17 / 61
第三章◆魔ノ香~Ⅴ
急な道曲 がりを駆け抜ける箱馬車。
大量の藁 と共に突き落とされた少年の身体 は、遠心力により随分 な距離を転がった。
小道に沿 ってゴロゴロと。
路面に散る藁 の上を泥団子のように。
無事と言えば無事。
少女に着せられた羽織りと、下り勾配 が幸いしたよう。
ところが、突き当りに差し当たって、 ゴツン!
塀 に後頭部を打 つけ、鈍 い音がした。
勢 い余 って背中から逆さまにへばり付く。
少年の身体 はやがて、ヘニョヘニョ ... と、くの字に倒れ込み静止。
ようやく止まった ... ... と、少年は思う。
が、しかし。直後に自覚する後頭部の激痛。
「 ン ! ン !! ... ... ヤァァ ... イ タ イ ...!」
ぶつけた頭を揉 みくちゃにしながら身体 を起こすも。
目を回している少年は、再び前のめりに身を横たえた。
参 った。これは参った。
ゴロンゴロン。
暫 し悶絶 する。
そしてまた、ある時。
どこからか響 く蹄 の音 。
青褪 める少年は直 ぐ様に建物の隙間 へと駆け寄り、身体 を押し込んだ。
囚 われの身であったこと。
理解はしているのだ。
馬車から落ちた藁 の量に疑問を抱いた引受人は、周辺を詮索 している模様 。
入り組む地下構造 は少年に味方していた。
たん瘤 がズキズキと痛むのに、声一つ漏 らさず。
不審な物音がする間 は、物陰に身を潜 め。
しゃくり上げる呼吸を押し殺すようにして堪 え忍 ぶ。
――― 人の目に触れてはいけない。
〈紅玉 〉などと、等級で呼び付けてくるような者であれば特 にも警戒するように。
そう聞かされ育った少年にとって、
言い付けを守ることこだけが、恐怖を紛 らわせる唯一 の方法であった。
『おい。忘れるんじゃねーぞ。 外の人間に喰 われたくなきゃ、じっとしてるんだ ... ... 』
しかし、少年に繰り返し教えてきた男は姿を消したきり。
彼の血の匂 いはもうしない。
会いたくても叶わない。
恐らくは、もう二度と ... ...
死という別れ、それがどういったものであるのか。
少年はまだ、よく知らない。
男の最期 を見ていないし。
もしかしたら ... そんな気持ちもある。
納得できないと言うよりは、知ることを恐 れたのだ。
込み上げる悲痛。
堪 えきれず蹲 って泣いた。
大粒の涙をいくつも目元から零 して。
「 ... ゥ ... ゥゥ ... ァァ ... ... 」
頭を撫 でてくれた男の手の温もりが、只 、恋しかったのだ。
船寄せ場の吹き抜けに面する、商道沿い。
所々 に差す窓明かりも避 けながら。
あてもなく。
走って。 走って。
泣いて。 また、走って。
風が通り抜 ける階段や細道を辿 る。
ほぼ 々 その繰り返しで迎 えた ... ... 真夜中の事。
疲れ果 てた少年は、フラフラと ... おぼつかない足取りで。
中層の荷受場 に停泊した中型船の横を歩いていた。
目が眩 み、視点も定 まらない。
重い瞼 の合間 に見る道沿 いの景色はグラグラと揺 れ。やがて傾 く。
気付けば、石積 みの渕垣 に倒れ込んで息だけしている状態。
空腹は疎 か、喉 の渇 きさえ忘れた身体 で何時間も彷徨 っていたのだから、無理もない。
体力の限界に達し、意識を失う寸前 。
人気 の無い水場を穏 やかに吹く風は、仄 かな干し草の香 を纏 い。
幼子 の鼻先を撫 で行く。
ハッ ! とし、意識を取留 めるに次 いで。
少年は目を凝 らした。
目の前に立て掛けられた棒 のようなものが、まず気になったのだ。
とは言え珍 しいことなど何も無い。
ただの木組み梯子 だったが。
どうやら船への乗り降りに使用されたまま放置されていたらしい。
そうと分かると、這 うようにして登りはじめる。
藁 の香りに誘われ、甲板 に下りた小さな身体 は、
スンスン と鼻を鳴 らし風を吸い込んだ。
そうして見つける藁 の山。
寝かけている少年は、力を振り絞って飛び込んで行った。
空になった木箱から溢 れる、その袂 へと。
スボッ ...! カサカサ カサ ... ... モソモソ ... ...
