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第四章◆血ノ奴隷~ⅩⅢ
ロージーは深々と俯 き、涙を隠した。
眉間 、口元、顔中を クシャクシャ にして堪えても、ボロボロ と落ちて止まらないのだ。
こうなるより前に気付いて欲しかった。
分かりきっていたのに。
何よ今更 ... ...
皮肉が自 らの胸にも突き刺さる。
罪悪感で一杯だった。
手の打ちようが無かった事など、後悔のしようもないが。
前以 て知らせたところで、主人は受け入れない。
そういった諦 めがあったのも確かなのだ。
けれども、訳がある。
誤算が生じたのは何時 ?
彼の兄が実弟の命を本気で奪 いに掛かるとは思わなかった。
それがフェレンスの本音。
何故 なら、かつてのフォルカーツェは異端ノ魔導師を監視する立場にあった。
つまりは、クロイツの同期であり、前任。
噂 の男と、その存在を知って興味を持ち始める弟という構図に対し、
元々は両者の接近を阻止 していたはずの人物なのだ。
弟の成績、行動、安否、事細かな報告を聴いて安堵 する様子等々 。
陰ながら見掛けた事さえある。
それが何故 ? 何時 から?
とても理解出来ない。
霧ノ病に侵 された者の心が食い破られ、生じる洞穴 と、雪崩 れ込む負ノ思念。
それらを糧に魔物 化していく生態の限界突破を総 じて表わす。
《異変》の真っ只中 。
戸惑い、悲憤 、絶望が絡み生まれ落ちる。
狂気すら食い尽 くし、《無我 ノ境地 》を見出した魔物は躊躇 い無く破壊するだろう。
穢 れに満ちた世界に散らばる塵屑 を消し去るため。
宿り主の身体、意識をも侵食するのだ。
そして、分裂しては唸 る。
太弦 をゆるりと気味悪く弾き下ろすかのような咆哮 と、
甲高い悲鳴によく似た不快音は、大気を揺るがすほどだった。
駆逐艇内 では、
統監設備を中央に配置する円卓 より椅子を引き下げ足を組んだうえ、
指先を立て頬杖 し、経過を見るフォルカーツェの傍ら。
振動を受け カタカタ と細かに揺さぶられ移動する鉄筆に、副官の視線が傾 く。
区画住民の避難は思いのほか順調との知らせが、何処 からか耳に届いた。
通信器を片手に機関の指示を受け、民衆を誘導する職員の
冷静な対応を映すのは、避難率を伝える報道陣。
症状を隠し続け突如、魔物 化する者も少なくないのだ。
無機質な灰白色の軍用車両が轟音 と共に行き過ぎるのに、
人々は慣れた様子で、格段急ぎもせず坂を下っていく。
「最早 、珍しく無いとは言え、悠長 なものですね」
「《異端ノ魔導師》絡 みと知ったら、そうはいかんだろうがな」
車列から外の様子を伺 う兵士の会話だった。
人払いが済んだ閉鎖域へ次々到着する装甲戦闘車両は、
鎧 を着せたような重装甲に加え、魔導を放つ砲塔 を据 え置く外形。
鋳造 する過程で法を打ち込めた鋼鈑 は、
赤鉄鉱 を主原料とし錬成されたものである。
影を引く艶 の端々は黒光りし、徐々に、鉄火を纏 うかのような赤光 を放った。
その輝きは法撃、弾幕をも退 ける。
猶 、この作戦における騎兵の出番は皆無 だ。
一呼吸置き、フェレンスは氷柱の中で燃え盛る蒼 き劫火 を見て、杖を突く。
その間 、カーツェルの内に宿る冥府ノ炎 は文字通り、変異を食い止めている。
ところが魔薬 により増大する狂気は、それに勝 る勢 いなのだ。
そして遂 に。
蒼火を裂く黒き雷電が防壁を破り、次々、一直線に帝都の建造物を貫 いた。
天蓋 を支える塔の一角が崩れるなら、
上下に位置する区画の半分は壊滅の危機に瀕 すだろう。
防いだのは、高等錬金術師団に所属する魔導師と、助手を勤 める錬金術師。
飛空艦隊の役目は法撃ではなく、速 やかなる陣の配備である。
各艦に同乗した魔導師の展開する法義球 を結びつけ、強大な閉鎖空間を成 すためだ。
更に、それをどうするか。
次第に狭 め敵を封殺するのだ。
超級に格付けされる魔物 を単独にて討伐可能なのは、恐らく...
