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第四章◆血ノ奴隷~Ⅹ

      フェレンスの身体(からだ)を押して草の上に寝かせ、騎士が上になれば。 すっかりと隠れてしまいそうな体格差。 持ち上げた(あし)の下に(ひざ)を滑り込ませると、 草と背の(あいだ)に手を入れ、次には深々(ふかぶか)と差し込む。 ああ ... そこは、やめておけ ... ... (みずか)らの(こし)を前後に(しな)らせる騎士の動作には、目も当てられない。 違和感を覚えたらしいフェレンスは、仕切りに騎士の(こし)回りを気にしていた。 すると、庭園に面する施設の司書だろうか。通り掛かる気配。 『誰か来ます。グウィン ... (よろい)を、急いで ... 』 『いいえ、どうかこのまま。()せていて』 『竜騎士であると知られては ... 』 『私が(ばっ)せられるだけ。(かま)いません』 『そんな ... !』 嫌でも聞こえてくる会話。 『何より、今、この状態では ... とても鎧なんて ... 』 『え? あ ... 具合が悪いなら、来る前に言ってくれたら良かったのに!』 違う。そうじゃない ... ... 下半身の状態を見せても、案の定フェレンスには伝わらない訳だが。 残念だったなエロ騎士め。ざまぁ見ろ!! なんて、思ったところで声にならないのだから(くや)しい。 『こればかりは、さすがに』 『なら、私が出て行って他所(よそ)へ』 『こんな格好で ... ですか ? 』 『貴方(あなた)悪戯(イタズラ)するからでしょう? 手を退()けて下さい、グウィン』 その上、フェレンスは(はだ)けそうになる(ころも)(おさ)えるばかりで、ほぼ無抵抗なのだ。 嗚呼々(ああああ)... ... !!!! 金縛(かなしば)りにでも()っているよう。 息だけ抜けていく(のど)()(つぶ)したい。 『嫌だ ... 行かないで ... 居て下さるだけでいい。こうして居て下されば、()ぐに ... 』 情欲の込もる騎士の声を聴くと、カーツェルの腹の底に溜まりに溜まった苛立(いらだ)ちが爆発した。 『()ぐに、済ませますから ... ... 』 この、変態野郎(やろう)がぁあぁぁぁぁぁぁ ... ... !! 「いい加減に ... ... し や が れ ――――――!!」 夢だった。当然。分かってる。 (いきお)(あま)って身体(からだ)を起こしたカーツェルは、息を切らし汗ばむ(ひたい)に手を当てた。 「 ハァ ... ハァ ... どうしてこんな ... 」 困惑(こんわく)し、言葉にならないが。 夢にまで出てくるのには、何か意味があるのだろうかと考えると、 ロージーに言われたことを思い出した。 俺と、奴が()てるって ... ... ? 心当たりがあるとすれば。理不尽なところとか。 笑えねーよ ... ... 投げたブーメランが自分に刺さる心持ち。 フェレンスの過去になど興味は無い。 出会ってから共に過ごした時間だけが、(たが)いにとっての(すべ)てだと思っている。 なのに何だ。あの変態騎士め。共有する必要のない未練など。 何のために押し付けてくるのだろう。 「 ... ... 俺には関係ねーだろうが ... ... 」 馬鹿げてる。その一言に()きると感じた。 それで終わり。今はもう、何も考えたくないのだ。 脱力して(まくら)に頭を投げ出すと、カーツェルは目を閉じて心を(から)っぽにする。 そうでもなければ、寝付ける気がしなかった。 ところがだ。 「悪夢か。酷く(うな)されていたな」 いざ(たず)ねられると、つい、答えてしまう。 「ああ、もう、まいったぜ ... ... 」 良くぞ聞いて下さいました。 「 ... ... っ て ... ... 」 いや待て。 待て待て待て。 顔を上げると目が点。 