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第五章◆石ノ杜~Ⅵ
空を仰げば、目眩 く歳月を経た巨木の枝々が畝 りを描くかのよう。
風の道筋、水の流れに沿 う生え際の土壌は大きく刳 れ落ち。
根張 を浮かせ、身の丈 を遥かに越える穹窿 を形成している。
カーツェルはチェシャの後ろを歩き、見守った。
這 って登らねばならぬような斜面では、担ぎ上げてやりながら。
一方、安全の確認に余念が無いフェレンスは、常に二人の遙か先を行く。
姿が見えなくなりそうでハラハラするが。
間際には立ち止まり、取り出した懐中機器で位置確認を済ませているようだった。
嵐が来ようものなら濁流 に飲まれるであろう堀りを、急ぎ下らねばならぬ。
長い々 ... 自然隧道 をひたすら。 先へ ... 先へ ... 。 (※隧道=トンネル)
足早に進む主に対し文句も言わず。
揚々として追うチェシャの背を見ていると、その辛抱強さも筋金入りと思う。
特異血種であるが故 。
余程の事態に陥 らぬ限りは、この通り ... 当然のように乗り越え歩んできたのだろう。
清々しい心持ちで。カーツェルは再度、降る木漏れ日を胸に浴びた。
ところが、そう上手く事は運ばないらしい。
--- 深淵 を臨 むは、何者か ... ...
呼び声に応えるが如 き筋道を。
毒を湛えし彼 ノ杜 の標 を。
暴 くべき時 ... ...
彼ら三人の他、関係する幾人もの瞬 き、閃 きが同調するかのような節目に。
転じ、深く沈む視感。
意識的暗闇を経 て、それは現れた。
白藍に放光する水場の底から。
水中花を透かし蓬々 として浮き立つように。
水面 に揺れる水影が、一枚、また一枚。
剥がれては舞い上がり、気配を放っている。
夜光石を敷き描かれるは、
孔雀 の尾羽 を思わす幾何学的左右対称柄 。
「やれやれ。地下洗礼堂とは酔狂じゃないか、バノマン ... ... 」
円柱の堂内に響き渡る声は、洗礼盤の中心にある気配から発せられた。
壁面に組まれた回り階段を降りていく、初老の男が目をやると。
その赤い瞳が微光を湛 え艶麗 を醸 す。
指先で水影を払う気配は、やがて。
裾 の広い衣を一枚きり纏 い、水場の縁 へと躍 り出た。
「しかも、硝子 ノ宮の資材を運んで造らせたんだね。
この世にシャンテの中枢なき今、何の役にも立ちはしないのに」
「神秘学者の研究材料として、保管を兼ねているのでね」
「ああ、そう」
降りて来る男を冷ややかに見つめる翠玉色 の瞳と。
白百合の蕾 を思わす淡黄 色の髪。
身丈 に余る衣と、裾 に届く毛先を揺らして首を傾げる彼は、
然 も投げやりにあしらう。
「さて。それはそうと、僕はいつまで待たされるのかな?」
長居するつもりは互いに無い。
含 み笑いから見て取れる意向だ。
「アイゼリアの杜 に関した帝国の懸念を知る彼の事。
あちらへ逃れることは分かり切っていた」
回りくどい話も極力、避 けたいので要約する。
「つまりは、こうかな。
君達、過激派 の追撃先送りを見通した者が ... 結社には存在する」
「そう。察しは付いているが。あの男は高位貴族、及び上院議員 のNO.Ⅳ」
「《フォルカーツェ・L・ディート・ランゼルク》 ... 言行不一致の厄介者だね。
僕は、あの忌 まわしいシャンテの竜とフェレンスが交わした
契約の解除だけして欲しかったんだけどな。どうしても無視出来ないのかい?」
「石ノ杜 が他の土地を侵蝕 し始めたのは何故 か。その生態を暴 く必要がある」
「まぁね。君たちにとって不都合なのはあの杜の毒 ... と言うよりは ... 」
語尾を濁し小声で笑う彼の視線は、様子に反して鋭い。
「 フフ ... それにしても、困ったな。
せっかく送り出した使者も、あちらでは役に立ってくれそうにないんだから」
バノマンは口を閉ざし、嘲笑 する彼の声を聞きながら思索した。
それすら知られているとすれば、尚 、解 せん。
高位貴族、及び上院議員 の結社が、
禁断ノ翠玉碑 と神血 を求めるのは何の為 か。
亡国のように、魔導兵を軍に据 え置くつもりなどと
幼稚な策謀を抱くのは、軍権に依存する愚か者のみであろう。
シャンテの中枢は蒼ノ要塞 に移植されたのだ。
叡智 の結晶である《それら》を手に入れたところで、要塞の主 に楯突こうなどとは馬鹿げた話。
勝る力を得る方法さえ、この世には存在しないのだから。
闇雲に策を講じるはずも無いが ... ...
