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第五章◆石ノ杜~Ⅲ
なかなか、気が利 くな ... ...
カーツェルの口元に笑みが浮かぶ。
赤い、ふわふわの髪を一撫 でしてから、彼は立ち上がった。
ローブを掛け直してやり、川辺まで行くと。
素足を水に晒 し、流れを遡 る。
細い滝の傍 は深み。
腰が浸かる場所まで歩いた彼は、身体 の具合を確認がてら草の汁を洗い流した。
山岳の雪解け水が地下を通じ、湧き出たものと思われるが。
日を浴びる白い岩棚を幾 つも経 てきた水は、程よく冷たい。
掬 い、腕や肩に掛けては肌を擦 っていたところ。
水面 の向こうに見る枷 ノ刻印が、青みを増していることに気付き、手を止めた。
以前は薄っすらとしか見えなかったのに ... ...
水から出した両腕を交互に、隈無 く見て思い做 す。
友として、また、主 として。
フェレンスが下した決断について。
この手枷 を打ち引いては、意識を探 り。
楔ノ法 の強化を図 ったのだろう。
兄に命を奪われぬよう、賭けに出た。その意に答えるため。
霧ノ病の糧 となる意識が、負の思念に埋もれ再起不能となる前に。
それにしてもだ。
直前の記憶まで欠落する事無く、しっかりと補正されているのだから。
流石 、フェレンス ... ...
唇を固く結 んだカーツェルは次に。
《 ドボン !! 》
川の水に身体 を沈め、肩の後 で水面 を打ち上げた。
勢い良く後頭部を振り上げると、
水を含んだ黒髪が飛沫 を上げながら鞭 のように撓 り、背中を叩く。
顔に掛かる前髪を払うため、額 から手櫛 を入れた時だった。
目覚めの気配を感じ視線を流す彼は、半身を水に浸 けたまま。
ゆっくりと向き直る。
眠り続ける幼子 にローブを預 け、立ち上がる背を見つめていると。
同じように、こちらを振り返り ... 佇 むフェレンス。
足元で揺れる木漏れ日が、煌々 と輝いて見えた。
表情にあらわれる愁思 を感じとったのだろうか。
フェレンスは、無言で微笑むが。
心配無用とでも言いたいの?
思わず苦笑いで返すカーツェルは伏目がち。
首筋を手で解 す素振りを見せた。
それから腰に両手を突いて、あえて尋ねるのだ。
「 ... ... 生きてる?」
気持ちとは裏腹に沈む声色 。
「 ... ... お前こそ」
対して、朗 らか。
フェレンスの碧 い瞳が美しく光を返した。
揺らぐ日差しが、目の前を過 る毎 に。
心弛 び。
歩み寄るフェレンスが川辺で立ち止まると、何となく気まずい。
そぞろとして不規則に視線を泳がせるカーツェルを察し、悪戯 に見廻す。
ようやく目が合ったところで、フェレンスは言った。
「そろそろ上がりなさい。風邪を引く」
言われるまでもなく、そうしたいのは山々なのだが。
分かって言ってるだろ ... ...
カーツェルは上目遣いに訴えながら一言、添える。
「 ... それな。まず着る物なり用意してから言ってくれる?」
すると、暫 し黙り込むフェレンス。
風に吹かれる草葉の鳴りと滝の水音に、耳を塞がれる心地。
返事を待ちながら、ただ見ていたカーツェルは次に、我 が目を疑った。
困り顔を若干、逸 らし腕組みしたフェレンスが、何と。
「 ふふ ... はははは ... 」
何と、肩を揺らし声に出して笑いはじめたのだ。
しかも割と大きな声で。
「ははは! ... すまない。
意識のあるうち、お前の心身再生を法基盤に組むのが精一杯だった」
面食らったおかげで、カーツェルの口調が辿々 しくなる。
「ああ、うん。そりゃ、な。分かってるんだけど、さ」
彼は思った。
何だろう。この感覚。
変わった雰囲気でも無し。
お互い、気兼ねなく接しているだけなのに。
何処 か ... 懐かしさを感じる。
方や、フェレンスはと言うと。
「一先 ず、ここへ来なさい」
そう呼びかけ、肩に掛けたストールを手に取ると。
黒羽 を広げて見せるように顔の前を覆 った。
「それって、光の加減で透けて見えたりしねーの?」
薄手なのが気になるが。
「見えても言わないから。早く、おいで」
お構い無し。
そう。フェレンスって、そういう奴。
言う言わないの問題? いやいやいや。 違うよね?
