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第二章◆霧ノ病~Ⅵ
〈異変〉が生じたのは、いつ頃か。
医師の身体 は既 に、原型を留 めていない。
膨張 する。
肩、腕の筋肉。
土気色の粉を噴 く皮膚が罅 割れ、裂けるごとに突き出す鋼板 のような鱗 。
ビチャビチャ と ... どす黒い体液を撒 き散らしながら肥大していく。
奇怪な生体を見上げながら、カーツェルは呟 いた。
「 ... フェレンス ... 」
本来ならば、片時も傍 を離れるべきではなかった ...
自身の主 たる者の名を ... ...
冷え込みを増す大気。
寒気と違和感を覚え、ノシュウェルは丘を振り向いた。
住民の避難誘導に工舎 地帯まで向かう隊員が、馬を走らせ
急勾配 を駆け上る姿が、岩陰の合間にチラホラと確認できる。
異端ノ魔導師は既 に、現場付近で〈境界〉の敷地を確保しているはずだ。
「巻き込まれるなよ ... 」
令を下した部下の無事の帰還を祈りつつ。
彼は、付近に積まれた物資を次々と開いていく作業員に目を配って歩いた。
取り出されたのは、金、銀の装飾と共に、印の掘り記 されたミスリルの杭 。
手際よく丘の裾野 に配備されていく中。
厳重に封印された金縁 の箱型鞄 を目にした折り。
胸の階級章を外し携 えたノシュウェルは、厳 かにそれを翳 す。
魔術的な文様の中心に、国章である菱 十字が描かれている。
その封を解けるのは扱 いを許可された隊、指揮官のみ。
印を連 ねたコードが投映され、呼応して開く。
姿を現 したのは、真紅の魔石。
マーキスカットを施 されたそれは、妖艶 に輝き。
手に取った彼は、暫 しの間 見入る。
だが直ぐに気を取り直し、足早に杭 の設置場所へと向かった。
続いて兵士の数名が石を取り、各所に散る。
それはまるで、街灯に火を燈 していくかのような作業。
男達の身長を超 える杭の腹に収められていく魔石は、
フッ ... と吸い込まれるようにして装置の中に浮き上がる。
すると、カットの表面にあるツイストラインに沿 って回転し、
杭に対し魔力を供給しはじめるのだ。
さあ、これで装置の起動作業は終了した。
しかし法を展開するには、まだ早い。
仕事へ出掛けた鉱夫たちの避難完了まで、あとどれ程 かかるだろう。
ザワザワと ... 嵐を予感する木々のように。
ノシュウェルの胸は張り詰めていた。
見上げれば、雲が... 雷 を帯 びて唸 る。
時を同じくして。窓際に立つクロイツは、
雲間を走る閃光を眺めながら、とある人物と対話した。
「ああ。手筈 は整っている。気遣い無用だ。 フフ ... お前こそ ... ... 」
古風な受話器を模 す通信機器を手に、微笑する監視官。
「フェレンスを拘束されて不自由するのは奴等 の方だからな。
精々 、報復 の矛先 が行き違わぬよう見張れ」
相手は誰なのか、主題すら明確ではないが。
「うむ。そうだな。お前が私の策 に乗るなど思いも寄らなかった ... 」
異端ノ魔導師を巡 るやり取りであることは察するに容易 。
「 ククク ... フェレンスに会えないのがそんなに辛いか?」
鈍 く光るは、策士 の瞳。
話の締め括 りに口元を釣り上げ、ニヤニヤ と笑いながらクロイツは言った。
「そう急 くな。上手い具合に〈奴等〉を誘い込めたら、
直ぐにでも引き会わせてやる。お前の、愛しのフェレンスにな ... ... 」
今はまだ、姿を見せぬ役者が一人、
また一人と、舞台袖 の暗闇に出揃 い始めているようだった。
そんな最中 、戦線に立つ。
靴裏を擦 りながら後退 り。
身構え、呼吸を鎮 め。
腰 の後ろに手を伸ばしたカーツェルは、ベルトに固定した護身用のダガーと
指先程の弾丸 ... ではなく。金属で口の閉じられた硝子 製の魔導莢 を
同時に抜き取ると、素早くダガーの柄 に装填 した。
肥大していく魔物は幾 つもの頭角で医院の天井を引っ掻 いては突き上げ、荒 ぶる。
振動し軋 む建材。耳を疑う奇怪な唸 り。
ただならぬ物音に、逃げ惑 う施設関係者。
日常的に閑散 とし、患者も少なく、別棟が主な入院施設という構造も幸いしたのだろう。
診察室付近から一切の人の気配を感じなくなるまで、そう時間はかからなかった。
避難を呼びかけるまでもない。
彼は、目の前の魔物に集中し、出方を待った。
すると、喉元 まで並ぶ牙 を剥 き出して、
額と両の顳 かみに位置した赤いガラス球のような瞳を見開いたソレが、襲い来る。
... 刹那 。
空 を斬 るカーツェルの手元から、風刃 が放たれた。
装填された魔導莢 の効力である。
一室から駆け出し、柱ごと壁面を刻んで魔物の行手を阻 む。
魔物が突き上げた天井から崩落していく医院。
ところが、下敷きになっても安々 と瓦礫 を吹き飛ばす脅威の生命体は、
壁を打ち砕きながら追い迫 った。
ハッ ... ! ハァ ... ... !
