憂慮(ゆうりょ)を余所(よそ)に。 彼(か)の魔導師は、眈々(たんたん)として言い放つ。 ――― 嘆(なげ)きの炎と魂の融合(ゆうごう) ... 　　　〈 Fusion de la llama del dolor y del alma ... 〉 　　　 卓越(たくえつ)した器(うつわ)に宿る精神を糧(かて)とし、降臨せよ ... ... ！ 　　　〈 Usa el espiritu que mora en la vasija excelente y suelta ... ... ！ ) 緊迫(きんぱく)する空気が無音を錯覚(さっかく)させた。 フェレンスの指揮を読む支柱(インスタンス)が共鳴し。 内なるオーロラを震わせながら膨張する過程において。 発動する... 〈魔法陣複合総体(マギスクラスター)〉 ... ... 数え切れない魔法陣を同時展開した義球(オブジェクト)は、魔導兵の第二の心臓とも言えるだろう。 渦巻(うずま)く蒼(あお)き火柱のもとに跪(ひざまず)く魔人は、 銀白の鬣(たてがみ)を振り払い、尖鋭(せんえい)たる眼光を発す。 白い肌に生じた亀裂(きれつ)が溶岩のように赤黒い血肉を見せ。 その上を氷鱗(ひょうりん)が追従(ついじゅう)したうえ霜(しも)を散らすと。 再変成された着衣が魔青鋼(オリハルコン)の鎧に変じて肉体を覆(おお)っていった。 斯(か)くして目覚める。 〈戦神(オーディン)〉　... ... 彼こそは、神の意識(スフィラ)の一部を司(つかさど)りし闘争心の具現。 神化を経(へ)て再生誕を果たしたカーツェルは、 黒騎士の装(よそお)いで主の前に降り立ち、霹靂(へきれき)の差す槍を振り翳(かざ)した。 　　　精神を形成する心理のそれぞれは、神の意識(スフィラ)において〈格(かく)〉たる神々へと通じる。 　　　亡国の民は、その扉と鍵を開示(かいじ)し操る禁断の技を得(え)てして、彼ノ尊(かのみこと)と対峙(たいじ)したのだ。 散り々(ちりぢり)になった意識を辛(かろ)うじて繋ぎ留(と)めながら見る ... 戦神の姿。 それも、やがては薄れゆく。 若者は微動(びどう)だにせぬまま。 血溜(ちだ)まりに沈みかけの瞳から、光が失われていく次第、 妹を愛す兄としての自我もまた ... 崩れ落ちていくかのよう。 何者かが言う。 「ルーウィル ... 彼はね？ 自分があの娘(こ)の兄でさえなければ、 　彼女が自らの身体(からだ)を辱(はずかし)めてまで金銭を得(え)る必要はかった ... 　そう言って、己(おのれ)の無力さに絶望していたんだよ ... 」 心穏やかだった若者に根ざした絶望(それ)は彼を境地へと誘(いざな)い。 虚構(きょこう)を操る力を授(さず)けた。 「だから僕は、彼にこう教えてあげたんだ。 〈絶望によって開かれる世界もある〉と ... 」 亜空間に満ちる血潮(ちしお)の波間に降り、つま先を浸(ひた)す、その者の名は。 「初皇帝・ユリアヌス ... ... 」 フェレンスは彼を知っていた。 「やはり貴方だったか ... ... 」 清純を湛(たた)える浅葱(あさぎ)色の瞳。 白く透(す)けるような衣(ころも)を幾重(いくえ)か着流(きなが)すは、 膝(ひざ)に届く金髪(ブロンド)の先を払い、佇(たたず)む男。 彼は応(こた)える。 「やあ ... 久しぶりだね、フェレンス。 　何処(どこ)へ行ってしまったのかと、随分(ずいぶん)と探したよ。 　けど、まさか。こんな世界に居たなんてね。意外だな ... ... 」 「探した？ おかしなことを言う。 　