「どわあぁあぁあああぁぁぁ!?」 心臓が身体(からだ)中の血を一気に押上げた(いきお)いか、飛び上がってベッドの(すみ)まで退()き去る。 「内容は?」 目の前にはフェレンスが居た。 ドアに背を(もた)(うで)を組み、こちらを見ている。 「 ハァ、ハァ、 つか!! ここ俺の部屋じゃなかったっけ? だよな!? え!?  どうして、お前が居んの!? な なな な な 何、勝手に入って来てんだ!?」 早くに休むと言うので支度(したく)に付き()い、寝床(ねどこ)に入るまでを確認したと思ったが。 そう言えば、着ているものが違う。 スラックスにベルトもしていない。 シャツだけ着込んで来たのか。 彼の身形(みなり)隅々(すみずみ)まで見て状況を把握(はあく)。 カーツェルは小刻みに息して気持ちを静めた。 (かた)やフェレンスは、お(かま)いなし。 (ただ)、質問を繰り返した。 しかも()め息までして。 「 ハァ ... 落ち着いて、答えるんだ。 ... 内容は?」 「 ハァ!? 何、()まし顔キメ込んでんの!? 人の部屋に押し入っといて何!?」 お(かげ)で返す声が裏返る。 「カーツェル ... 聞きなさい」 「テメーがまず聞けっつってんだよ!!  どんだけ人の話スルーしてんだ! ああ!? こら(ゴルァアァ)!!」 それから、まず、その太々(ふてぶて)しい態度をどうにかしろって。 なぁ、なぁ、聞いてる ? 言っても(ほぼ)、聞き流されているよう。 フェレンスは眉間(みけん)()みだした。 空気読め。 これだから、頓馬(とんま)だなんて言われんだよ。 言ってんのは俺だけだけど。 カーツェルは目の下を引き()らせ、とうとう絶句した。 だが、よく考えてみると。無断で入室してくるくらいだ。 やはり見透(みす)かされていたのだろうと思う。 どう振る舞おうが、白々(しらじら)しく見えるに違いない。 誤魔化(ごまか)そうが何しようが。黙認されていたのだ。 それでいて今更(いまさら)、あえて(たず)ねるのか。 寝姿を盗み見られたことよりも、彼の身勝手(みがって)に腹が立った。 それなら、こちらにだって考えがある。 納得できる答えを聞くまで、そこから退()かないつもりだろうが。 追い返す。 横柄(おうへい)な身振りでベッドから立ち、おもむろに(せま)るカーツェル。 (ドア)を開こうとする一方で、肩を(つか)み押しやってくる手。 フェレンスは(がん)として動かなかった。 「聴く気がねーなら出て行けよ」 「答える気のない お前に言えたことか?   昼間もそう。初めから言わせる気の無い態度だったな」 痛い ... ... 「いいから戻れよ。夜中だぞ。いい加減にしろ」 「なら、答えやすいよう質問を変える。夢に見たのはグウィンの記憶か?」 確かに、その質問に答えるなら一言で済む。 (うなず)いたっていい。だが、答えたらどうなる。 「黙れよ ... 」 考えたくなかった。 「彼の(たましい)を通じて過去を(のぞ)かれる私の身にもなってくれないか ... 」 「お前らのことなんか知らねーつってんだよ。ほら、もう、大人しく戻って寝ろ ... 」 考えたくなかった。 「意識の侵蝕(しんしょく)が進めば、お前の記憶や心情にまで影響(えいきょう)(およ)ぼしかねない。今ならまだ ... 」 「黙れっつってんだろ ... !?」 大人しくなどと言っておきながら、自分はどうだ。 声を()る相手を見てフェレンスは目元に遺憾(いかん)を込めた。 不安を(ぬぐ)いたいのか、頭を振りカーツェルは続ける。 「これは俺の問題だ!! テメーには一切関係ねー!!」 これは、そんな彼への制裁(せいさい)。 フェレンスは(うで)を振り払って距離を置いた。 そして、手の(こう)で彼の(ほほ)を打ち(はら)う。 〈 パシィ ――― ... !〉 (ゆる)やかに(しな)る黒髪で顔を隠すように(うつむ)き。 