呼吸を短く切って駆け抜ける。
壁の表面を横に走る亀裂と並び。
遂 には、追い抜いたそれが停止した瞬間。
彼は目を見張り、息を飲んだ。
〈 ビシ ッ ... ... ! 〉
直後の歪 みで建物全体に生じる割れ目。
零 , 数秒の静止画。
石壁の塗材がパキパキと剥 がれ落ちるのを視界の端 に見ながら。
一歩、二歩。
強く踏み込み身を低くしたカーツェルは、天井が大きく沈んだ拍子、
窓ガラスが一斉に砕け散ったのと同時に窓の外へ向かい飛び出した。
〈 ガシャ ーーーー ン !! ドドド.. ゴゴゴゴ... !! 〉
医院が半壊する。
その光景を外庭で見ていた膨 よかな患者は、放心状態で口を開けたまま。
一目散に逃げだす看護師らを他所 に、取り残されてしまっていた。
だが、崩れ落ちた医院の一角が再び吹き飛ぶのを目撃し、
ようやっと気を取り戻した様子で。
彼女は奇声を上げながら飛ぶように、その場を走り去って行く。
更に、また一方では。
飛び散った瓦礫 が、雨のように降ろうとしていた。
その真下を通りかかった鉱夫の、悲惨な局面。
驚愕し目を剥 いて空を仰 ぐ、彼は祈った。
「ぁああぁぁぁ ... 神様ぁ、神様ぁ、神様ぁ、神様ぁぁ... 」
壁が降ってくる。
マジ あり得 ん。
ムリ ムリ ムリ !! 死ぬぅぅ ... ... !!
終いには声にすらならない。
絶望し、真上から差す瓦礫 の影の中心でへたり込んでしまう鉱夫だったが。
彼は、幸いにも命を救われた。
医院の窓から飛び出し、丁度その場に居合わせたカーツェルが
彼を軽々と担 ぎ上げ、素早く離脱したのだ。
肩口で風を切り瓦礫の波と雨を回避しつつ、
一歩 々 、滑り込むように地を踏み。
時としてに宙へと躍 り出て。
一蹴りで建物を悠々 飛び越える。
その姿は、魔導師の錬金符を身に宿し空中戦を得意とする、
帝国軍遊撃隊・槍兵 を彷彿 とさせた。
助けられた鉱夫は、とある工舎の屋上に下ろされたところで
直様 に礼を言おうと口を開きかけるが。
脱力し膝 をついたカーツェルの姿を見て、上ずり声を喉 に詰 まらせてしまう。
「 ヒィ ッ ... ... ! 」
ガクガクと震え、ようやっと言葉を絞 り出す男。
「だだ だ ... 大丈夫なのか ... あんた ... それ ... 」
だが、それはもう突拍子 もない質問に変わってしまっていた。
鉱夫の視線の先には、カーツェルの腕。
白いシャツの両袖が疎 らに血で染まっている。
「今すぐに、ここを立ち去れ。 フェレンスの ...