シャンテの中枢から私を排除したのは他でもない、貴方では」 「それは君が、僕を拒絶したりするから ... ... 　でも、永久追放するつもりは無なかったんだ。 　だからこうして、わざわざ迎(むか)えに来てあげたんだよ？ 分かってくれるかい？」 「 ... ... ... 」 研(と)ぎ澄(す)まされる視線。 フェレンスの返事は無かったが、分からんでもない。 「やれやれ。〈冗談を抜(ぬ)かすな〉とでも言いたげだね。僕は本気なんだけどな。 　さて。それはそうと、フェレンス ... 見違えたじゃないか。 　数世紀でまた、一段と美しい顔立ちになったね」 一瞬にして姿を消すなり、頬(ほほ)に触れる掌(てのひら)。 「可愛いらしい姿をしていたのに。 　〈硝子ノ宮(ガラスのみや)〉を出て成長してしまったんだね。 　こんなに色気付いた血の香は初めてだよ ... 何を悲しんでいるのかな ... ？」 血に浸(ひた)る羽織りの裾(すそ)を持ち上げ、腰(こし)回りを寄せる腕(うで)。 「ねぇ、フェレンス ... 」 続けて、彼は囁(ささ)いた。 「あの竜騎士を殺してしまったコト ... まだ怒っているのかい ... ？」 だが、竜騎士と聞くなり杖の柄(え)を払い背後の幻を斬る。 転移し距離を置く虚像(きょぞう)は語気を強めた。 「殺すつもりなんて無かったのに。抗(あらが)ったりするからだ。 　シャンテの一族も、あの竜騎士もね ... ... 」 そして消える。 幻を捉(とら)えるべく、体制を切り替えるも。 打ち寄せる血潮に阻(はば)まれた。 「けど呆(あき)れるよ。堕落(だらく)したシャンテの魂なんか、後生(ごしょう)大事に影に収(おさ)めて。 　罪滅ぼしの肩代わりでもしてあげるつもりかい？」 長い時を経(へ)ているようでいて、隔(へだ)たりを感じさせぬ会話。 気配を探(さぐ)り見渡すフェレンスは、 速(すみ)やかに自らの意識回路を開き、干渉経路(かんしょうけいろ)を辿(たど)った。 義球(オブジェクト)を蝕(むしば)む禁印は全て弾(はじ)き出す。 尊(みこと)の奇襲(きしゅう)を防ぐため。 すると、配下たる黒騎士が敵意を剥(む)き出して目を据(す)える。 干渉(かんしょう)を免(まぬが)れ立ち返る主(あるじ)を背に。 「〈神格〉の高(たか)が一部に過ぎない戦神(オーディン)ごとき 。 　魂魄(ファントム)の大多数を練(ね)り上げ召喚したところで、僕には敵(かな)わない。 　 君なら分かっているはずじゃないか、フェレンス ... ！」 涼やかな声を喉(のど)の奥に這(は)わせ、唸(うな)るように彼は言う。 が、フェレンスは動じない。 「果(は)たしてそうだろうか。この境界において、貴方に敵(かな)う必要など無いのに」 すると、思いも寄らぬ言葉が発せられた。 「 ... ... ... 。ﾌﾌ ... ﾊﾊﾊ ... ... そう。そうだね。その通り。 　君は本当に賢(かしこ)いな。気が付いていたんだね。 　さすがはシャンテの中枢を司(つかさど)る〈記憶の番人〉 ... ... 　〈禁断ノ翠玉碑(エメラルド・タブレット)〉に記されし神術(みわざ)の賜物(たまもの)。 　賢者(ヘルメス)ノ詩篇(しへん)を詠(よ)み解く〈錬生体(ホムンクルス)〉... 」 初耳である。 黒騎士は息を飲んだ。 フェレンスの触れたがらない過去を曝(さら)け出す。 男の言葉は、カーツェルの動揺を誘っているかのよう。 「あたかも私の友人であったかのような口振りはよしてもらおうか」 「ああ、分かるよフェレンス。 　君はつまり、今、目の前にいる友人(カレ)だけは守りたいと考えているんだ。 　けれど、それだけは叶わぬ望みだということを分かって欲しいな。