フェレンスを含む、上級士官並の肩書を持った魔導師のみであるが故 。
実質、三名。
しかし彼らは遠征中。
国内外を巡 る役目にあり、そうそう帝都には戻らない。
「特務士官殿は、よいご身分ですから。軍も政府関係者も遠征派遣を渋るのですよ。
我々の仕事が減らない訳です。まさか ... 進んで手を貸す気にはなれませんね」
何処 かで誰かが囁 いた。
転移装置 を利用すれば即時、帰還可能ではある。
とは言え。曲者 揃いの上級 が気遣いなどするものか。
鼓動の乱れを制し。
右肩と左足の先を結び構える杖に、手のひらを添 え。
フェレンスは身体 の芯を引き伸ばす。
息を深く吸い気を沈めた後 。
軽く背筋を反らせ、吐く息が喉から真っ直ぐに抜けるよう、顎の先を上げ。
一歩、また一歩。
踏み出す毎、順次。
内へ外へ手首を返す姿は、大鎌の刃で悪風を払うが如 く。
寝かせた宝冠の側面で空を割 き、やがて、
膝 周りに生じた畝 りを絡 め立ち上げるのだ。
呪文詠唱 、印列 を記し出すと何時 しか。
光放つ旋風が指示基盤を展開し、陣を組み広げていく。
複数、絡む魔法陣は多岐に渡る相互変換を実現した。
また、それらは噛み合う歯車のように総体 を廻 り巡る。
契約ノ枷 がなければ、ただの魔物。
無我 ノ境地 を垣間 見れば、意識を取り戻せなくなる可能性もあった。
しかし、それだけは回避して欲しいと。
そう願わずにはいられない。
ローナーは意を決し、少年から得た血を自らに打ち込んだ。
すると、拡散を防ぐために当てた保護符が肌を塞 ぎ紅 に染まる。
ただならぬ気配に瞬時、振り向いたフェレンスは重ね息を飲み苦渋 の表情を浮かべた。
魔力により強化されると同時、
瘴気 に毒されていく精霊は一帯の同種を巻き込み闇へと堕 ちる。
半ば理性を失うため。
絶対服従の契約を絶ち、主に反旗を翻 したと見做 されるのだ。
帝都の天蓋 を削る黒曜ノ雷 は荒ぶる九龍 を思わす。
対して唸 りを上げたのは、甲冑 を着た火炎ノ霊。
間近に叩きつけられた電撃に吹き飛ばされる寸前 のところ。
駆けつけた守衛役二人に支えられ救われた使用人役だが、
次の瞬間には皆々が烈火に攫 われる。
一方のフェレンスは、肘 を立て突風を破った。
衝撃で大幅に後退しつつも前傾姿勢を保ち、つま先で地を擦 りながら駕 ぐ。
その間 も気が急 き、アレセルの姿を探した。
少年と手を結び、強力な保護法を突き立てた彼は敷地の隅 に佇 む。
フェレンスを見つめ、彼は言った。
「彼 ノ使い魔は契約を放棄し堕落しました。冥府ノ王 の配下となったのです」
対し、威圧的に尋 ねる。
「その子の血で、精霊を穢 したと言うのか!?」
立ち返るフェレンスは面 を上げ向き合った。
ところが、アレセルは淡々 と述 べ付 すのみ。
「全ては貴方様 をお守りするため。彼らがそう望んだのです。
何しろ、あの男の遺言ですから。聞いてやりたかったのでしょう」
「 ... 言うな!! 彼は ... 」
フェレンスの差止 めすら聞かぬのだ。
「悲しいですか? ええ、そう。
僕にとっては、あの男が正気を失ったまま
灼 かれ朽 ち果 てようが、どうでもいい事なのです。
むしろ、そうなってくれたら良い! 心から願っていますとも。
嗚呼 ... フェレンス様 ... 後悔で気が狂いそうだ ... 」
まさか ... ...