ツッコミたい気持ちで一杯。
けれども渋々 、水から上がる。
カーツェルは促 されるまま、衣 の前まで歩いた。
《ペタ、ペタ、ペタ ... 》
近づき立ち止まる足音を聞いて、衣の下に目を向けたところ。
爪先 が覗 いていたので、手の位置を下げ間近で見合う。
彼を迎え入れたフェレンスは、重ね言い聞かせた。
「直 ぐにでも用意してやりたいが。
法と対価のみで錬成 するわけにはいかない。
帝国を脱 したとは言え、アイゼリアも不法入国者を見過ごしはしないのだから」
なので当面は、これをと ... 着せてやるわけである。
なるほど。察知されては面倒。
装置が無くては、魔法陣の規模が大きくなるので。
控 えるべきとの判断だ。
衣の端 を左脇から右肩に回し結んでやれば、借り着にはなる。
はず、だった。
が、しかし。
脇に腕を通してから突如 、フェレンスの挙動が停止したので。
「え、何 ... ?」
カーツェルは戸惑った。
尋 ねても無言。
硬直したまま動いてくれないので、尚更 。
ちなみに、フェレンスの心境はこう。
カーツェル、お前と言う奴は。いつの間に、ここまで育った ... ...
身長は、ほぼ同じだが。体格は彼の方が一周 、大きい。
そんな気はしていたが。まさか、この距離で届かないなんて。
つまり、胸に張り付かなければ端を持ち替 える事が出来ない。
一旦 、彼の脇に挟 んで後へ回れば済む話ではある。
ところが、そうと決めた時には気付かれていた。
カーツェルの腕に グイッ ... と引き寄せられ。
気まずい思いを突き返される。
クスリ ... と笑う彼の吐息が、耳に掛かると同時。
「お前の中の俺は、何時 までチビのままなんだよ」
一言、囁かれ。視線を伏せるフェレンスは、はたと納得して両腕に抱く。
そう言えば、そう。
彼は、大人になって久しい男。
本当は目覚めて直ぐに言いたかったが。
悪戯心 が勝り機会を逃すところだった。
不意を突いて、フェレンスの腕の力が強まったので。
追い打ちを食らった気分になる。
カーツェルは息を飲んだ。
するとフェレンスが囁き返す。
「よく、生きていてくれた ... 」
聴くと、意図せず腕が震えだし。
視界が揺らぐ。
堪らず瞑 った瞼 をフェレンスの肩に擦り付けた。
嗚呼 ... 不味 い ... ...
今、現在。胸に込み上げる、この感情は果たして。
自分のものであるのか否 か。
分からない ... 分からない ... ... !
「 クソッ !! 」
遂 には口から漏 れる。
いっそ、このまま。
どうにでも なっちまえ ... ... !
そう思ったまでは良い。
いや、実際は良くないが。
あらため瞼 を開いたところ。
目が合ったのだ。
チェシャと。
「え?」
見られてる。しかも薄目で。
ジィ------------------- ... と。
茫然自失 。
抱き返してから、逆に身動きしなくなったカーツェルを気に掛け。
フェレンスが顔を上げたのは数秒後。
「どうした」
声を掛けても返答は無い。
彼の視線を辿り、振り向いてみると。
「 あ ... 」
同様に目が合ったので、全てを察する。
チェシャの方は、どうだろうか。
そうだな、一言で言って。
夫婦かよ ... ...
と、思う。
だが、言葉にして言う気力が沸 かなかったので。
暫 くの間ぼんやりしてから、ペチョ ... と、再び突っ伏して寝る。
「「 えぇぇえぇ ... !? 」」
二人は声を合わせた。
意外性を極めた子。チェシャ。
具合でも悪いのだろうかと心配したフェレンスが、
腕を解 いたうえ駆け寄り様子を見ようとも。
幼子が目を覚ますことは無かった。
衝動に身を委 ねてみれば、確信が持てるやも。
そんな気がしていたが、ふと我に返る。
確かめたところで、何になるのだろう。
フェレンスは友人であり、契約主。
秘めたる熱情を想定したところで、
何の葛藤も無く接していられるほど疎 くも鈍 くもないつもりだ。
恋愛対象的、意味合いで意識した事すら、ただの一度も無いのに。
知らず識 らず友人を装 ってきたなんて事は、まず考えられなかった。
つまり、何が言いたいのかというと。
どうかしてた ... ...