〈異端ノ魔導師〉の境界に迷い込んで、凍え死にたくなければな ... 」
苦しげに吐き出される息。
警告を聞いた男は、顔面蒼白となってカーツェルと距離を置いた。
そして、礼を言うのも忘れて逃げ出す。
無理もないのだ。
突如 として医院に現れた魔物 。身に降り掛かる災難。
立て続けに異端ノ魔導師などと聞かされたのでは。
冗談じゃない ... !! 異端ノ魔導師と言ったら、
敵も味方も一括 りにして戦線を鎮 めるって、人的災害の代名詞じゃないか ... !!
半ば工舎の外階段を飛び降りた男は、遠くに人影を見つけて声を上げた。
「助けてくれ!! 頼む!!」
血の滴 る腕をぶら下げ ユラリ と立ち上がったカーツェルは、
男の行く先に帝国軍の制服を見かけ、確信する。
「やっぱりな ... フェレンス。どうやら アイツ が、お前を裏切ったらしいぜ ... 」
カーツェルの視線に気付いて物陰に消える。あれはクロイツの取り巻き。
以前から、軍に属す者と見受けられる動作を、多々目にすることがあった輩 だ。
鳴 りを潜 めて住民の誘導に当っているところを見ると、
魔物 討伐に際 しては魔導師の支援を原則とする ... といった軍の規律に従 う気は無いよう。
「帝都の公会議が終決したんだ ... ... 結果が見て取れる」
恐らくは、フェレンスの扱う〈複合錬金〉の認可を取り消されてしまったのだ。
「あの野郎 ... クロイツとつるんで、お前の身柄を拘束するつもりなんだ。
腐りきった帝国に与 する奴なんか、どいつもこいつも
泥沼に首まで浸 かって気狂い起こしてるってのに。
お前、アイツのこと信頼してるとか抜 かしてたよな ?
俺の忠告を無視してド壷 に嵌 まる気分はどうだ?」
それ見たことか ... とでも言わんばかり。
独り言のように彼は話した。
その間 、シャツの前端 を掴 み、ボタンの縫い止めをブチブチと引き破り。
息を荒らげ。
「エリート審問官だか何だか知らねーが。あんな小僧 ... 」
奥歯を噛み締め、カーツェルは更に言いかける。
しかし、この町の何処 かで光の弓を引いく、フェレンスの囁 きに遮 られた。
―――『否決の流れは予感していた ... ...
だが、彼の意図するものであるかどうかは、まだ分からないだろう?』
放たれた矢が工舎地帯上空を切り裂いて、カーツェルの目に触れた瞬間の事だ。
鳥へと変じたそれと、繋がる視線。
青光 、纏 い長尾 、棚引 く。
カーツェルの頭上を旋回する幻 は意思疎通 の中継を務 めた。
片 や紫紺 のローブに袖 を通し、
大振りのストールをフード代わりにして肩に巻きながら、フェレンスは言う。
―――『いい機会だ。企 てに乗 じ彼の話しを聞きに帝都へ戻るのも、悪く無い』
すると、鳥を目で追うカーツェルが言い改 めた。
「おやおや ... この期 に及んでもなお、
あのような 童 如 きを庇 い立てなさるとは、嘆 かわしい」
されど不機嫌を隠そうとはしない。
解 けたタイを襟 から抜き取り、彼は歩き出す。
血に染まったシャツを吹き込む風の中に脱 ぎ捨てると。
生々しく残る傷痕が痣 のように色濃く浮かび上がり、
更にジワジワと開いて ... 血を滲 ませた。
フェレンスは再び馬に跨 がって、言葉を返す。
「文句や泣き言は、私の言い付けを守れるようになってからにしてもらいたい。
許可無く傍 を離れるなと、日頃から言い聞かせてきたはずだ。
背 いたうえ危 うく壁の下敷きになりかけたのは
何処 の誰 だ? それでも私の専任か?」
「お言葉ですが、旦那様。下敷きになりかけたのは私 では御座 いません」
『私が予 め、お前の半覚醒を促 していなかったら?』
「 ... ... ... 」
悔 しいが、反論できなかった。
何 ダョ コイツ ... 怒 ッ テ ン ノ ... ?
