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第四章◆血ノ奴隷~Ⅺ

      (こころざし)、揺るぎなく。 (つらぬ)き通す(かま)え。 普段どおりに振る舞い、()くす彼の挙動(きょどう)により(しめ)される意向。 スカーフの結びを整えてやり一呼吸置いたカーツェルは、 立ち居あらため主人と向き合う。 ところがフェレンスは口を閉ざしたきり。 相手の(かも)す余裕を感じ取りながら、思い(めぐ)らせるばかりだった。 朝食の席。給仕(きゅうじ)()いた彼の手元。 (つど)いの前に中庭まで付き()い、扉を引いて待つ、その足元。 落ち着き(はら)った様子に目を見張りながら、フェレンスは思う。 実に不可解 ... ... 事の()り行きは予測出来ていたと言うし。彼の事だ、少年を人質(ひとじち)にしたうえ 理不尽の一つや二つ、(ほの)めかすなどしてもおかしくはないと考えていたのに。 思い違いと気付かされたのだ。 それは、寝室を出て()ぐの事。 「申し遅れましたが、旦那様。  少年の身柄については、管理官と協議したうえ(ゆだ)ねるのが無難かと(ぞん)じます。   ()いては帝国の管理下に置かれ、いずれは買われていく身となるでしょう。  ですので、どうか ... せめてもの(はなむけ)に名付けやっては頂けませんでしょうか。  買われていった先で、必ずしも名を(あた)えられるとは限りませんので ... 」 そう申し出たのは他でも無い、カーツェル。 まさかの展開だった。 その時には返事もせぬままに私室を(あと)にしたが。 庭に一歩出て立ち止まったフェレンスは、見もせず彼に言い残す。 「 ... 〈チェシャ〉 ... シャンテの古語だが ... 」 耳にするなり少年の名と(さっ)し。彼は(たず)ねた。 「それと申しますのは、つまり?」 「〈喜び 〉という意味だ」 聞いていると、足早に立ち去る背が投げやりに返してよこす。 花木(かぼく)合間(あいま)を行く姿を見送りながらカーツェルは微笑んだ。 「実に()い名で ... ... 」 関わり合いにならぬよう意識しても、何だかんだ良くしてやりたい気持ちはあるよう。 あの少年も、気に入るに違いない。 その日の予定組みを確認しに(つど)う使用人達の元へと急ぎつつ、思う。 しかし彼は調理場横の休憩室ではなく、使用人部屋の連なる(とう)の手前まで歩いた。 そこは、いつもの打ち合わせ場所とは(こと)なる。 使用人達のリビングスペースだ。 手筈(てはず)通り ... ... カーツェルの視線が暗影(あんえい)()く。 立ち入る彼の気配に振り向く精霊達は不穏(ふおん)な表情。 見合わせ様子を(うかが)う彼、彼女()を代表するかのように口を開いたのはロージー。 「 ... それで? あたし達に、どうしろって言うのよ」 最後に立ち返り数歩引き下がるローナーの向こうには、一人がけのソファーに()し足を組む人影。 歩み寄るカーツェルを冷ややかに見上げる男の眼差(まなざ)しは、憎き(かたき)凝視(ぎょうし)するかのよう。 アレセルだった。 硝子(ガラス)のように透き通る花弁(はなびら)の内に光を宿(やど)す花々は、 やがて ... 日の直射を()けるようにして(すぼ)み、下を向く。 昨夜の(きり)湿(しめ)る土と新芽の()(かぐわ)しき風を吸い、歩いて行った先でフェレンスは立ち止まった。 植え込みの雪柳(ゆきやなぎ)が側壁塔(そくへきとう)(わき)歩廊(ほろう)(くぐ)り裏庭まで続く ... その手前にて。 胸元から褐色(かちいろ)洋巾(ハンカチーフ)を取り出した彼は、サッ と身前に(ひるがえ)し、(ささや)く。   (しん) の 姿 を (あらわ) せ  「Revelar la apariencia real ...」 同時に息を吹きかけた彼の求めに(おう)じ輝き放つは、(ちゅう)へと(おど)り出た銀糸(ぎんし)(ほど)けて舞う()いの先から再度、()り上げられていく衣は大幅に面積を増し。 薄羽織(うすばおり)となって彼の手元へ帰る。 それから、(すみ)やかに(そで)を通し歩み行くのだ。 待つ(あいだ)、準備運動()ね、雑念を(はら)っておかねばならぬ。 フェレンスは急いだ。 馬屋の前から走路が外垣沿(そとがきぞ)いを(かこ)土壌(グラウンド)には、背の高い針葉樹(しんようじゅ)が距離を置き聳立(しょうりつ)する。 合間(あいま)に立ち、見上げれば。 枝葉(えだは)の向こうにあるべき空の大半を(おお)う、天蓋(てんがい)の街の底。 日差(ひざ)しの角度から時刻を読み取ったところ。(およ)そ九時を周る頃合いだが。 「この時分。何故(なぜ)、君がここに()る?」 彼はお見通し。 と言うか。木の幹幅(みきはば)に合わず若干、太い腕が見えていたのだ。 突如(とつじょ)、屋敷の(ぬし)に問われ震え上がったのは守衛の一人だった。 「た、たたた、大変、申しわけ御座(ござ)いません!!」 理由を聞いているのに。 向こう側に隠れ(ひそ)む男は目を白黒させ、咄嗟(とっさ)()びた。 「その声は、アックスか ... 」 「は は は、はい! 旦那様!」 ロージーに並ぶ体格で、ぶっきら棒だが物怖(ものお)じせず。 使い魔の中でも特に図太い性格をしている精霊が、何をそう(ちぢ)こまっているのかと。 不可思議、(きわ)まる。 眉間(みけん)(しわ)()せ見ていたところ、次いでフェレンスは硬直した。 背後から何か聴こえる。 〈 テ テ テ テ テ ... ... 〉 足音だろうか。 恐らくは何かが横切ったのだ。 その気配は、行って更に戻る。 〈 テ テ テ テ テ ... ... 〉 しかも今度は若者の ヒソヒソ 声までした。 「あっ! こら! 戻るな! 見つかっちゃうだろう?」 あの声は、ソード ... ... (あき)れ振り返ると、目が合った。 やはり、お前か。 一呼吸置いて、彼は言う。 「 ... ... あ 」 あ、じゃない、あ、じゃ。 「何が ... ... あ 」 しかし、同じ事を(たず)ねようとすると彼もまた、木の(みき)の裏側へ引っ込み、叫ぶ。 「ごごご、御免(ごめん)下さいませ!!」 いや、だから。何故(なにゆえ)そう(あわ)て隠れる必要があるのか()いたいのだが。 〈 テ テ テ テ テ ... ... 〉 こちらへ()けてくる気配に気付いて(さっ)する。 「 シ ャ ――――― マ ――――― !」 なるほど ... ... 遊んでやっていた訳かと。 少年は両腕を広げてフェレンスの足元へと飛び込んで行った。 「 チ ュ ゥゥ カ、マエ、タ !!」 捕まった ... ... これは不味(まず)い。フェレンスは思う。 先に着込んだ(たけ)の長い薄羽織(うすばおり)(すそ)(にぎ)り込み、 ポフン ! と()まる小さな身体(からだ)を見やったところ。 パッ と顔を上げた少年の瞳が、キラキラ と輝いた。  (かた)や守衛の二人は木陰(こかげ)に隠れたまま、手で顔を(おお)っている。 まさか、まさか。 こんな場所で主人と出くわすとは思わなかったので。 やっちまった感が(いな)めない。 (くわ)しい説明も(いま)だ無し。 ただ、これまでも血ノ奴隷(どれい)()し抱えようとはしなかった主人のこと。 情が(うつ)らぬよう、避けているのだとの(うわさ)を耳にしている手前。 ()が悪いのは自分達か、それとも主人か。 困り()てた。 