カーツェルは短く切るように肩で息した。 「見上げた根性をしている ... 」 対して、低く、強く、言い(はな)つ。 フェレンスは()いだその手を更に素早く突き出し、カーツェルの(ひたい)(つか)み込んだ。 「では、こちらの思うところも、お前にとって不都合であろうがなかろうが、  関係ないと言う訳か。... ... なるほど。いいだろう。私にしてみれば、むしろ好都合」 バリバリと凍てついていく湖面のように、熱を(うば)眼差(まなざ)しに(とら)われた瞬間。 ハッ とする。だが、考えていたのでは間に合わない。 二本の指で蟀谷(こめかみ)を抑えられ、咄嗟(とっさ)に口を()いた。 「忘れたくない!!」 それ以上は言葉にすらならず。(のど)(つか)えているよう。 両者共に口を閉ざし、見合っていると。フェレンスが先に手を下ろした。 制裁などと、如何(いか)にもらしく言い(ただ)せど。 自分だってそう、単に彼を黙らせたかっただけと思う。 脅しかけに痛みを加える必要など無かったのだ。 緊迫した空気が フッ ... と(やわ)らいだのを感じた途端(とたん)、カーツェルは息切れを起こす。 フェレンスは静々(しずしず)と語った。 「装置無しでの消去には複合総体並(クラスターなみ)(じん)形成が必要だ。  安心していい。そう簡単に()せるものでは ... ... 」 だが、様子がおかしい。 言葉尻が弱々しく、途切れ 々 。 背を向けるフェレンスを見れば、肩が、腕が、手が、震えている。 カーツェルは、これまで抱いていた恐れも体裁も投げ出して、目の前の背を包み込んだ。 「 ... ごめん ... ごめん ... 」 「何故(なぜ)、謝る。お前を変えてしまいかねない事をしたのは私だ」 「いいや、違う。そうさせたのは俺じゃねーか。それに、この先のこともある」 この先 ... ... フェレンスは深く(うつむ)いて聞く。 「この先。もしかしたら ...  お前が知られたくない事まで、夢に見る日がくるかもしれないだろ。  けど 許してくれ、フェレンス。俺は、それでもここに居なきゃいけない。  だから ... 例え、俺なのか、あの騎士なのかと思うような事があっても、  頼むから ... ... フェレンス、頼むから ... ... 」 彼は繰り返した。 「頼むから ... 変わってく俺を受け入れてくれ ... ... 」 とても居た(たま)れない。フェレンスは首を振る。 その耳元に(ひたい)()り付けながらカーツェルは懇願(こんがん)した。 頼む ... フェレンス、頼む ... 「少し考えたい。離してくれないか ... 」 震えの収まらない手で(うで)(ほど)く。 フェレンスは(めずら)しく動揺しているよう。 思うように動かない身体(からだ)と、いくら(たな)に戻しても 落ちてくる本のように整理のつかない気持ちを持て(あま)しているのだ。 彼によって(ほど)かれた(うで)を下ろすカーツェルは、 無言で部屋を去る背を見送りながら思い返していた。 先の夢においても、そう。 フェレンスは騎士の押しに弱かった。 何という皮肉(ひにく)。 これは、(みずか)らの選択によるものか。 騎士の情に影響された結果か。 もう ... 自分ですら分からない。 彼は(ひと)(たたず)んだ。 フェレンスが置いていったらしい手持ちランタンの(あか)りに()らされながら。 どれくらい、そうしていただろう。 テラスとの(あいだ)を仕切るアコーディオンドアの(ふち)(もたれ)れる(シルエット)は、 発光植物で(あふ)れる中庭の風情と馴染(なじ)み、一枚の幻想的な灯絵(あかりえ)を描くかのよう。 フェレンスは(うつむ)いたままだった。 寝室に戻ったところで、横になる気になどならなかったので。 一つ 々 、思い返しては再確認していたところ。 よくよく話して聞かせたうえ、()るつもりであった手前。 