイド。
フェレンスが召喚を解いたのだ。
「あの、馬鹿 ... 」
また一つ愚痴 をこぼしながらも、彼はすぐさまフェレンスの元へ駆けつける。
戸の前で、気持ち息を整 え、開いた。
〈 キィィ ... 〉
「申ぉぉし訳ございません」
大げさに取り繕 う男の声。
案の定、宿泊を断られている様子だった。
「おもてに、満室の札は無かったが?」
「おおぉぉ、いかんいかん、これはこれは。失礼致しましたぁ ... ハハハ ... 」
宿屋の主人は、慌てふためいてカウンターの下から表札を取り、カーツェルの横を走っておもてに出る。
「お客様をお部屋にご案内する間、ついうっかりと忘れてしまいまして ... ヘヘヘ ... 」
余所々 しい受け答えで札を戸に下げ、ヘラヘラ と笑い戻っていく様を眺めているだけで腹立たしい。
「観光地でもない田舎の宿屋が満室だと?」
カーツェルはボソリと呟いた。
どいつもこいつも ... ...
呆れて ものの言いように困る。
「と言うワケでして、えぇ ... 誠に、誠に、申し訳ございません魔導師様ぁ ... ハハハ ...
もう少し早めにお越し頂ければ、お部屋もご用意出来たのですがぁ ... 」
「いえ。構いません。他所 を探すとしましょう ... ありがとう」
お人好しが。よくもまぁ、平然として言えるものだと思った。
すると、その場を後にするフェレンスの通りがけ。
「お前ってホント馬鹿だよな ... 礼なんか言う必要ねーだろうが」
引け腰で愛想面 する主を尻目に戸を開けてやりつつ、詰 る。
それなのに、フェレンスの方はと言うとだ。
涼しい顔をして、宿を出て行った。
短く揃った後ろ髪と比べて余分に長い横髪が、サラリと揺らいで。余裕を醸 す。
「相手や物事を問わず、誠実であること。 礼儀とは ... 」
「相手のためだけに非 ず。己を律 し品位を保つ習 わし、か? ... まったく」
フェレンスの言葉を遮 って言うカーツェルは、思わず脱力。
怒る気も失せるといった素振りで戸を閉め、息を吐き捨てた。
本当に気位の高い人間とは、こういう奴の事を言うのだろう。 彼は思った。
どんな仕打ちを受けても冷静で。己 のあるべき姿を見失うことは決して無く。
置かれた現状や感情は別として、成 すべきを成す。
見上げた志 だと日頃、関心するが。
「墓場や戦場跡を訪 れては、古血を炙 る異端ノ魔導師。
吸血鬼か ... なんて噂されるおかげで、客なんて一人も居やしないのに
満室と偽 られ、宿を閉め出される日々。 だ け ど 、もう慣 れっこですから?」
ああ、何て心の広い魔導師様だろう ... とは、明らかな皮肉。
聞いて振り向いたところ、腹に据えかねたカーツェルの怒声が降りかかった。
「 ... って、悠長にしてる場合じゃねーんだよなぁ!!」
戸口の階段をズカズカと下り、フェレンスの杖を持つ手を掴み取ると。
一瞬、ふらりと軸 を失いかけた彼の様子を見て、カーツェルは言った。
「熱だって上がってきてる。さっさと横になりたいだろ。
お前の言う誠実ってやつはな、俺からしてみれば ただのクソ意地だ。この石頭!」
「 ... そう思うか?」
フェレンスは笑う。
しかし、僅 かばかり額 が汗ばんでいた。
宿をチラリと振り向けば、窓の角からこちらを覗き見ていた店主が、瞬く間に引っ込む。
「早くあっち行けよ、もぅ ... ! どこで何してるか分かりゃしない
異端ノ魔導師なんて泊められるわけがないだろうが。
ええい ... それにしても冷えるな。こんな春先にあり得 ん。
これも奴にとり憑いているという死霊 のしわざか?」
中で何と言われているか。聞こえずとも、察しがつくのだ。