すると、(みき)からはみ出す彼らの装備の端々(はしばし)が 小刻みに震える様子に目を(くば)り、フェレンスは言う。 「ご苦労。気にせず引き続き、(つと)めを優先して欲しい。  次期、カーツェルが迎えに来るはず。  それまでは、気を抜かぬ限り自由にしてくれて(かま)わない」 遊び相手になってやっていた事。 (しか)り受けるものと思ったが、そうはならなかった。 二人は(おどろ)き、顔を出して見合わせたのち、あからさまな笑顔で居直(いなお)(ふく)す。 「了解しました!」 「ありがとうございます! 旦那様!」 胸に手を当てる両者の礼に対し、視線を向け(こた)える。 フェレンスは言い残し、その場を後にするつもりだった。 ところが、行かせない。 羽織(はお)りを握り込んで放さぬ。 少年が前のめりにぶら下がると、フェレンスの首が()まった。 「 ム ゥ ゥ ゥ ... 」 (*>x<)o゛ ブラ ――― ン 。ブラ ――― ン 。 守衛は唖然(あぜん)とし、ただ見ている。 ... ... ... フェレンスは無言で()えた。 だが、徐々(じょじょ)に沈んでくのだ。 何て、ぎこちない動作だろうと思う。 な、ん、て、考えている場合ではないのに。 「 ... て、こらぁあぁあぁぁぁ ――――――― !!」 「何しやがる、この悪戯坊主(イタズラボウズ)!!」 (あわ)てふためいた二人が土煙を立て両脇に滑り込むも、少年は手を放そうとしなかった。 抱き上げ、握られた手の隙間(すきま)に指を入れようと(こころ)みたものの。 ヤー ヤー ムー ムー 。 身体(からだ)(ひね)くり返し駄々(だだ)()ねる。 揺さぶられながら黙って待つフェレンスだったが、ある時。 ズイッ と迫る少年の顔。 紅と白銀、双方の毛先が フワリ ... 触れ合う距離だった。 見合わせると、満月のように美しい(まなこ)(さら)に寄せ、幼子(おさなご)は言う。 「 シャ、マ ! シュ、キ !」 一緒に行きたいと言っているのだ。 しかし、そうはいかない。 フェレンスは顔を(そむ)退(しりぞ)く。 「ああ、はいはい。旦那シャマ、シュキ シュキ!」 「でも、旦那様はお忙しいからね ~? あっち行って遊ぼうな ~?」 (なだ)めつつ、ようやっとのことで引き()がすと、肩に(かつ)ぎ込むアックス。 (かたわ)らで言い聞かせているのはソード。 その声は次第に遠ざかった。 「 ヤ! ヤ ァ ァ ― ... ! シャ、マ ――― ! シュキ ―― ! シュキ ~~~ !!」 引き渡し人としてアレセルの名が(しる)されるなら、 そう悪い相手に買われることは無いだろう。 過激派の暗殺者(アサシン)に命を狙われぬよう、結社の傘下(さんか)に置かれるはずだ。 あとは、この()を対価に ... 過激派勢力(パルチザン)と接触したであろう彼ノ尊(かのみこと)を引きずり出すまで。 チェシャ。そう名付けた子の呼び掛けを聞きながら。 フェレンスは再度、決心する。 そうして気持ちを(しず)めると。 彼は腰元(こしもと)から素早く杖を()き出した。 短剣を(あつか)要領(ようりょう)で。 持ち返し、振り抜く。 風を()る音と共に、場面は転じた。 猫脚家具の下から壁際まで、複数、伸びる人影。 その中心に立ち、淡々と()べているのはカーツェル。 「過激派勢力が〈禁断ノ翠玉碑(エメラルド・タブレット)〉の在り処(ありか)を突き止めたとすれば。  (みこと)の帰還は間近だ。フェレンスが奴等(やつら)にとって、どういった存在であるのかは、  まだ分からない。けど ... アイツは、(みこと)の側に付いて  〈世界ノ修正〉だけでも阻止(そし)する気でいる」 「それくらいの事。ご説明頂くまでもありませんが?」 組んだ足の上に、指を交差させた両の手を置く。 