今更ではあるが。彼の口から〈この先〉と聞いて、真っ先に思ったのだ。 元より ... 彼を裏切るかたちで去るより他ないのだと。 引き下がる気のないカーツェルは、取り残されると予期していながら(すが)って来た。 こちらも予想はしていたのに、どうしてだろう。 得体(えたい)の知れぬ、あの心痛が以前にも増し。 呼吸をも(さえぎ)ったのだから。 危機感を(いだ)かずにはいられないのだ。 少年期のカーツェルに付き(まと)われた頃を振り返ってみても、そう。 修道院裏手の高い(へい)を、毎回 々 、あの手この手で乗り()えては、 時に大怪我(おおけが)しかねない高さから落ちてくる。 彼の()すこと(すべ)てが、想定するところの(なな)め上。 思わず()()れば、作戦通りと言って笑う。 頭を打っていたら命に関わると(さと)しても、覚悟の上だと。 その当時から悩まされていた痛み。 だが、度を越し始めたのは不味(まず)い。 いくら(あしら)っても、めげずについて来る幼き日のカーツェルの様子と、 かつて思い合った騎士の命が失われた日の情景が ... 断片的(だんぺんてき)に、(いく)つも 々 、脳裏を(よぎ)った。 ()すべきを()げる〈記憶〉の警鐘(けいしょう)だろうか。 嗚呼(ああ) ... まただ。息が ... 心臓が ... 苦しい。 フェレンスは胸元を(おさ)え、冷や汗の(にじ)(ひたい)硝子(ガラス)戸の(ふち)に当てた。 呼吸を整えていると、(ひか)えめに戸を叩く音が(ひび)く。 廊下に立ち、扉の間近で耳を()ませていたのはアレセルだった。 制服のまま。真夜中を過ぎるというのに、寝支度(ねじたく)もせず起きていた様子。 気配を(さっ)し、フェレンスは目の前の硝子(ガラス)面に手早く鍵印(けんいん)(しる)し、指を()らした。 すると、同印の記されたリビングの扉が開かれる。 〈 カチャリ ... 〉 手も掛けていないのに。 フェレンスの私室のドアが、スッ ... と向こう側に()いたのを見てアレセルは顔を上げた。 入室を許可されたものと思い、()み入ると。書斎を()て寝室へ。 扉に触れる直前だった。 彼は、向こう側から持ち手を握り(うずくま)っているであろう気配に呼びかける。 「そのまま、深呼吸を続けて下さい」 そして、留め金(ラッチボルト)が下りたままの扉をゆっくりと手前に引いたうえ。 (うずくま)った姿のまま、力無く倒れ込んでくる身体(からだ)を受け止めるのだ。 「負担を掛けて、すまない ... 」 「いいえ。お連れしたのは僕の方なのですから」 身体(からだ)を支え、ベッドの(そば)まで連れ歩き座らせる()に、アレセルは(たず)ねた。 「あの男を裏切ることが、そんなにも ... お(つら)いのなら 〈記憶〉に(あらが)ってみても(よろ)しいでは?」 「それは ... 出来ない ... 〈記憶〉が()げているのは彼の ... ぅ... ! 」 ところが、胸元でシャツを(にぎ)りしめるフェレンスは無呼吸と過呼吸を繰り返す。 「すみません。もう、何も(おっしゃ)らずに ... どうか息を」 答えを聞く前だが、アレセルの方から質問を取り下げた。 騎士に感化されていく ... あの男の〈この先〉に起こり()る事、如何(いか)なるや。 影響を受けたものと分かる行為を目の当たりにしてなお、 (こころよ)く振る舞うなど、可能であるか(いな)か。 見出(みいだ)す前から拒絶(きょぜつ)感を(しめ)すフェレンスの肩を(かか)え。 ゆっくりと寝かせてやりながら、(みずか)らが着る制服の前()めを外していく。 立襟(スタンドカラー)のシャツを開くアレセルの左胸には、乱雑に縫合(ほうごう)された手術(こん)が存在した。 フェレンスの胸を(はだ)身体(からだ)()せていくと。 共鳴するかのように(あと)(かこ)い、浮かび上がる蒼ノ印影(あおのいんえい)(たが)いの鼓動が耳の奥を打ち、反響(はんきょう)する。 