その一言に尽きるのだ。
然 れど、何故 。
咄嗟 の事。
スルリ ... 解 けるフェレンスの腕に手を添えるカーツェルは、
チェシャに駆け寄る背を追った指先が視界に入ったところで、慌て引き戻す。
名残ゆかし。
無自覚な動作は制しようもなく。
手元を見つめるカーツェルの胸は、やりきれない気持ちで一杯だった。
けれども切り替えていこう。
悩むような事ではない。なるようになる。
それで良いと思ったからこそ、今、こうしているのではないか。
一呼吸置いたうえ、思う次第。
命を繋いでくれた人の背を眺めているだけでも、不思議と前向きになれる。
蟠 りなど直 ぐに、どうでも良くなってしまうのだ。
穏やかな表情を浮かべるカーツェルは、間もなくして向かう。
フェレンスの後 から覗き込むようにしてみると。
正に、猫。... ならぬ、寝子 。
体調不良を気に掛けるフェレンスが、脇腹や首筋の触診を試 みる一方。
目を覚ます気配のないチェシャは、不快を示すでもなく無反応だった。
少しくらい反応があっても良さそうだが、どうも様子がおかしい。
「まるで冬眠中の熊 だな」
ぱっと見ての感想だが。
どちらかと言えばリスかもしれないと思っていたところ、遅れて頷 くフェレンス。
「ふむ ... 」
手を止めた彼は、訝 しげ。
スッ ... と立ち上がる姿を目で追い、カーツェルは尋 ねた。
「ヤバそうなのか?」
「いいや、そうではない。しかし ... 」
「何?」
「冬眠中の熊と言ったな?」
「ああ。 ... え? つーか、関係あんの?」
「 ... ... 」
何を思ったのだろう。
フェレンスは無言で河辺へと戻る。
「て、おい! ドコに行く気だよ!」
「食料を探して来ようかと」
「は!? どうして今? チビはどうすんだ!」
「任せた」
「あ ... うん。分かった。 気を付けて行けよ ... って!
言 う わ け ね ー し な !! ちょっと待て、こらぁあぁぁ!!」
呼び止められ振り向く彼は、まだ何か? と言いたげ。
すっ恍 けてんじゃねーよと思った。
「あのな。行く前に、まず思い出して欲しいんですけど? 俺、さっき何て言った?」
「 ... ... 関係あるのかと」
「そう! それ!」
両の腰に拳を突いて、答えを待つ。
カーツェルは片方の眉尻 を クイッ と上げ、顎 を引き気味に静観。
考え事をしているフェレンスは、所 々 人の話を聴き流す癖 があるのだ。
「ああ。それは、その ... 」
いつもの事なので、苛立 つほどではない。
だが相変わらずの薄い反応には、つい肩の力が抜けた。
それから、ようやく引き出した答えはこう。
「先のお前の考えだが」
「うん」
「強 ち間違ってもないかと」
「 ... ... うん?」
しかしカーツェルは、首を傾 げて硬直してしまった。
どゆこと ... ... ?
片や行こうとするフェレンスだが。衣服は血だらけ。
彼は、もう一つだけ付け加えた。
「とは言え推測でしかないので、戻ってから説明したい。
お前は少し、そこで待っていなさい」
それはそうと、思うところがあったので。
更に呼び止め、物申す。
「いや。待つのは、お前だっつの! まったく ... 分かったよ、もう。
説明するのに食い物がいるってんなら、俺が行くからさ!」
けれども彼は浅瀬を探してばかり。
尋 ね返す時だけ、チラリ ... こちらを見て言うのだ。
「素足でか?」
フェレンスの視線が足元に注がれると、腕組み、踵 を擦 って仁王立ち。
「そういうお前は血塗 れじゃねーか。
魔ノ香 を嗅 ぎつけられたら面倒なんじゃねーの?