アレセルは苛立(いらだ)っていた。 「だろうな。だから、お前はフェレンスと俺をわざわざ引き合わせたわけだ」 「ご存知(ぞんじ)なら。一刻も早く、あの方を連れ去るべきかと思いますが。  何をもたついているのですか?」 「やっぱ ... お前には分かってねーんだな」 聞けば尚更(なおさら)、憎らしい。 その喉元(のどもと)(えぐ)(つぶ)してやりたい気分だった。 殺気立つ両者の(あいだ)に立っていられるのは、ロージーとローナーだけ。 壁際まで引き下がるメイド役、そして調理場の面々に配慮するマリィは、リリィと並んで距離を置く。 ここで一悶着(ひともんちゃく)あっては、今後に()(つか)えるため。 気を()かせ会話に入っていったのはロージーだった。 「つまりね。旦那様は、このコにだってどうこう出来るお方じゃないのよ。  とんだ公爵家の盆暗(ボンクラ)ですもの。命を()けたつもりでもね。  本当は ... それさえ、まだ許されていないワケ ... 」 「俺達は、まだ引き返せる ... ... だからダメなんだ」 開いていたカーツェルの手が(こぶし)(にぎ)る。 見ていたアレセルは、なおも刺すような視線を持ち上げ聞いた。 すると、ロージーが(たず)ねる。 「それはそうよね。けれど、旦那様のお力()え無しに、(かな)うはずもないのに。  逆らうにしたって、本当に ... 一体どうするつもりなの?」 要点は、それのみ。 「あのオチビちゃんを人質(ひとじち)にしたって無理。あんた、分かってるって言ってたじゃない」 気持ちが重く沈む。 その場に居る誰もが息苦しさを感じていた。 一度、瞳を閉じ。 ス ... と短く息を継いだカーツェルは皆々に、こう言う。   「逆らう気なんざ(はな)から()ぇよ。いっそ、あいつの思うようにしてやるつもりさ」 そうして胸元から褐色(かっしょく)小瓶(こびん)を取り出し、足元のテーブルの置くのだ。 中に詰まっているのはカプセル薬のよう。 アレセルは眉を(ひそ)めた。 「ちょっと待って? なら、  これ以上、旦那様を連中の好きにはさせないって、あの時のセリフは何だったの?」 「あーあー。たく ... 一々、聞くんじゃねーよ。野暮(ヤボ)ってーなぁ」 「あら、何よ急に。(めずら)しく分かったような口()くじゃない」 続くロージーの問いかけを(さえぎ)ったのはローナー。 彼は(かま)わず前に出てカーツェルを(にら)んだ。 (くわ)えて言う。 「覚悟は出来てんだろーからな ... もしもの時は全力で仕留(しと)める。後悔すんじゃねーぞ」 その言葉を耳にした瞬間、息が引き()り上がった。 リリィは声を殺し、前に立つ姉の反応を気に掛け見やる。 薄々(うすうす)感じてはいたが。 どうやら、嫌な予感が的中してしまったらしい。 マリィの(こぶし)に力が込められていった。 人間とは、(つくづく)、身勝手な生き物と思う。 だが、誰一人としてカーツェルを()める者はいないのだ。 アレセルでさえも、黙認したうえ今更のように(さと)るかたちと相俟(あいま)った。 あの少年の血を手に入れなければならないのは、むしろ自分達の方であったと。 ローナーを振り向くカーツェルは、再び手袋を()()め、言葉を正し答える。 「勿論(もちろん)です。貴方々(あなたがた)はこれまで通り、旦那様をお護り下さい。  (ただ)し、くれぐれも手加減無きよう ... お願いします」 解散を告げ、薬瓶を手に角部屋を(あと)にした彼は、 守衛の二人が連れて戻る少年と行き違いさまに、こう言い残したという。 「チェシャ ... 貴方(あなた)は管理官とお行きなさい。  大丈夫。旦那様には、また()ぐ会えますから」 少年は、彼を見て(まばた)くばかりだった。 