動け ... ... そう(ねん)じ、心臓の位置を(そろ)えるように肌を合わせると、フェレンスの背筋が()り上がった。 深く息を吸って、止め、やがて吐き出す。 想い人の呼吸が落ち着きを取り戻していく次第(しだい)。 その体温を感じながら、アレセルもまた吐息(といき)を重ねる。 夜籠(よごも)りの泡沫(うたかた)。 知らず 々 、手に手を()えられていたと気付き。 指の合間(あいま)に差し込まれる爪先を、朦朧(もうろう)としながら見つめた。 フェレンスが ... 彼を(こば)むことは無い。 その日。帝都の夜明けは真横から差す光芒(こうぼう)と共に(おとず)れた。 立ってシャツを着込む()に足元を移動する影を()()え、アレセルは寝室を出る。 けれども、ふと気掛かりに思い振り向いた。 足早に戻る彼は、カーテンを少しだけ引いて立ち返る。 テラスを向いていたフェレンスの顔に日差しが掛からぬよう、影幅(かげはば)を調整してやっていたのだ。 音を(しの)ばせ扉を開くと。そこには、(うで)組みをして立つメイド(がしら) ... ならぬ大男の姿。 ロージーは言う。 「どうしてこう、旦那様のお(そば)には(ひね)くれ者しか()って来ないのかしら ...  あんたも、そう。付け入るようなマネして、(むな)しくなったりはしないもの?」 シャツだけ着込み制服を(たずさ)えるアレセルを見て、思わず()め息が出た。 「捻くれでもしないと、お傍に寄ることすら叶わないでしょう?  何もせず、気が狂う思いをするよりずっといい。 ... 満足ですよ ?  僕はあくまでも、あの御方(おかた)(みつ)がれた〈心臓〉の一部に過ぎないのです。  命()きるまで利用して頂ければそれで ... 」 「お黙りなさいね、(ぼう)や。利用しているのは、あんたの方。  あたしには、そうとしか思えないわ。あのコとは決定的に違うのよ。  あんたには旦那様のお心向きが見えない。あのコを盾にして  我儘(ワガママ)なんか聞いてもっているのですものね。 ... 卑怯者(ひきょうもの) ... 」 アレセルは視線を()せたまま聞いた。 存分に(ののし)ってくれていい。むしろ有り難いとすら思う。 「あの男が知ったら ... どうするでしょうね ... 」 目の置き場所は変わらない。 アレセルの口の端々(はしばし)が不気味に釣り上がるのを見て、ロージーは後退(あとの)いた。 恐れたのではなく。狂気を受け流すつもり。 「あのコも、旦那様の〈心臓〉を(にぎ)(つぶ)すワケにはいきませんものね。  でも、いい気になるんじゃないわよ ... あたし達、宿り霊(やどりだま)には  生かさず殺さず(たた)るってやり方もあるんですからね。  (もっと)も、本気で旦那様の命を盾にするような男なら、  とっくに()わりを立ててるところだけど」 アレセルは鼻の先を上げて笑った。 「お(さっ)し下さり、どうも 」 その仕草(しぐさ)、誰かさんにそっくりね。 だが、思っても口にはしない。 そろそろ話を切り上げたかった。 「ふざけないで。分かったら、とっとと行ってちょうだい」 回り込んで後ろから責付(せっつ)き歩かせる。 ロージーの前で速度を落とすと、案の定、(わき)小突(こづ)かれた。 「早く!」 「痛いです ... 」 「イヤなら早く歩きなさいってば!」 「嫌です ... 」 あんたね ... ... 普段、真面目な男ほど、駄目(だめ)な時は駄目。 何故(なぜ)、急かされているのかも分かっているのだろうから。 あの執事(もどき)といい、この天邪鬼(あまのじゃく)管理官といい ... 子供かと思う。 両者が共にロビーに面する角の向こうへ姿を消すと、ほぼ同時。 奥の側壁塔(そくへきとう)を上がって来たカーツェルは、二人の気配に小首を(かし)げた。 けれども、あのロージーのこと。 