いつしか寝息をたてはじめた少年を優しく包 むは、お日様の香り。
数時間後。
地上が日の出を迎 える頃には、交換運河の水位堤 が開かれる。
宿泊先から戻る船員の業務開始を告 げたのは、予約制船舶昇降機 の稼働音 だった。
水位上昇を受け待機 する間 も、陽の温もりを含 んだ藁 の中。少年は眠り続ける。
地上が近づくにつれ、降りはじめたのは丘の霧 だろうか。
船は、まるで雲の中。
甲板を見渡して歩く一人が言った。
「酷 ぇな ... これじゃあ、詰 め藁 を湿気 らせちまう ... 」
取引先農家の手間を増やしてはいけないので、何とかしなければ。
すると若い男が目上の言葉を察し、奥から覆 いを持ち出してきた。
そこで気が付いたよう。
「ん? 何だコレ ... 」
藁 の山が モソモソ と動いたので、顔を顰 める若者。
覆 いを放りかける手を引っ込め、彼は少しばかり身を屈 めた。
目上は、分かりきっているとでも言いたげな表情。
「ははん。さては、また ... 地下街のネズミが潜 り込んでやがんな?」
「えぇ!? まさか、こんな、大量にですか!?」
「んな訳 ねーだろ! ネズミったって、アレだよ」
「アレ ... って、ああ。そう言えばオレも昔 ... 」
「だよな。この辺の悪ガキなら、一度はやる」
彼らは同時に藁山 へ両手をぶっ刺し、中を弄 りはじめた。
ワサワサ、モソモソ。
「いた! やっぱり!」
あえなく摘 み出された少年は、寝ぼけ眼 で返事もしない。
船員が説教して聞かせても、若者に担 がれたまま、二度寝する始末 だった。
話は通じない。怒鳴りつけても疲れきった様子で瞼 も開けない。
呆 れた船員は、農家から荷を引き受ける間 に少年を丘野 へ降ろし、その場を去った。
「見かけない顔でしたね、親方 」
「ああ。しかも、あの身なりじゃなぁ」
どこぞの貴族が不正に買い付けた奴隷やもしれぬ。
「厄介 事にでも巻き込まれた日にゃ、仕事にならんからな。
そろそろ巡視船 が通るはずだし。保護してくれりゃ良いんだが ... 」
「て、言うか。どこぞの貴族って?」
迷子を一時 、面倒みたと言う同業者の不審死に纏 わる噂 だが。
聞けば誰もが口封じを警戒するだろう。
「聞きてぇのか ? 面倒な事になっても知らねーぞ?」
「ぇ ... 何それ。凄 ぇ ... 怖いんですけど ... 」
とは言え、子供一人を置き去りにするなど酷 な話。
船から降ろされフラフラと林へ向かい歩く少年を見れば、胸が痛 む。
それでも彼らは、自身の生活と家族を守る事が最優先と判断したのだ。
身の程を弁 えるとはそういう事。
仮に逆の立場であったなら。
巻き込んで恨まれる場合も想定出来るのだから、良し悪しだって人それぞれと言える。
片 や、飲まず食わず。
栄養の不足が著 しい少年の思考は、ほぼ停止状態だった。
昼過ぎまで林を彷徨 い。
木の根元に倒れ込んだまま動かなくなることも屡々 。
そんな時。
林に沿 う温室で果実の収穫をしていた娘 が、帰り際に桃色の実を二つ落とす。
風が運んだ甘い香りに反応し、少年は素早く駆 け寄 って行った。
ところが、転がる実を追いかけてきたらしい娘 と目が合うや否 や。
「「 ヒッ ... ... !! 」」
二人とも同じように声を上げて、来た道を引き返す。
転がる実に気を取られ、互 いの気配に気付かなかったらしい。
けれども、その途中。
相手は、まだ小さな子供であったと思い返して立ち止まった。
娘 は振り向く。
何があったのか、尋 ねてみようかと。
対し、実を持ち去る少年は一目散 。
林の奥へと姿を消してしまったのだから呆気 にとられるばかり。
それから、どれくらい歩いただろう。