聞いたことも無い言葉で呼び掛けられ、理解も(およ)ばず。 機嫌(きげん)(そこ)ねるまで(いた)らなかったらしい。 (ほど)なくして、アレセルは少年を連れて屋敷を出る。 異端ノ魔導師が(ひそ)かに()(かか)えていた ... 〈血ノ奴隷(どれい)〉を保護するという名目で。 馬車の中で(はしゃ)ぐ少年と、同乗する管理官を チラリ、チラリ、交互(こうご)に振り向く。 馭者(ぎょしゃ)(ふん)するはソード、そしてアックスの二人。 アレセルが公用車の使用を()けたのには理由があるようだった。 「偽装(ぎそう)車との入れ()えによる、連れ去りを警戒しているのでしょうね」 「あえて人前に(さら)すってのも、あれだろ。  注目する人間達の目を(たて)に ... て、いや、でも、そこまでする必要ってあんのか?」 「軍の過剰な介入を牽制するためではないでしょうか?」 「ああ ... そゆことなの ... 」 両者はアレセルに同行し(したが)うよう、事前の指示を受けている。 命じたのは、()ノ執事。 日程通りに事を済ませたロージーは、(いささ)か緊張していた。 主人の支度を(まか)されたのはリリィ。 ローナーとマリィは、街に出て馬車を見張っている。 (かた)やキッチンを(あず)かる見習いとメイド役は、不安を(まぎ)らわせるため寄り合うも。 それぞれが、腕組み、(うつむ)き、カップを持つ手すらテーブルから動かず。終始無言。 私室に戻り黙々(もくもく)と支度するカーツェルの背を見守る。 ロージーは、ある時こう(ささや)いた。 「いつも通り、お護りしろですって ?   平然として無理難題、押し付けてくれるわよね。  本当 ... いい迷惑なんだけど ... 」 それでも彼は引かぬのだ。 何故(なぜ)なのか。 恐らくは、心の何処(ドコ)かで主人の本心を感じ取っているからに違い無い。 「(おぼ)えてもないクセに ... ... 健気(けなげ)だこと ... ... 」 事情あって、面と向かっては言えないが。 嫌味(いやみ)を込めたところで、カーツェルの耳には届かない。 息を吐いて精神統一する彼は、やがて向かう。 身体(からだ)()らしたいと言う主人の要望に(こた)えるため。 しかし、彼にとっては第二の岐路(きろ)に相当する事案。 ロージーは付き()い、部屋を去った。 シャツの上から装着された革の胸当てと、小手、(すね)当て一式。 葡萄色(えびいろ)に染められ(つや)を放つ。 それらは守衛の訓練、(およ)び剣術試合用に取り(そろ)えられたものである。 同じ物を用意したうえ支度を手伝っていた ... リリィもまた言葉無く。 胸を痛めながらも、それを(ひた)隠しにしている模様(もよう)。 屋敷中が静まり返っていた。 そのせいか ... ... (つね)に吹く風の()。 防具の締りを確認する際の(カネ)()。 いつもなら気にもならぬ音が(うるさ)い。 「リリィ ... 手が止まっている。()めに不具合でも?」 「あっ ... いいえ、旦那様。申し訳ございません」 「()びは無用。だが、少し急いでもらえると助かる」 「はい、只今(ただいま) ... 」 (おだ)やかな口回しで不手際(ふてぎわ)を注意する。 フェレンスの声を聞くと、彼女の胸が遣る瀬無さ(やるせなさ)で一杯になった。 指先の震えが伝わって来たが、フェレンスは()えて聞かない。 すると、リリィが細々と声を()(しぼ)るようにして言うのだ。 「あの ... 旦那様。お(たず)ねしても(よろ)しいでしょうか」 「(かま)わない。手短に(たの)む」 「はい。では、その ... 旦那様のお気持ちは、上役(うわやく)から聞き(ぞん)じております。  