聴かれぬよう小声で愚痴ったつもりだが、筒抜 け。
『茶化すんじゃない ... 』
幻 のくせに、上空から威圧的にフェレンスの言葉を浴びせてくる鳥。
ムカついたので視線を逸 らすと、可愛げに不貞腐 れたって無駄だと一喝 されてしまう。
そもそも血だらけで何を言っているのかと。
フェレンスからしてみれば、予感が的中して良かったのか悪かったのか。
近くに居なかったので、こうするしかなかったが。
思いを巡 らせながら、携えた法儀球 を前方に放ち、彼は飛んだ。
その向うは断崖絶壁 。
急停止する馬を残し、ストールを羽衣 に換 えて羽ばたく。
眼下に望むは、白岩 の渓谷 。
かつて、シャンテの都を建築するにあたり、深く深く、切り込まれ。
廃坑となった現在も、坑道は昔のまま。残されているらしいが。
これだけの空間が確保できるのであれば、それが縦方向であろうと支障は無い。
境界を敷 くのに人や建物を巻き込まずに済むのであれば、
ここ以外の場所は考えられなかった。
ただ、一つだけ問題がある。
あのカーツェルが、潔 く飛んでくれるかどうかだ ... ...
炭鉱企業の工舎は渓谷沿 いに並び。巨大な滑車を有 する。
分岐装置の切り替えによって、それぞれの坑道から貨車ごと荷を引き上げるためだ。
カーツェルの居る位置からなら、工舎地帯郊外を迂回 するより、
公舎を跨 いで飛び降りてくれたほうが遥 かに近いはずなのだ。
魔物 を誘 き出すなら、断然こちら側。
フェレンスは心を決め、近くを浮遊する儀球 を手元に呼び戻した。
そして言う。
「止 むを得 ん ... 勝手に傍 を離れた罰 とでも思ってもらおう」
その言葉を耳にしたカーツェルは、もう、嫌な予感しかしない。
お前は飛ぶことが出来ないのだから、当然、普通に落ちて行くだろう。
備 えてやりたいが私は境界を敷 くのに ... ... ウンタラ カンタラ 。
何やらブツブツ言っているのが聞こえるが。
お待ち下さい、旦那様。
「いったい何の話で御座 いましょう ... 」
出来れば聴かなかったことにしたかった。
だが、その時だ。
フェレンスの携 えた儀球がひび割れ、散る。
〈 ドクン... 〉
「 ... !? 」
カーツェルの意志に反して、高鳴る鼓動。
嫌がると分かっていて、強行するつもりか... !?
聞くまでもなく。
何をどうしたいのかは、先程の訳の分からない話の下りでも粗方 想像がついてしまう。
抗 ったところで仕方がない。
とんだ主人の横暴 だが。
カーツェルは腹を括 った。
唇 を噛み締めて胸元に爪 を立てる ... と、
血の滴 る腕の傷に蒼火 が宿り。
焼き焦 がすように皮膚を裂 きながら、
印文 を模 る傷跡を辿 って腕 を這 い登る。
蒼火はいつしか彼の胸に達し、心臓を刳 り出した。
〈 ドクン ... ! 〉
息が詰まる程に強く打ち付ける脈 。
だが、胸を裂かれる苦痛とは裏腹に ... 高揚する。
カーツェル呻 いた。
「... フェレンス... 嗚呼 ... ... 」
ポタポタと流れ落ちて止まなかった血が、瞬く間に乾き、気化するかのように散る。
駆り立てられ上気し、カーツェルは身を反 らして咆哮 した。
〈 ヴ オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙ ォォォ... !!!! 〉
「さあ、跪 け。 ... この関係を望んだのは、お前だろう? カーツェル ... 」
憂 う瞳を伏せて囁 く。
先頃とは一変して ... フェレンスの声は悲しげだった。
散り々になった儀球の欠片 は、崩したパズルのように拡散 し。
幾 つもの魔法陣となって術者を囲 う。
一部は歯車のように結びつき。
また一部は複製と相対を繰り返した後 に結合。
義球内部を流れ星のように行き交う印 は時に表を返し、四方に紡 がれた。
この複雑怪奇 な魔法陣は、複合錬金における回路基板。
カーツェルの古傷を這 う蒼火は、楔 の発動を意味した。
楔 の法 ... それは、魔導兵を召喚するにあたり、
契約者を相応 しき器 に換 える。
術者に命を捧げると誓った者の潜在能力を引き出し、
何倍にも増幅させる覚醒段階に施 されるのが主 。
つまりは、契約者の身体 に刻 まれた法ノ枷 を通じ。
力の暴走を防ぎつつ、制御 するための呪縛 である。
また、文字通り。
互 いの心身を強く結び付けることによって。
己 が全てを召喚の糧 とし捧 げる事となる、契約者の魂に限り。
術者の保護下に置く役割もあるとされている。
――― 覚醒 せよ ... ...