「何 れにせよ。
我々は杜 が暴 かれた後 に備えるのみ。
使者を呼び戻すか否かは貴殿にお任せしよう」
「無駄な労力を注ぐつもりはないな。
僕が欲しいのはフェレンスだけだから。君達こそ、好きにすると良いよ」
「であれば暫 し、お待ち頂こうか」
流石 、宗教的過激派を率いる役者の物言いは一味違う。
彼ノ尊 を前に、対等な口を利 いても引けを取らない。
対し飄々 と虚空を見上げる。
ユリアヌスの言説は吐息を交え、些 か放漫。
「待ち遠しいな ... 早く救い出してあげたい。
彼は僕の番 であるべき存在なのに、シャンテの影に取り憑 かれている。
《賢者ノ石》を造り上げるために成すべきは、僕と一つになる事。
彼だって、本当は分かっているはずなんだ」
それなのに ... あの男が邪魔をする ... ...
彼の目色が豹変したのは、
求めてやまない人物に付き纏 う男の《影》を連想した瞬間だった。
「忌 まわしい、シャンテの竜め ... ... 」
その場を去る間際に見る妖雲。
尊 の放つ無情の風合いが足元に吹き付け。
洗礼盤を振り向けば、黒煙が立ち込めるかのよう。
枢機卿。バノマンは、それを一時 ほど眺め立ち返る。
余分に関わるのは面倒。
且 つ危険であると、彼は悟っていた。
杜 が国境を蝕 むなら、軍事衝突は避 けられぬ。
だが、資源輸出国と争えば、自国の産業にも打撃となるのだ。
軍事力が勝るか、動力 資源の掌握力が勝るか。
泥沼化する前に、距離を置きたいのが両国の本音と推測する。
結社の有力者は少なからず杜 の進行停止を望み、裏工作に着手しているはずなので。
異端ノ魔導師を送り込む策は受け入れられなくもないだろう。
とは言え、代償 は大きい。
例えば枢機卿、率いる過激派にとって好都合である事を第一とし。
その他にも ... ...
ともあれ。両国が共に、杜 の存在する意義について触れようとしない、
... その謎に迫るなら。
何らかの陰謀が暴 かれるであろう。
--- 彼女が選ばれたのは、そういう理由からだ。
場面は地下洗礼堂から、地上に建つ聖堂の最奥へと移り行き。
列柱廊 にて。
枢機卿を迎えた男は、主 の意図 を読み解き、添 い歩く。
「彼女を向かわせる準備は?」
「とっくに済んでいますよ? 出入国管理庁に穴を開けておきました。
我々に不手際を握られ結社に抹殺されるより、寝返る。
連中にとっては生きるための賭けなのでしょうが ... 容易 いものですね」
「彼女に薬を与えた輩 は、まだ生きているか?」
「それは ... ... 」
バノマンの問いに対し、アシェルは少しばかり口籠 った。
そして立ち止まり、質問で返す。
「お言葉通り、単なる生存の確認ですか?
それとも、利用できる状態にあるかどうかをお尋 ねでしょうか?」
対して彼の主人は、振り向くでもなく即答した。
「その両方だ」
アシェルは、厭 らしく笑う。
指の側面を唇に這 わせて。
フェレンスに仕えていた頃の修道服とも不釣り合いであるが。
艶 やかな淡黄 の光沢を持った司祭平服 を着る、現在の彼とは比較にならず。
不気味。
白い柱の間から差す光を受けて輪郭を滲 ませる両者の影は、やがて消え。
反転していく情景は不知火 を彷彿 させた。
そこはまるで、泥海 の淵 ... ...