ですが、今も変わりなく、そのようにお考えなのでしょうか。  カーツェル様の同行を禁じ、この先、お連れになるつもりは一切ないと ... ... 」 「その通りだ。考えに変わりは無い」 フェレンスの即答に息を飲む。 ところが、リリィは思い切って声を張った。 「ですが、旦那様 ! それではカーツェル様が、お(ひと)りになってしまわれます!  旦那様だけではございません! あの方は ... !! あの方は、もう ... ... 」 言いかけたが、どうしてかその先は言葉にならならず。 彼女は必死で涙を(こら)える。 それでも(あて)れてくるので、咄嗟(とっさ)に手で隠し(うつむ)いた。 (すす)り泣く声を聞き、フェレンスは静かにクローゼットの内掛けに用意された外套(がいとう)を取る。 そして、彼女に言い聞かせた。 「言えないのなら、思い()めず気を楽にすることだ。  私も、彼がこのまま引き下がるとは思っていない」 悲しげに耳元を過ぎる声が、退室していく主人の位置を知らせた。 一度、書斎で立ち止まり、フェレンスは彼女に言い残す。 「だから、安心しなさい。いずれ彼は私を忘れる。  私と彼には契約の他にも、彼自身が自らに()した〈(しば)り〉が存在するのだから」 扉の閉まる音を聞いて、リリィはその場に座り込んでしまった。 忘れる ... ... ? 「いけません旦那様 ... それでは尚更(なおさら)、カーツェル様のお心が ... ... 」 力が入らず、ただ(つぶや)く。 放心したまま、立ち上がろうともしない彼女を寒々(さむざ)しく包む静寂(せいじゃく)。 帝都を吹き抜ける風と、揺らぐ葉のざわめきが ... 耳の奥へ、奥へ、より深く染み入るようだった。 一方。 特異血種管理局を(おとず)れたアレセルを待ち受けていたのは、(クワトロ)従属(じゅうぞく)する担当員。 白黒の二色(ツートーン)()められた一室において差し出されたのは、 事前に用意されていたと思わしき偽血(ぎけつ)と判定書類。 監視、盗聴を警戒してか、男の言葉数は少なめだった。 会話の内容も、事実とは異なるのだ。 「異端ノ魔導師の(かこ)い子と聞きましたので、もしやと思いましたが、  判定の結果は尖晶石(スピネル)以下で御座(ござ)いました。  血ノ魔力以外に ... 何か特別な理由でもあったのでしょうか」 対するアレセルの受け答えは、(すで)に口裏を合わせ済みであったとも取れる。 「私の身内が(から)んでいる可能性もあります」 「ああ、クロイツ監視官ですか。確かに、良からぬ繋がりがあったのかもしれませんね」 人形のように丸く見開かれた目が、証書にサインしていくアレセルの手元を見張っていた。 「現在は隣国アイゼリアの毒ノ深森(もり)に潜伏しているものと見られる ...  との報道を見掛けましたが。まこと、ご愁傷様(しゅぅしょうさま)です」 「いいえ、これも家長の責務(せきむ)。親族の名誉回復のためです。  躊躇(ためら)ってなどいられませんから」 そしてペンを置いた(そば)から、無言で手渡される。 偽造証明証。 短い(チェーン)に通された白金(しろがね)附票(タグ)には、操作された情報の片鱗(へんりん)が埋め込まれていた。 八芒星(オクタグラム)(かたど)魔青鋼小片(オリハルコン・チップ)である。 部屋から連れ出された少年は、自分そっくりな背格好の少年と行き違い、二人は一瞬だけ見合った。 しかし、無表情な相手は直様(すぐさま)に視線を()らし、複数の男らに囲まれ歩き去ってしまう。 入れ()わりに彼を連れ帰ったのはローナーだった。 (そろ)いのフードローブを着せてやりさえすれば、連れ歩こうが 顔を見られようが、よく()た子としか思われないのだ。 