果実に齧 り付いて、モグモグ、ムシャムシャと食しはじめた少年は、
あっという間に元気を取り戻していった。
しかし、これからどうしていいかも分からず。不安は募 る。
昼間の林は色とりどりの草花で溢 れ、穏 やかだった。
それが、せめてもの救い。
一つ目の実をたいらげたら、また二つ目。
齧 り付いては林を見渡して歩く少年の瞳は、陽の光を受け明るく輝いた。
そして、積もり積もった不安も一瞬で忘れてしまう。
そんな光景が目の前、一杯 に広がったのだ。
背の高い木々の合間 を縫 って飛ぶ群 れを仰 ぎ、ひしと見つめる銀色の瞳。
そこに映るのは、碧 く、それでいて水のように透き通った幻ノ蝶 。
得 も言われぬ感動を覚 えて、食べかけの実を落としかけるも。手放すより先に齧 り付いた。
空腹を満たす一方、自らも パタパタ と足並みを揃 えるようにして追って行くと。
ハッ として気付き、思わず声が漏 れる。
口にする実も離さぬまま。
「 ンム ... !? ンムム... !!」
少年は足元から昇 っていくそれらに目を丸めた。
蝶 の幻 と交差する木漏れ日が、次々と地面から浮き上がり。
煌々 と輝く青い宝石を散りばめたかのような道を作り上げていくのだ。
彼はやがて、林の抜け目に消えていく蝶 たちを見送り。
自 らも一歩、また一歩と、林から踏 み出る。
口に放 こんだ実は、最後の一欠 。
ゴクリ と飲み込んでから、少年は駆 けだした。
行く先には、小川を跨 ぐ細い石橋と、三階建ての建物が一つ。
消えていったはずの蝶 を見かけた気がしたのだ。
石橋の前の窓から覗 き込んでみると。
中は何やら物騒 がし気 。
意識の無い黒髪の若者を部屋から運び出す人々を目撃するなり。
咄嗟 に首を引っ込めた。
けれども、視界の端 に一瞬だけ写り込む。
銀色の ... フワフワ、サラサラとした何か。
人に見つかるかもしれない。
そう思うと怖かったが、どうにも気になって仕方なく。
少年は再度、中を覗 いて息を飲む。
フワフワ ... .... サラサラ ... ...
開 きかけの窓から吹き入れる、そよ風が ...
ベッドに横たわる男性の銀髪を揺らしていたのだ。
掛布 の下には紫紺のローブ。
窓枠 に足をかけ、よじ登っていった少年が、
降りる間際に躓 いて激しく床に転がり込んでも。
若者を運び出すのに忙 しい人々は、気付かない。
昨晩、作りたての瘤 を再び打ち付け、 ヒンヒン と上げる声も。
目の前で眠る男性にすら、聴こえていないようだった。
後頭部の痛みが収まってきた頃。
ベッドに寄り添い、肩口にそっと手を添 える少年。
ローブに触れた指先が火照 るように感じ。
不思議な高揚感を胸に抱いた彼は、ふと思う。
もしや、この羽織りの中は ... ... 藁 の中で眠るより心地よいのではなかろうか。
そんなことを悶々 と。
蝶 を追っている間 。
両手に抱えるほど大きな実を二つも食 し、満腹なせいもあるだろう。
睡魔に襲われ瞼 が重い。
理由は、その他にもありそうだが。
何より少年を安心させたのは、眠る男性から漂う、乾 いた藁 の香りと、
今は亡き、あの男に似た ... 心穏やかな人間の持つ〈血〉の香り。
うたた寝をはじめた少年は無意識に掛布とローブを捲 り上げ、潜 り込んで行く。
それから身体 を丸めると、すっかりと脇 に収 まった。
とは言え、やはり不自然な膨 らみ。
「 ... ン、フゥ ... ヌクヌク ... 」
その上、時には寝言まで漏 らしていたと言うのに。
選 りにも選 って、どうして誰も ... ... 彼の存在に気付かなかったのだろう。
ともだちにシェアしよう!