だって、無理じゃないか」 「無理 ?　神の意識(スフィラ)を彷徨(さまよ)う要塞(ようさい)に囚(とら)われた貴方(あなた)は、 　虚無の種から生じる魔物(キメラ)と同調し、操ることでしか力を振るえないはず。恐れるに値(あたい)せん ... ！」 強く言い放ったフェレンスは、戦神(オーディン)を従(したが)えると共に戦闘体勢に入る。 戦神(オーディン)が招来(しょうらい)したのは、蒼き雷(いかずち)の巨槍(きょそう)。 操られた魔物を倒し、彼ノ尊(かのみこと)、復活の道を永久に封じるつもりであった。 ところが。 「うん ... そうじゃなくてね、フェレンス。僕は、こう言いたいんだよ」 諭(さと)す声が、脳裏を駆け巡(めぐ)り。 神化体の背に差す後光の端(はしばし)々から、黄金の炎(ひ)が放たれた時。 「君の傍(そば)にいて付き従(したが)うだけの 〈器(うつわ)〉 ... そう、彼では所詮(しょせん)、僕の代わりになどならない ... ... 」 目を覚(さ)ましてあげようか... ? 白装束の袖(そで)先を払う 細い手が、フェレンスの意識を奪い去る。 霧(きり)ノ病に侵(おか)され... 無欲に陥(おちい)った彼ノ尊(かのみこと)は、 霊薬(エリクサー)により補完されたはずの精神 ... つまりは、自身の心を砕き、神化を成(な)し遂(と)げたのである。 安寧(あんねい)に不必要な思念の全てを糧(かて)に。 『虚栄(きょえい)心、懐疑(かいぎ)心、嫉妬(しっと)心 ... 憎悪を生む、あらゆる概念(がいねん)を神の意識(スフィラ)から一掃するんだ』 新世界の創造を宣言した彼は、こうも述(の)べたという。 ――― 愛する人々に幸福を齎(もたら)しめるのに、世界が正常である必要はない ... ... 狂った世界であろうとも。 それが当然であり、幸せと思える人々でさえあるならば ... 〈絶対秩序〉は成り立つと。 彼は、神の意識(スフィラ)の彼方(かなた)を彷徨(さまよ)う虜(とりこ)の身。 彼は、世界中に蒔(ま)かれた虚無の種が芽吹くのを待っている。 彼は、〈霧ノ病〉に侵(おか)されたのではない。 むしろ利用し、神の意識(スフィラ)を支配しようとしているのだ。 それが真実 ... ... フェレンスは全てを知っていた。 だが、人々に知らせるわけにはいかなかった。 当然のように、一般の民は無関係。 信じようが信じまいが、混乱が生じれば手間が増すだけ。 賢(かしこ)き者は、知らされずとも暴(あば)き出す。 人によっては利用し、更なる混乱を招きかねない。 後者に至っては、招(まね)かれざる客に等(ひと)しく、 他人の足を引っ張りたがるのだから、むしろ迷惑と言うか。 しかし、今回ばかりは別の話 ... ... と、カーツェルは思った。 折を見て、回帰した境界の下に集う兵士と役人。 連中はクロイツの指示に従(したが)い二人を包囲する。 傷だらけの上半身を屈(かが)め、地面に蹲(うずくま)るカーツェルの背後に立ったのはクロイツ。 「公会議において、本日下された最終審判に基(もと)づく達(たっ)しだ。聴け ... 」 すると、横から一歩前に出たノシュウェルが手配書を読み上げる。 「帝国軍、高等錬金術師団所属、特務士官... フェレンス・C・ウェルトリッヒ 。 　貴殿(きでん)に限られた複合錬金の特例的認可は、本日正午をもって解消された。 　よって、それらの一巻である〈境界創設〉と〈魔導兵召喚〉は神聖なる賢者(ヘルメス)の 　齎(もたらし)した聖碑(せいひ)の制約に反するものであり。異端の罪に該当(がいとう)する。 　