何処 へ誘われるや。
只々 、信ずる者を後追うも。
二日目にして気掛かりが増えたとあって。
カーツェルの視線は、前を歩くチェシャの足元に釘付け。
思いのほか旅慣れていた幼子 の頑張りもあって、快調なペースを保ってはいたが。
そろそろ言うべきか、否 か。
遥か先を行くフェレンスを見やっては、焦点を戻し悩んでいる最中。
ゆくりなくチェシャの足取りがふらついたので、彼は駆け寄った。
そして、何も言わずに手を引き込み負 ぶる。
するとだ。
「降ろしなさい」
と、フェレンスの一声。
睨み上げたところ、語気を強め彼は言う。
「聴こえなかったか? ならば繰り返す ... 降ろしなさい。カーツェル」
然 れども、そこはあえて無視 。
瞼 を伏せ、チェシャを背負ったまま歩き出した彼は、行き過ぎざまに吹っ掛けた。
「時々、遠くから様子を見るだけの分からず屋が何か言ってるけど、
気にしなくていいからなー。チェシャ」
そうは言われても ... ...
困る!
聞こうとしないカーツェルと、物言いたげなフェレンスと。
交互に見て、落ち着き無く目の前の黒髪を揉 むチェシャは、気が気でない。
冷や汗まで出てきた。
しかし、上手く言葉に出来ないので。
「 ゥゥー ... ムー !! 」
降ろして! 降ろしてー! という気持ちを込めて呻 いていたのだ。
大した事ではないのに、険悪な雰囲気 である。
「分からず屋とは、言っても聞かない者のことを指す言葉では?」
「他にもな、察しが悪いとか、融通の利かないヤツにも当てはまるんだよ。
今のお前にぴったりだろーが」
正直、勘弁して欲しかった。
「なるほど。であれば、もっと具体的に指摘してくれないか」
「 ... あのな、お前。この前、俺に何て言ったか覚えてる?」
「 ... ... 」
「 ... ... 」
カーツェルは気付いて欲しいらしいが。
チェシャは思う。
いや無理でしょ。
具体的にって言ってるのに。
黙り込んでしまったフェレンスは、一先 ず思い巡 らせているよう。
だが、彼の切り返しは360度の角度から、こうだ。
「もう一度、言うぞ?」
「もういい!! 気配りを忘れるなって話だよ!」
どうやら パッ と思い出せなかったみたい。
でしょうね!!
けれども悔しい。と、言うか。拍子抜け。
カーツェルもチェシャも ガクン と肩を落とすが、即、持ち直し訴 えかけた。
自分で言っといて何だ。とまでは言わないが。
「傍 に居られなかったんだから、そりゃ仕方ねーし。お前のコトだもんな。
どーせ、やり抜こうとする子を余分に甘やかすのはどうか ... なんて思ったんだろ」
フェレンスは真剣に耳を傾けている。
「でもな ... 」
カーツェルは一旦、話を区切って何やら ゴソゴソ と音を立てはじめた。
そうして、お負 ったままチェシャの片足を取り。
パッ と小さな素足を晒して見せながら言い放つのだ。
「もう、足のマメが潰れそうなんだよ!」
見て納得。
はたと数回、瞬 いたフェレンスの手が、幼子 の踵 に添えられる。
「履物 が合っていなかったか」
「ロージーも、コイツが着の身着のまま旅に放り出されるとは思わなかったろうからな」
「ふむ ... 」
「俺たちの服は合うように拵 えてある。けど、さ ... 」
一度、屋敷を出てからチェシャの装 いは変わらない。
町の子らと紛 れ目立たぬよう、適当に揃えられたものだった。
臙脂 色のフード付きケープも、よく々見れば。
あちらこちら、毛羽立ちが目につく。
枝葉に擦 れた跡だろうか。
それはそうと。
カーツェルが何か言いかけたと思ったが。
すっかり黙ってしまったので。
疑問に思い顔を上げて見ると、バツが悪そうに目を逸 らす。
無頓着だが冷静、且 つ素直なフェレンスの受け答えを聞いて、
少しばかりムキになってしまった事を反省しだしたよう。
すると、フェレンスの口元から吐息のような笑みが零 れ。
彼は尋 ねた。
「当初から気に掛けていたのか」
「うん。だってさ ... 」
片や、なお口籠 る有様 。
そっぽを向く顎 の側面に指を突き、
正面を向くよう仕向けたフェレンスは ... 一言、囁 く。
「良い子だ ... 」
カーツェルは ドキリ として息衝 いた。
時に妙 な言葉を使う。
からかっているのか、どうなのか。
然 れど本人は、何気無し。
さっさとチェシャを抱き降ろしたうえ、木の根元に座らせて足の具合を診ている。
そこで、何がそんなに気不味 いのかと言うと。
こんな事で一々赤面している自分だ ーーー !!