何かに付け、気を()かせただけだろう。 彼は気にも()めなかった。 調理場や貯蔵庫の他、使用人部屋の(つら)なる(とう)(へだ)てに存在し、 螺旋(らせん)階段を有する(とう)は屋敷の四方を固めている。 屋敷で(つと)める(あいだ)は、朝晩、ここを通ったうえ まず第一に主人の身支度(みじたく)を手伝い、一日の予定を確認するのが日課。 使用人同士が(つど)い、打ち合わせるのは朝食後である。 主人からの希望や予定の変更があれば、その時、調整する流れ。 フェレンスの私室を前に立ち止まった彼は、軽く深呼吸した。 昨夜の事もあり、気分が重い。 けれども切り()え、扉を叩いた。 〈 コンコンコンコン ... 〉 短く四回。 毎朝の(おとず)れにのみ、彼は必ずそうする。 返事が無くとも入るという意味合いを込めて。 起こしに来るのも役目の内なので。 この時ばかりは、気配り無用と思うが。 ああ見えて彼は律儀(りちぎ)。 フェレンスはいつも、その音を聞き分け目覚めた。   スルリ ... ... 上掛けを(はら)身体(からだ)を起こすと、二度目の打音。返事はしない。 だが彼は()ぐに入室し、言うのだ。 「さあ、旦那様、お時間で御座(ござ)います。お目覚めを」 身体(からだ)を起こしていても、あえて繰り返す。 「さあ! お目覚めを」 フェレンスは項垂(うなだ)れ、目を閉じた。 「 ... ... ... 何を(たくら)んでいる?」 (たず)ねたところで答えるわけがないと知りながら。 「御止(およ)し下さい。朝から物騒(ぶっそう)な物言い。気運が下がります」 聞き、あらため思う。 そうだろうとも ... ... いつものことだと。 ところが、昨夜からだろうか。 (すで)に何かが、少しずつ ... 変わり始めていたらしいのだ。 「次期公判の通知はまだありません。書簡は全て管理官を通じ受け渡されますので、  届き次第、お知らせ致します。以上ですが。  本日の予定には余裕があります ... 何か、ご希望は御座(ござ)いますか?」 「(しばら)く出歩いていないので、身体(からだ)()らしたい」 「(かしこ)まりました。ですが守衛は現在、少年の護衛に当たらせております。  役目から(はず)すわけには(まい)りませんので ...  朝食後、管理官との懇談(こんだん)が済んでからで(よろ)しければ、  是非(ぜひ)(わたくし)めにお相手させて頂きとう(ぞん)じます。如何(いかが)でしょう」 「それで(かま)わない」 立ち歩き、クローゼットを前にするまでに、ベッドの上掛けを一払(ひとはら)いで()し、横に着く。 「では、頃合(ころあ)いを見て仕度時間を頂戴(ちょうだい)します。  旦那様の御仕度にはメイドを上がらせますので、ご了承(りょうしょう)を」 「分かった」 彼は、いつも通り手際(てぎわ)良く寝衣(しんい)の前留めを外していった。 だが、その時。 「それはそうと ... フェレンス ... 」 背筋が ゾクリ と震え上がる。 耳元から(あご)の先まで。 人差し指の(つめ)()で付けるようにした後 ... ピン と立てられた彼の指は、(あご)の下を少しだけ押し上げてきた。 「そう暗い顔するなって。今は話せない。けど、もう少しだけ待ってくれ」 もう少しだけ ... な? その(ささや)きは、フェレンスの目を(くら)ませる。 けじめに(うるさ)いカーツェルが、端無(はしな)く私意を()らすのとは明らかに(こと)なるのだ。 それと、その、仕草(しぐさ) ... ... 直後、カーツェルは何事も無かったかのようにシャツを着せ上げ。 ベストを取っては見合わせる。 彼の動作を目で追うも静止状態。 フェレンスの瞳には(うれ)いが(ただよ)っていた。      

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