事を済ませたアレセルは、来た時と同じく車にて悠々(ゆうゆう)戻るだけ。 マリィは少年を連れるローナーの周りを、遠巻きに見張った。 時は夕刻に差し掛かる。 帝都を吹き抜ける風が、帰路をひた走る馬車を追い()し。 張り込む軍関係者と報道陣を()き分け。 門の鉄格子(てつごうし)をすり抜けたのは ... 屋敷裏の試合場が黄昏(たそがれ)に染まる頃。 天蓋(てんがい)の底が(はじ)き返す夕日が、屋敷に向かい立つフェレンスを()らし。 左半身に色濃い影を落としている。 外套(がいとう)前端(まえはし)を返せば、レイピア、そしてマン・ゴーシュ共に左()し。 対して、カーツェルは(こし)の後側にて()を左右外側に向ける。ダガーの二本差し。 試合を見守るのも(つと)めの内とあって。 追って(あらわ)れたメイド達は静々(しずしず)と整列した。 ところが何故(なぜ)か、リリィの姿は無い。 ただ一人で立つ主人を見て、ロージーが言う。 「イヤだわ。リリィったら、旦那様をお一人にして何してるのかしら ... 」 仕方無し。進み出て(たず)ねる。 「ご準備はいかがでしょう。旦那様」 「整っている。進めてくれ」 「では、守衛長が主事の見張りで留守(るす)にしておりますので、  僭越(せんえつ)ではございますが ... (アタクシ)が審判を(つと)めます。宜しいでしょうか?」 「構わない」 答えると同時、フェレンスは両手を左(こし)(つるぎ)()え、抜き取る。 右にレイピア、左はマンゴーシュを逆手に。 場外まで下がるロージーに続き、カーツェルは前に出た。 ハイウエストのフィットスラックスに黒のロングブーツを()()める主人と、 ローウエストかつ太腿(ふともも)に余裕のあるジョッパーズパンツの上から、 (ひざ)、そして(すね)上部をカバーする当て具をしたハーフブーツ姿の執事を交互(こうご)に見やりつつ。 ロージーは、ふと思う。 パッと見た感じ ... 魔導師と執事にはとても見えないわよね ... ... 特にダガーを(あつか)うにあたり、屈伸(くっしん)運動のしやすい(よそお)いとなっているカーツェルは、どう見ても野盗(やとう)。 主人の白シャツに相反(あいはん)するかのような、黒シャツのせいだろうか。 昔から(ガラ)の悪い男ではあったが。 見栄(みば)えから相手を威嚇(いかく)しに掛かるふてぶてしさたるや、品の無い事。 それなのに。無理も(かえり)みず執事役なんか買って出るんですもの ... ... 本当(ホント)、バカよ ... ... それでも(そば)に居たいと願った。 心の一部を切り取り、施錠(せじょう)してまで。 おかげで、どうしてそうなってしまったのか自分でも(おぼ)えていられないのよ、アンタは ... ... 思い返していると胸が痛む。 ロージーは振り切るように試合形式を伝えた。 「この試合では致命的斬手(きりて)のみ判定します。三手先取で勝利です」 そして強く言い放った。 「Postura(かまえ)!」 するとレイピアの切っ先を真っ直ぐ相手に向け。 (つい)の手に(たずさ)えたマンゴーシュで左(わき)をカバーするフェレンス。 カーツェルも(こたえ)えて両逆手にダガーを抜き。 まるで(こぶし)(かま)えるかのように身体(からだ)の側面と胸の前に()えた。 模擬剣(シンセティックソード)と言えど、(やいば)(そな)わっていないだけ。 平叩きにした(はがね)に打たれる可能性を想定すれば、それなりのリスクがある。 主従(しゅじゅう)であろうとも相容(あいい)れぬ姿勢。 緊迫する中、開始が告げられた。 「Empiecen(はじめ)!」      

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