《あぁあぁあぁぁぁぁぁ゛ーーーーーーーーー!!》
思わず背を向け別の木を殴る 。
《 ゴスッ !!》
鈍い音がしたので見やるチェシャは、
ああ、またか ... と、思った。
しかし気になるのは、もう一方の反応である。
向き直ると、フェレンスの口元に浮かぶ笑み。
素知らぬふりをしているのだと分かった。
取り出した手巾 を折り、処置しながら彼は言う。
「ところで、何故 こうなる前に言わなかった?」
当然の疑問だが。
不意に痛いところを突かれたものだから、つい俯 いてしまう。
唇を尖 らせるチェシャを見たカーツェルは、透 かさず間に入った。
「つーか、お前が感じ取った通り。
足手まといになりたくなくて頑張ってたんだろーが。責めるトコかよ」
「そうではない」
対して即、返す。
フェレンスは思慮を重ね、加えた。
「だが念 の為 、確認しておきたい」
「確認?」
「自身の血が特殊である事。
流血してからでは対処し難 い事。
その点については、チェシャ ... お前が一番よく分かっているはずだな」
チェシャは黙って頷 く。
「ならば、私が伝えておきたい事は三つ」
フェレンスの声は穏 やかだった。
目を見て耳を傾 けている幼子 と、向き合う彼。
眺め、ゆったり息を吐くカーツェルは、やれやれ ... といった気分。
一つ。指を立て、彼は言う。
「自立心が強く、何事も懸命なのは良い。
だが、意地になってもらっては困る」
二つ。足される指。
勿論 、真面目な話だ。
「カーツェルは魔ノ香 に敏感な体質だが、私はそうではない。
それとなく預 けきりになってしまう事もあるので、彼の不満は尤 も。
だが、そこは ... その都度、反省していく」
けれども。
え、待って ... ...
二人は同時に思った。
その都度? ... ...
ああ、治 す自信ないのね ... ...
ツッコミを入れたいのは山々だが。
斯 く言うフェレンスは気にも留 めていないようなので、飲み込む。
そう、集中して聞かねばならぬのだ。
なのに。なのに ... ...
カーツェルめ、背を向け密かに笑ってやがる。
気が散って仕方がない。
けれどもチェシャは堪 えた。
三つ。フェレンスは続ける。
「保護符 が魔ノ香 の拡散を防いでも、鼻が利く魔物 は見通す。
なので、次からは何かしら知らせてくれると有 り難 い」
終わりにチェシャの頭を撫 でて微笑む彼を見ていると、気持ちが和 んだ。
落ち着いた頃に振り向くカーツェルは、あらため実感する。
これが、彼の《誠 》の姿。
そう無闇に叱 ろうとはしない。
底知れぬ優しさを秘めた男であるのだと。
とは言え、何だ。視線が痛い。
想いに耽 っていた彼は次に。
ガンッ! とこちらを睨むチェシャと目が合い、面食らって驚いた。
「え!? 何だよ!?」
「 ンン ... ム !! ツェル 、メ !! ノ 、 ンムム --- !! 」
指差し、名指し。
文句を言われているのは分かるのだ。が、内容までは、どうにもこうにも。
すると、チェシャを抱き上げ歩き出したフェレンスから一言、投げられる。
「真面目な話を聞いている時に笑ってんじゃねーよ。だ、そうだ」
「え!? だって、それは! お前が《その都度》とか、微妙なコト言うから!」
実は、カーツェルの様子も余 さず把握していたよう。
彼 ノ魔導師 ... 侮 れぬ。下僕 は思った。
《 ンムム 》を、どう訳 すれば、今の解釈に至 るのか。
「それに! チェシャは、そんな口の利き方しねーだろ! なぁー? チェシャ~?」
苦し紛れ。
フェレンスの肩越しに顔を出すチェシャに問いかけてみるけれども。
所詮 、ダメ押しだった。
《 ヤダ、この子。 お前がソレを言う? みたいな顔してる!!》
トボトボ ... だいぶ遅れてから二人を追う。
カーツェルは、心で泣いていた。
云々 。所、変わる。
石ノ杜 、圏内。
帝国中部より南下する分水嶺 に沿い連なる山岳を、
西へ越えたフェレンス達とは異 なり。
国境から南へ向かった後 。
急ぎ、石ノ杜へと逃れたクロイツ一行の現在に至っては。
概 ね、想定された通りの運びとなっている。
アイゼリアの国境警備隊によって拘束された彼らは、事無く尋問を済ませ。
相手方 、指揮官を通じ交渉を持ちかけたところ。
長い年月と雨風により岩崩れし、形成された洞穴 の深部にて。
《 ジャリリ、ジャリリ ... 》
響く足音。
目の前を左右に行き来する男を目で追うノシュウェルは、浅く溜息して項垂 れた。
足元は、骨とも見紛 う砂礫 で覆 われている。
石ノ杜 と呼ばれる由縁 だ。
大地を侵蝕 し、毒を生成する植物生態の最末期に見られるという白石化。
その深度を探れば、杜 の向かう先が見えてくるというもの。
だが、知る手立ては今のところ無い。
連行されている間は目隠しされていたので。
現在地すら把握できていないのだ。
知ったところで、今更だが ... ...