「あの騎士霊との融合を可能にする魂の共鳴に不可欠とされる《想い》が ... 」
まさか ... ...
「あの男の隠し持つ、貴方様への強い《未練》だったなんて ... 」
そうと知っていたなら、枢機卿 の狙いを妨 げたりなどせずに、
契約を絶 たせてから奪い返す策 を講 じていたものを。
イ ッ ソ 殺 セ ... ... イ ッ ソ 殺 セ ... ... !!
胸の傷が ジワジワ と開いていく思いがした。
動転し瞳孔 の開閉が乱れ、激情に駆 られる。
失策を自覚したアレセルは我 を忘れた。
一方。変わり果て烈火を纏 い迫るローナーを前に、ロージーが言う。
「火を従 えるなんて、たかが物ノ精霊が大層 なご身分 だこと。
まったく ... アンタやアタシの柄 じゃないわよ」
二本の頭角で燃え盛る炎を突き上げる、その姿は半獣の魔神。
これが最後になるかもしれない。
理性を失いかけたアレセルを傍 らに見て思う。
ロージーは控 えめに、けれども力強く言い放った。
「アナタもそう! 聞いてね、坊 や... いいえ、アレセル。
貴方 なら分かるはずでしょう?
あのコがどうして、おちびちゃんの血を利用しなかったのか!」
見損 なわれたくない。ただ、それだけだったはず。
そんな事は分かっている。
分かっている!!
だが妬 ましい。
自らとは、似 て非 なる。
あの男の実直さが、忠誠 を体現するかのような、嘘 、偽 り無い生き様 が。
取り入っては裏切りを重ねてきた。
時には ... 愛しさ故 、罪を犯 してまで。
まるで対照的と言える。
とても拭いきれぬ、卑 しさ、後ろ暗さ。
それでも、あの人に触れられる。それだけで満足と思っていたのに。
今はどうだ。
手のひらを見れれば、腐泥 によって煮溶かされるかのような錯覚に陥 る。
そんな有様でいて、尚且 、比較 されては勝ち目など。
ナラバ 、 イッソ ノ コト ... ...
葛藤 する。
対し切なげに言葉を添 えたのは、やはりロージーだった。
「悔 しくて堪 らないでしょうけど。お願いよ、アレセル。
旦那様のお気持ちだけは、裏切らないでちょうだいね ... ... 」
刹那に息を呑んだところ。喉元 を流れる汗。
我 に返ったアレセルは、直 ぐ様に顔を上げ視線を交 わした。
ところが次の瞬間には炎の向こうへと、ロージーの姿は消えてしまう。
勢 いを増 す火は、フェレンスの紡 ぐ魔法陣を散り々 に裂 いて行き過ぎた。
「行くな!! ロ ー ナー!!」
振り向きざまに呼び止める。
フェレンスが口にしたのは、主立 つであろう精霊の名。
熱風が肩や腕の側面を掠 めるだけで、煙が立った。
杖で払おうにも、焼け爛 れた手の筋が萎縮 しはじめ、思うようにはゆかぬのだ。
治癒の法すら気休め。完治させるには時間を要する。
そこへ駆け付けたのはリリィ。
紫紺 のローブを胸に抱き、彼女は叫んだ。
「旦那様!! これを!!」
届く距離ではないが咄嗟 に放 ると、操 られた風に乗って開く。
手元まで引き寄せたそれに、即時、袖 を通したフェレンスは、杖で地を突き隆起 させた。
リリィの傍 まで及 ぶ土の盾は、火炎ノ霊が放つ火から彼女を守ると同時。
波となり、火の渦 を飲み込む。
盾となり、流炎 、薙 ぎ伏 せ回帰 さしめよ ... !