なお、本会議では、軍法規に乗っ取り起訴、裁判を執(と)り行うことが決定済みである。 　ひいては。この手配書を以(もっ)て、担当監視官に身柄拘束の権限を与えたる旨(むね)、 　ここに通達する。... 貴殿には軍法規に従う義務が有り ――― 」 聴くのもうんざりだ。 「もういい ... ... 」 力のない声で遮(さえぎ)ったのはカーツェル。 「ああ ... 申し訳ないが、従者殿(じゅうしゃどの)は口を挟(はさ)まないでもらいたい ... 」 「いや、それよりさ ... ... 」 「おいおい、聞いてくれ ... 」 「テメーこそ聞けよ！！ もういいっつってんだろーが！！」 逆ギレか。 ノシュウェルは、書簡を持つ手をダラリと下ろして言う。 クロイツを始め一同は、そこでようやく気付いたらしいのだ。 「今のコイツに返事なんか出来ねーから ... ... 　もういいって ... だから ... ... 」 彼の肩が、声が、震えている。 「お前らこそ、きっちり仕事してーなら早く ... 　... 早く！！ コイツを助けてくれよ ... ... ！！」 振り向くカーツェルは、涙ながらに訴(うった)えた。 「罪状なんて、もう、どうだっていい！ 好きにすりゃいいだろ！！ 　けど、今だけでいい ... 今だけでいいから ... 助けてくれ ... ... ！」 傷だらけの身体の向こうでカーツェルが抱きかかえていたのは、 意識を失い、氷のように冷え切った顔色をしているフェレンスだった。 「ノシュウェル。至急、護送用に手配した多頭引き大型馬車(オムニバス)をここへ」 「 ... ... は！」 急いで信号を送れ。 結界の見張りでいい。 知らせるんだ。 慌(あわ)ただしく動く兵士らを余所(よそ)に、クロイツは半(なか)ば立ち尽(つ)くし。 号泣する執事と ... その主(あるじ)に目を見張る。 瀕死(ひんし)と見て取れた。 凍っているのか ... ?　いや ... 魔力を使い果たして死にかけているのか ... ... 「よもや 、禁呪の使い手の命を脅(おびや)かすとは。 　秘密裏に魔物(キメラ)を研究していた医師の悪行も、責めてばかりもおられんのだな ... 」 知っていた。 そんな事は知っていた。 若い頃から大人びていたフェレンス。彼は、人の何十倍もの寿命を持つ特異的生体。 そんな彼ですら、言い躊躇(ためら)う脅威が ... 世界の何処(どこ)かに存在している。 負けるつもりなんかなかった彼にとっては、それを人々に警告する必要など無かった。 分かっていたのだ。 なのに、何にもならなかった。 甘えていたのだ。 過信したのだ。 偉大なる帝国魔導師が心の奥底に沈(しず)め、直隠(ひたかく)した〈弱さ〉にも気付いてやれずに。 俺のせいだ ...　俺のせいだ ... 心の支えにもなってやれない。 俺のせいだ ... ... 主人の懐(ふところ)で泣き崩れる。 そんな下僕(しもべ)の姿は、とても見ていられない。 その場に居た誰もが、そう感じたと言う。 実際問題にして。 異端ノ魔導師が屈(くっ)した... ...　... ... その現実は、人々を震撼(しんかん)させるに有(あ)り余(あま)る衝撃を伴(ともな)った。 増してカーツェルは、第一の友人。 降る雪も ... 吹く風も ... 鎭(しず)まり、穏やかだった。 それでいて、どこか切なげに。 境界の痕跡(こんせき)が含(ふく)むオーロラの傍(そば)を、彷徨(さまよ)うようでもある。 フェレンスの左目元には、蒼火が沈着して残った。 弱々しく名を呼び続けるカーツェルは、 その後、数日間に渡って食事すらせずに ... 彼の目覚めを待ち続けたそう。