そして思う。
それよりも気になるのは部下達の安否。
一人々 、尋問を受けたとは思うが。
水や食事は与えられているだろうかと。
与えられているのであれば安心。と言うか。
出来れば自分も、そちらへ混ざりたい。
なんちゃって。
そう。部下達はどうか分からないが。
彼ら二名には、水しか与えられていなかった。
帝都を脱してから五日経 つが。
それでも尚 、ギラギラとした眼光を絶やさず。
目の前の男を睨むクロイツの根性には心底、関心させられる。
まぁ、何だ。
自分も軍人である故 。
そういうものだという事は理解出来るのだ。
相手から得 られる情報は如何程 か。
活 かすに値し、利用可能な人物であるか否 か。
見定めるためには極限に追い込む必要があると。
しかし、交渉に持ち込むつもりであったのだから。
穏便 に済むものと見越して、一言。
そろそろ、食事くらい出してもらえないかなぁと。
言ってみたくもなる。
なのにだ。隣に居座るクロイツ。
この人ときたら ... ...
一昨日、切り出してみた時ね。
聞くなり、人の足を踏みにじったのね。
どんなに痛かったか。
聞いてくれる? 聞いてくれる?
ではまず。ご想像、頂きたい。
食事と言いかけたところで、
クロイツの踵 が膝 の高さまで上がるのが見えたのだ。
どんだけ ... って話だよ。
あ れ は 痛かった。本当 。
いつかは部下にでも聞いてもらいたい。
ノシュウェルは長いこと考えていた。
大声を出したら、追い打ちの壁ドンパンチが来ると思い。
口いっぱいに呻 きを頬張 って堪 えたのに。
『交渉に持ち込むまでが肝心なのだ。
軽んじるられるような無様を晒 すなど、許さんぞ ... 』
小声で釘を刺す、ドスの利 いたクロイツの声が恐ろし過ぎて。
若干、トラウマ。
交渉中であろうと、安易 に口を挟 む気にはなれなかったのだ。
《 ジャリリ、ジャリリ ... 》
行き来する足音は止まない。
片 やクロイツは、終始、男を睨み続けた。
国境警備隊の制服ではなく。
フード付き外套 に民族色の強い装 い。
民間に紛れて活動しなければならない官職と言えば、
隠密 と相場が決まっている。
関係者に身分を知らしめているのは、胸元に光るアイゼリアの徽章 だ。
「居所は掴めたか?」
「いいえ。そればかりか、国境を通過した形跡も確認できていないようです」
「帝国からの要請は?」
「変わりありませんね。逃亡犯引き渡しに関してのみであると」
「あちらも魔導師の行方 を特定するには至らぬか」
「ええ、まあ。そこに居る二人の言っている事が真実であればですが」
聞き耳を立てていると。
《異変》が生じた気配も無く、膨大な魔力の放出も観測されてはいないらしい。
「しかし、帝国ばかりか我々の探査網まで掻 い潜 るなんて。オレには信じられませんよ」
紅玉 を連れた帝国魔導師が軍規を乱し、
国を脱したという話を聞いて、目の色を変えぬ軍人など居ない。
それを聞いた連中の反応を、一瞬ばかり思い返すが。
不必要に口を開こうとはせず。
ノシュウェルは横を向いて、クロイツの様子を伺 っていた。
何せ、この通り。確たる証拠が無いのだから。
嘘か真 か。
虚言と見做 されてもおかしくはないので。
さて ... どう切り返すものかと。興味津々である。
すると、薄っすら開く唇。
笑っているのか。
目元に隈 を拵 えても、陰らぬ威勢。
クロイツは断言した。
「悪名、名高き《異端ノ魔導師》には、それが可能なのだ」
振り向く連中は、揃いも揃って顔を顰 め佇 む。
「信じようが信じまいが、貴様らの勝手だがな。
一方にとっては、たかが不法入国者。
また一方にとっては、不審をはたらいた程度の軍人。
にも関わらず、この様は何だ。考えてもみろ。
わざわざ密偵を差し向けるほどの事か?