「ああ。何て言うかな」
カーツェルは、暗い表情で肩に掛けたボストンバックを下ろし、手早く巻物を取り出しながら言った。
「お前と話してると、シャンテがどうして滅ぼされたか分かる気がするんだよ。
何てったって、お前のご先祖様だし?」
やはりお人好し揃いだったのだろう。あくまでも、そんな気がするだけだが。
知性に富み、良心的で誇 り高く。手に負えない程の頑固者。
もう、そんなイメージしか沸かない。
「いいや。中には恨み辛みに囚 われ、どうにも扱 えない者もいる」
「そりゃあ、当然だろ?」
フェレンスの扱うファントムは武力に長け、理性を留 める魂のほんの一握りである。
戦なんて残酷で当たり前なのだから。
奪い尽くされ死すれば、天罰を神に乞 うどころか逆恨みしたくもなるだろうと。
彼はそう思うのだ。
そして、会話の最中の事。
フェレンスの目の前に突き出された巻物。
一呼吸置いてカーツェルを見流す瞳が、次には伏せられる。
手を添え魔力を注 ぐと、薄っすら青白く光を帯 びた。
それを持って、カーツェルは宿屋前から少し歩いた先の広場で物陰を探し、暫 し彷徨 う。
すると、朝市の立った後、置き去りにされたものだろうか。
縦積みにされた幾 つかの木箱の向こうに、狭い通路を見つけ潜 んだ。
巻物を開くと、それは彼の背丈と並ぶ長さのタペストリーで、黒地に銀の印字。
壁に掛け、描かれた魔法陣に手を当てるカーツェルは、
円状の水面波を生じたその向こうへ、文様が沈んでいくのを見ながら待つ。
間もなくして浮かび上がっきたのは、木製の引出し。
〈 ァーラ♪ カーツェル様、オ久シブリ ! 元気シテタァ?〉
しかも、喋 る。
喋る櫃 だ。
その上、随分 と大きい。
野太い男性の声にお姉口調。
オカマな魔法のチェストといったところか。
聞くなりゲッソリした表情。
だが気を取り直してカーツェルは言った。
「お喋りは後にしろ。取り急ぎ着替えたい。預けていたスーツを... 」
〈 マ ! 相変ワラズ 無愛想 ナノネ ... 悲シイワァ モシカシテ 、 フェレンス様 ト 喧嘩デモ シタノォ?〉
「 ... ... 二度言わせるな ... ... いいか。
取っ手を引っこ抜かれた挙句 に、鍵穴から突っ込まれたペンで
引き出しをガタガタ言わさせたくなければ ... さっさと、スーツを」
〈 ヤメテーーーーッ !! アレ ダケハ モゥ 勘弁ョッ !! 出スワヨッ イツモノ 燕尾服 デショ !? モー ...
愛情 コメテ アイロンガケ マデ シテアゲテル ノニ、ツレナイ 人 ネッ !! ... ソレジャ、イクワョー 〉
もしも、その櫃 を名付けるとするなら、差し詰め ...
〈 ド コ ○゛ モ・チ ェ ス ト --- ♪ 〉
「一々 うるせー!! つか、何のマネだテメー!!」
〈 ヤーネー、チョットシタ 出来心 ジャナイ。マッタク。ハイハイ ... 燕尾 ネ。 ハイ ... ! ェ ン ビ フ クゥゥー♪ 〉
「くどい!!」
『 バシッ !! 』
思わず手が出る。
カーツェルはブツブツ言いながらチェストの出した黒燕尾を奪い取り、着替え始めた。
「面白い口調だな。どこの世界 で仕入れたネタだ?」
〈 アラッ フェレンス様ァ ! 〉
その傍 ら、熱でふらついているくせに、平気なふりしてチェストのご機嫌とりに赴 く主人の姿。
「そちらは変わりないか?」
〈 エェ♪ リリィ モ 元気ョ ! フェレンス様 ガ 恋シイッテ イッテタワァ... 今度ハ イツ 帰ッテコラレルノ?〉
「まだ、しばらくは無理そうだ ... 」
「帝国城下の幽霊屋敷の話か?」
〈 アラッ コノ人ッタラ、酷ィ !! ダンナ様 ノ オ屋敷ョ !?