〈Despierta la habilidad ... ... 〉
フェレンスの命が下ると共に、進化していく生体。
カーツェルの腕 の傷が発する蒼火は冷気を伴 い、やがて彼の心臓を凍らせる。
だが、鼓動を失っても彼の発する狂気的な唸 りは止まない。
失われし ... 禁断ノ翠玉碑 に記された異端の法。
複合錬金・覚醒術。
一個の生命体を人為的に変異させる、その技 は、
故意に魔物を創り出すも同義であることから、異端の並びに属する。
認可も無く施行 すれば、謀反 と見做 されるのだ。
フェレンスの拘束 を望んでいたクロイツの狙いはそこにある。
だが、本来であるなら認可が取り消されることなど有り得 なかった。
何故 ならば。フェレンスの後楯 には、とある権力者がいたからだ。
クロイツの対話相手と、カーツェルの言うアイツとは、共通の人物に他ならない。
フェレンスは裏切られたのか。それとも ... ...
疑惑の背景で、轟音 と共に半壊した医院の残骸 が、土煙を上げながら蠢 いた。
カーツェルの放 った風刃には行動を制限する作用も含 まれていた模様。
所謂 、呪いである。
鈍 い動きで、とうとう、その薄気味悪い姿を晒 す魔物。
だが、それはまだ変異半 ばと思わしき形態。
ノロノロと中途半端な反撃を見せるも、実にわざとらしいと感じた。
狙いは何か。見え透 いている。
それを形成する人格の狙いもまた、〈異端ノ魔導師〉なのだ。
だが、思い通りにはさせぬ ... ...
カーツェルは思った。
下僕 の支配を示唆 する ... 主 の詠唱 を聞きながら。
〈 嗚呼 ... 偉大なる魔導師。敬愛する主 よ ... ... 我 に力を ... ... 〉
斬 り付けられるような痛みにすら心地よさを覚 える。
陶酔 する彼は知らず識 らずのうち、式礼に従 じていた。
走馬灯のように霞 んで見えるのは、幻覚だろうか。
最中 の折り。
カーツェルの両腕に刻まれた枷 ノ刻印が、蒼火を弾いてくっきりと現 れた。
一見すると刺青 のようにも見えるが。
... 違う。
青光りし主 と繋がる楔 の具現は、冷たく。
全身の肌を青白く染 めた。
衣服は長い腰布 に変じ、彼の容姿もまた変貌 する。
雄々 しき獅子 の 鬣 に幾重 にも並ぶ頭角。
数種の羊 、そして鹿 、それぞれの特徴を合わせ持つそれは
身体を巡 る刻印と通じ、主 の魔力をより強く反映して輝いた。
痛みと幻覚から解放された彼は、勇 み引き締まる面差しを持ち上げ。
やがて、背後の魔物に対し向き直る。
百足 のように伸びた胴体 をうねらせるそれは、野太い声で語りかけてきた。
〈随分 と待った。
... さて。異端ノ魔導師の下僕 。主人のもとへ案内してもらおうか〉
獣 の唸 りに近い。だがそれでいて驚くべき事に。
麗 しい雰囲気を漂 わせる若者の声が重なって聞こえるのだ。
カーツェルの意識を介 し、
渓谷内を浮遊するフェレンスもまた同時に、その声を聴く。
純真なる少女。ルーリィの兄。ルーウィルか ... ...
自らの意志による変異を可能とした。これまでに類を見ない魔物の不可思議な知性。
フェレンスは、まだ見ぬ彼の内に異様な気配を感じていた。
――― 魂ノ契 ... 冥府へと誘 わんとす、嘆 ノ昇華 ...
〈Contrato del alma... Tratando de sublimar el dolor que invita al infierno ... 〉
下僕 よ ...