なのに新しく着る物を用意出来るヤツは、ここに一人しかいねーだろうが」
「 ... ... 」
一理ある。
河の水で流すわけにもいかないので、シャツを脱いで拭き取るなりしなければならない。
襟元 に手を伸ばし、前留めを外しながら引き返すフェレンスは、
納得したうえ一つだけ条件を述べた。
「ならば頼んだ。けれども、決して土を踏み違 えるな」
「 ... 土?」
----- ここは、大陸の南。
アルシオン帝国、西の国境に面す内陸国。
「樹林帯が国土の大半を占 めるアイゼリアは、
大地の毒を吸い上げ移動する《石ノ杜 》を国防の要と認識し、共存する民の国。
ここまでは、お前も知っているだろう ... 」
目の前まで来て立ち止まる彼に、一つ頷 いて返すと、続きを聞かされる。
「大気が汚染されるような事は無いが、
杜 の地質は特殊だ。一人で踏み入ってはいけない」
横を行き過ぎ幼子を抱き上げる様子を見ていると、
右手側に送られる彼の眼差しが、その先を示した。
「あっちへは行くなってコトだな?」
「そう。対して上の水源と、この周辺はオアシスとも呼ばれる無侵食地帯。
渡った先を登ってみるといい。経緯からすると実の生 る季節だから。
何かしら食べられそうな物が見つかるはず。 ... 但 し、くれぐれも」
「土を踏み違えるな ... だろ? よし分かった!」
カーツェルは意気込み、肩の結びを解 いて衣 を腰に巻き直す。
まるで秘境の原住民かと思うような見て呉 れだが。
傍 まで来て敬服の礼を捧げる彼は、紳士的佇 まい。
「では旦那様、早速では御座いますが暫 し出掛けて参りますので。
チェシャと ... お召し物の作製準備のほどを、お願い申し上げます」
調子を改 め、伝えるとだ。
「分かった」
岩棚の影に幼子 を寝かせてやりながら、答えるフェレンス。
河を渡っていくカーツェルを見送った後 の事。
小枝を拾い上げた彼は、火の印文 を綴 り、高々と放った。
すると、落ちてくる間に燃え尽き炭化する。
それを、クルリ、クルリ、手の側面に絡 め取って、立ち返るのだ。
白い岩肌と向き合い記 すは、扉の形成印。
可能な限り、魔力の消費を抑えたいので。
縦横無尽、複雑な法基盤を細かに描 いていくとする。
光焔 に法を宿し展開する方が手早く済むとは言え。
カーツェルの言う通り。
回復したばかりなうえ、無防備な状態であるからして。
魔物 に察知されること無きよう、多大な魔力の放出は控えねばならない。
あらゆる線を軸にし、幾 つもの円と文様の中に連 なる。
それら魔法陣は、足元から上へ手の届く際限にまで至り。幅 は八歩分。
これでも詰めて描いたほうなのだが。大層な面積だ。
完成するなり、中心を捉 える指先。
彼は唱 えた。
「開け ... 」
収納用亜空間の開放も、フェレンスであれば物の十分で完了するだろう。
カーツェルは、そう予測する。
けれども今更のように思い出して、口を衝 いた。
「 あ ... ... 」
そう言えば、ずっと片付けていなかったと。
後の祭りである。
湖水 のように壁面で波打つ、黒影 の間近まで歩み寄り。
必要物資を呼び出すため手を差し出すフェレンスは、ふと疑問に思った。
亜空間との堺 が、岩肌よりも手前に
膨 れてきているように見えるのだが。
気のせい ... ではないような。
溢れてくるなんて想定外。まさかと思ったのだ。
けれども、時、既に遅し。
《 ゴト ゴト ゴト ゴト ... 》
「何!? ああぁぁ!!」
《 ガチャ ガチャ !! ガチャ ! ガチャ ガチャ ガチャガチャ!! 》
音を立て雪崩 を起こしたのは、ありとあらゆる荷物、小機材。
ほんの一瞬だけ、押し戻すべきかどうか悩むも、法は使えないし。
こんなの無理 ... ...
正面に居たフェレンスは、あっという間に巻き込まれ下敷きになってしまうのだった。
転じ。音を聴きつけたカーツェルが、ハッ とした様子で振り返る。
何が起きたかは容易に想像できたので。
片手で目元を覆 いざまに、顔を顰 めた。
「あちゃ----- ... マ ズ イ 」
お叱り受け事案である。
詰まる所。只々 、放り込むからこうなるわけで。
「ぐ ... あ い つ め ... ... 」
大量の物品に埋もれる中。
ガラガラ と押し退 け上体を起こしつつ、フェレンスは言った。
呆れ果てると腹も立たない。
いっそ埋もれたまま探すとしようか。
一つ取っては、横に置き。
「 ハァ ... ... 」
小さな溜息を漏らす。
しかし、フェレンスの表情は心做 し明るい。
「仕方のない奴だ ... 」
屋敷の管理に日頃の世話、随行員 としての遣り取り。
忙しさに感 けて、目に付かぬは後回しにしていたのだろう。
察すると、責める気にはならなかった。
それよりも心掛かりなのは時刻。
ローブに包 まり眠り続ける幼子 を見やると、胸に支 える若干の負い目。
もう丸一日以上、食事をさせていないのだ。
振り向けば、岩棚の袂 で揺らぐ木漏れ日。
傾きを増す日差しが、木々の陰りを引き伸ばしているよう。
あと小一時間もすれば、夕刻に差し掛かるだろうか。
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