ソレニ、アタシタチ 万物ノ精霊 ヲ アンナ 物騒ナ奴ラ ト、一緒ニ シナイデ チョーダイ !! 〉
違いが分かんねーよ ... ...
口を挟 んだことを少しばかり後悔しながら。けれども、手際よく。
シャツを着込み、ベルトを留め、ジャケットに袖 を通し、白の手袋に履 き替え、皺 を払う。
旅服はチェストに預けるまでもないのでバックにしまい、カーツェルは立ち上がった。
片眼鏡に指を添え押し上げる仕草も様になっている。
すっかりと品の良い執事の様相だ。
〈 キャッ !! カッコイイ !! エセ 執事 !! 〉
フェレンスがタペストリーを丸め、法を閉じる一方、捨てヤジを飛ばすチェスト。
「似非 では御座 いません。これは私 の本業ですから」
スーツを着ると人格でも変わるのか。
いや。彼はもともと由緒ある家柄。貴族の人間。
「身分を偽 ってまですることか?」
似非と言われても仕方のない話なのだ。
タペストリーを手渡しながら、フェレンスが また、クスリ と笑う。
「これは取引です、旦那様 ... ...
失われし 〈禁断の翠玉碑 〉を探しだすよう命ぜられた
貴方様をサポートし、お仕事をお手伝いさせて頂く代わり。私は貴方様のお力で ... ... 」
琥珀色の瞳に揺らぐ怪 し気 な影。
フェレンスの頬 を指の背で、ゆっくりと撫で下ろしながら微笑するカーツェル。
宿取りは、もっぱら彼の役目だった。
旅先では主従関係など意識すること無くお互い気ままに振舞ってはいるが。
こればかりは、カーツェルでなければいけない。
異端ノ魔導師の噂 は国境を越える。
雪原を思わす白銀の髪と、碧 い瞳。
鎌 のような形状をした、銀の宝冠を備 える杖。
漆黒の翼と見紛 うストールに、ローブ姿。
取り巻く冷気。
御尋 ね者並。
彼の容姿と、その特徴はあらゆる土地に言い拡められている。
快 く受け入れてくれる宿屋は極少ない。
この日のように数軒の宿しかない田舎町では特に。
上等のスーツに身を包んだ付き人の、気品ある立ち居振る舞いが物を言うのだ。
彼ほどの使用人を抱えるともなれば、尋 ねるまでもなく富豪。
と、思い込む宿屋の主は、まさか彼の主人が ... あの異端ノ魔導師だなんて思わないものだから。
「この町で一番上等のお部屋を見繕 って参 ります」
スーツの襟 をぱっと摘 み整え、路地を出るカーツェルは得意気。
腹黒い商売人達を言い包めるくらい、造作無きこと。などと、余裕の笑みを浮かべて見せた。
とは言え、かく言う商売人達を超 える腹黒さを湛 えた、妖艶 な目付きである。
末恐 ろしくもあった。
ところが。
「 ... いつも すまない」
そんな彼へ、素直に礼を言うフェレンスの ... か細い声。
常々 、霊症が伴 う寒さに晒 されている身体 。
辛かろうに ... ...
カーツェルは胸を痛めた。
クロイツの言う通り。
ファントムの具現化は、〈凍てつく冥府の炎〉をも現実世界に呼び起こす。
魔法陣とローブ。それは、彼の身を守るための二重防壁。
雪や氷を素手で掴む程度でも、長時間ともなれば、火傷を負うのに。
召喚術使用後、それがローブの内側にどれだけの焼け跡を残すものか。
カーツェルはまだ、見たことがなかった。
そのため、尚更 なのかもしれない。
人に見せられない程かと思うと、息が詰まるのだ。
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