重犯と断定するには日が浅すぎる割に、決めつけて掛からねばならぬ理由とは何だ?」
交渉を持ちかけておきながら弁 えもせず、高圧的で癪 に障 るが。
その場に居合わせた者、皆で考えさせられた。
対して連中の仕切り役が言葉を返す。
「双方共に、知られたくない事情から相手の目を逸らそうと画策している ... とでも?」
ニヤリ ... クロイツの笑みは不敵。
どうよ、この顔 ... ...
辺りを見やると、報告をしていた側の男が後退 る動作を目にし、
共感を覚えずには居られない。ノシュウェルは思った。
引くよなぁ ... ...
分かるよ、その気持ち。
それはそれとしてだが。
クロイツの話は強 ち当てずっぽうでもなさそう。
公判を控えた異端ノ魔導師と、その下僕 の動向、全て憶測であるにも関わらず。
隠密 と思わしき男が現 れるや、見計らったように交渉を始めたのだ。
この人が敵じゃなくて幸 い。
心から、そう思う。
続けて見方を示すクロイツは淡々としたもの。
仮に両国が魔導師の足取りを掴んでいたとして、言う理由 がないとの事だった。
名のある魔導師の確保は国益、安保推進に結びつく故 。
利害を見極める必要こそあれ。
理に適 いさえすれば、例え余所 で法を犯していようが自国には何の不都合も無く。
唯一 、問題があるとすれば。
提示されるであろう条件。
つまりは、見返りである。
「 ククク ... あの男の利用価値は計り知れんのだ。
国家機密に触れる事もある隠密 なら。
誰に会わせるべきかくらいは、見当が付いているはずだな?」
「 ... ... 」
「異端ノ魔導師を甘く見ると高く付くぞ?
尤 も我々であれば、あの男を黙らせる事など容易 い」
「 ... ... 」
「ヴォルト ... 危険です」
後退 りしたままの男が、仕切り役を見て言う。
例え真実を述べているとしても、魔導師と結託 した工作員である可能性は否 めない。
分かっている。
だが、彼は異例の決断を下した。
「エルジオ。二人を連れて来い」
「え!?」
「その他は拘留措置 を継続する事」
「いや、でも! と言うか、まさか! 謁見 させるつもりですか!?」
「機密事項を極 、内々 に留 めながら
即、我々を差し向けられるのは、あの方しかおらんだろう」
「それは、確かに ... オレもそう思いますけど!
でも、ヤバイと言うか。マズくないですか!?」
見ていると、片方の取り乱しようが半端ない。
まだ若いとは言え、一介 の暗躍者が戸惑うほどの人物とは。
「まさか、国王じゃないですよね?」
声を潜 めるノシュウェルに、また小声で返す。
「そう。飾り物に隠密 の指揮が務まるはずはないのだ」
クロイツの顔色は心做 し明るい。
何日も水しか与えられていないというのに。
この人、本当に図太いな ... ...
「流石 、俺の見込んだ人だ。ああ、あなたのコトなんですけどね」
「巫山戯 るな。自惚 れ屋に言われる筋合いは無い。私の格を下げるつもりか」
「いえいえ。滅相 もない」
とりあえずは、これで。食事にもありつけるだろうし。
兎 も角 、感謝の気持ちを伝えておきたいだけ。
「ありがとうございます」
「 ... フン 」
素っ気なく顔を背 けるクロイツであるが。
と、言うことはだ。満更でもない気分なんだなと。
そう考えれば、つい頬 が緩 む。
交渉の第二段階は、いつ頃になるやら。
先は長そう。
けど、まぁ、この人となら切り抜けられるに違いない ... ...
ノシュウェルの心持ちは安らかだった。
ともだちにシェアしよう!