「Conviertete en un escudo y acomoda una llama de flujo laminar y deja que vuelva ... !」
大地の息吹を転化し火の精霊を捕縛 した後 。
身の回りに配置した魔法陣の中心に杖を立て固定。
やがて立ち返るフェレンスの背後で、火の鎧を削 がれかけの魔神が豪然 と吠 えた。
嘆 きを喰 らう冥府ノ炎が尽 きる時。
雷の九龍を従 える彼、カーツェルの記憶は全て消え、生まれ変わるだろう。
何としても阻止 すべし ... とは、堕落して尚 、立場を通さんとす霊の心向き。
火と雷電に煙る情景を背に歩み寄る。
フェレンスは、アレセルを前に立ち止まった。
自身をも犠牲にする劫火 をカーツェルの身に宿 したのは、他でもない、この男。
フェレンス ... ...
目標上空から捉 えた映像を睨 むフォルカーツェは、冷酷無比な表情。
異端ノ魔導師に何か恨 みでもあるのだろうかと、考える者も少なくない様子だった。
その視線を追った数名が、映像の中の
とある人物像に行き着き青褪 めるのも当然。
契約を迫 るカーツェルの申し出を、拒 み続けているうちは良かった ... ...
だがしかし、状況は一変したのだ。
ローブの裾 が風を含 んで、潮流 を描 く。
サラリ... フワリ ... それはまるで、漣 のよう。
暫 し佇 み、フェレンスは言った。
「何もかも、私の思惑 が裏目に出た結果 ...
だが、《境地》を垣間 見る前に連れ戻すつもりだ。
彼は私の最愛の友人、望みを叶えてやるまで死なせるわけにはいかない」
「この期 に及 んで、まだ、そのような矛盾 したお考えを?」
胸が締め付けられる。
「彼は私と共に生きたいと言った」
「そのためには、想いを殺してでもそうする必要があったと!?」
被せ気味に語気を強めるアレセルの手に力が入り、少年は顔を歪 めた。
見れば、震えを伴 い筋を浮かせている。
節々 が握 り潰 されそう。
けれども、次第に緩 んでいくのだ。
フェレンスの口元から零 れ落ちる、一言置きに。
「あの頃の彼は、グウィンの記憶を継承 するには幼 すぎた ...
そして私自身も、彼に《誰かの生まれ変わり》などと自覚させたくはなかった ... 」
聞く度、力を奪 われる。
アレセルは首を左右に振り、堪 らず空を仰 いだ。
「この世の真理に触れようとする者達と関 わる事なく、ただ、
一人の男としての幸福を見い出し、新たな人生を歩んで欲しいと。
そう願っていたからだ」
聞きたくない。聞きたくない。
なのに、どうして ... ...
愛しい人の声は、どこまでも澄 み渡っていて、
スルスル と心の隙間を埋めるかのように浸透 し、深部を貫 く。
フェレンスは更に歩み寄り、肩口が触れる距離で囁 きかけた。
「少年は私が預 かる。後は、頼 んだ ... 」
かつて、想い合った竜騎士の魂 は未 だ以 て、ここに在 る。
強い《未練》が、この世に引き留 めているのだ。
しかし意識 は巡 る。
「貴方様 が《記憶の番人》と呼ばれる所以 を、ようやく理解しました」
拒絶感が及 ぼす動悸 のために息切れし、半 ば声にならない。
フェレンスの耳元に唇 を添 え、アレセルもまた、囁 いた。
「命の巡りをご存知 なのですね ... 」
尚 も、譲 れぬ想いを綴 るのだ。
「それでも、これだけは言いたい ... ... 貴方 は僕のモノだ ... ... 」
渡さない。あの男にだけは、絶対に。
「離れていようとも、手を尽 くします。どうか ... 憶 えていて ... 」
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