〈riado ... 〉
お前が命を差し出すならば、苦痛を快楽へと換 えてやろう。
〈Si usted dedica sus vidas, cambiaremos el dolor al placer ... 〉
お前が心を捧 げるならば、怒りも悲しみも喰い尽 くし、力へと換 えてやろう。
〈Si dedicas tu mente, cambia la fuerza de comer la ira y la tristeza ... 〉
呪文詠唱 が楔 を打ち固める。
杖を取り出し、展開した魔法陣を指し魔力を高めると。
谷底から吹く風に巻き上げられる銀髪が、蒼く煌々 とした光を受けて艶 めいた。
複合に用いられるのは、精神と万物の基質 。
この世に存在し得ぬ異物の精製を果 たすは、異端の技 。
基盤たる魔法陣を前後左右、そして上下に拡張し、両腕を広げると共に。
彼 の魔導師は、下僕 の掌握 を完了する。
その姿は、放光する球状の籠 に囚 われた ... 黒鳥 のようでもあった。
一方、覚醒を経 て魔人化したカーツェルは、冷気を纏 う巨体を起こし胸を開く。
喉 を鳴 らしながら深く息を吸い込むと、吐く息に チラチラ と蒼火が交 じった。
一歩、また一歩と踏み込む毎 に凍てつく足元。
そして彼は立ち向かう。
半壊した医院の瓦礫 をガラガラと押し退 けながら襲い来る魔物は、
額 を建物に叩きつけ角 でカーツェルの足元を刳 った。
案内を要求する言葉とは裏腹に。
蟷螂 のような素早さで足を伸ばし斬りつけ、肩を並べる工舎を次々と引き崩しながら。
身を翻 し縦横無尽 にそれを回避する雪白 ノ魔人は、
必要に応じ氷の壁や柱を足場にして魔物を撹乱 。
谷へと誘導するかのような動きをとった。
戦いに応じるような素振りを見せても。
自ら仕掛けることは無く、むしろ後退 していくのだ。
苛立 つ。
思惑 どおりとはゆかぬ展開に、荒々しさを増す追撃。
狙いの魔導師を屈服 させるのに正面から挑 む必要は無いのだ。
彼 の下僕 を誘 き出すに至った事の次第。
だが、このままでは境界へと引き摺 り込まれてしまう。
それでも、引くに引けぬのだ。
身の凍るような寒さに包まれた暗闇に、手足を喰われながら。
辛うじて侵食されぬままに残った心臓の放つ薄明かりのもと ... とある若者が呟 いた。
『今ここで、片腕を折らないと ... 魔人を冥府 に沈めないと ... 』
あの異端ノ魔導師に、〈禁断ノ翠玉碑 〉の
在処 を吐かせることなんか、出来るわけがないんだ。
『何としても、取引に持ち込んでやる ... ... 少し時間がかかりそうだけど、
良い子で待ってるんだぞ ...? ルーリィ ... 』
必ず世界を変えてやるから ... ... もう、二度と ...
もう、誰にも ... お前を、穢 されないように ... ...
退 く魔人の背後に渓谷が迫 る。
早く ... 奴に注 がれる膨大 な魔力を絶 つんだ ... ...
早く ... 奴を殺して、魔導師の力を半減させるんだ ... ...
ある時、魔物は長い胴体を高々と持ち上げ、
鱗 の合間から突き出た背鰭 に憎悪の獄炎を孕 ませた。
谷の何処 かで待ち受けるフェレンスの、刺 すような視線を感じ。
激しい危機感を覚 えたのだ。
霧ノ病に侵 された若者の成 れの果 て。
だが彼は魔物 化してもなお暴走もせず。
未 だ自我を保っているかのよう。
あらゆる欲を失い、心が麻痺 していく過程に例外は無いはずだが。
何故 ... ...
渓谷 の間 に浮遊し留 まるフェレンスのローブが、吹き付ける風に激しく靡 く。
複雑な魔法陣を展開する儀球 の内側にいて、杖を振 るい操作する中。
カーツェルの能力を司 る魔法陣を目の前に印 を記 し換 える間 も。
フェレンスは、とある可能性について思いを巡 らせていた。
ともだちにシェアしよう!