49 / 61
第五章◆石ノ杜~Ⅻ
長く、重厚な低卓 の天板には黒の強化硝子 。
黒鏡 の如 き卓上に映し出された髭 の人物は、白頭長眉 の小柄 な老君 。
落ち着かないのか、肩を竦 めて俯 く。
老人は彼の質問に対し、こう答えた。
「そんなコト ... 儂 が知るワケないじゃん?」
ションボリ ... として力無く、実に弱々しい声だった。
「そもそもじゃ。尋 ねる相手を間違 うておるわい」
何を恐れているのだろう。
戸惑 っているようにも見えるが。
アレセルは立ち上がり、相手の傍 まで歩いて行く。
〈 コツ ... コツ ... コツ ... 〉
靴の踵 が大理石の床を鳴 らす音を数えてみると。
低卓 の端 から端まで、大人の足で八歩。
「なるほど。風の噂 に聞いてはいましたが。
ご嗜好 が些 か悪趣味ですね。とんだ猿芝居 だ」
相手の真横まで来て、卓上に片手を乗せたアレセルは依然 として無表情だが。
ゆっくりと握られていく手に力が込められる様子を目の当たりにする。
老人は、密かに汗した。
対して、また幾 つか問う。
「では少しばかり質問を変えますので、お答え頂けますか?」
置かれた拳 は、やがて引き下ろされた。
けれども不穏 な気配を放つ彼は、老人の背後を行ったり、来たり。
「直接的ではないにしろ、〈Ⅳ 〉に雇 われた事実上の工作員。
貴方 が、その一人である事は分かっているのです。
風の噂 などと、あの男に情報を流し続け。
そればかりか、禁断ノ翠玉碑 を手に入れた暁 には
関連する研究活動に参加させてやってもいいと ... ...
そう吹き込まれ貴方 が取引した相手は、あの男だけではない事も」
不安定な息遣 い。
強張 り震える腹の底から絞 り出されたような、声音 の重圧。
「果たして貴方 は、誰にとっての二重スパイなのでしょう。
あの御方 ですか? ... それともⅣ ? もしくは ... ... 」
吐く息は細く、長く。
吸う息は一度に、早く。
並の人間であれば、危険人物と認識し震え上がるだろう。
だが老人は、あっけらかんとして返した。
「あの魔物小僧 だけは無いて」
「 ... ... そんな事は分かっています」
じゃあ、何で今、言いかけたの ... ...
老人は心の中で思う。
そうして無理やり飲み込んだ。
まずは話を最後まで聞いてみようかと。
アレセルは続ける。
「あの男は、フェレンス様との巡 り合わせが自身の兄によって仕組まれたものだと知っていました。
自分に都合の良いよう誰にでも情報を漏 らすような、向こう見ずで口の軽い人物は、
そこそこ名の知れた〈秘術師〉であるとも聞いています。尤 も ... ...
記憶の改竄 を恐れ、故意 に口を滑 らせようとも咎 める者はいないそうですが」
拍子抜 けしたのか、少しばかり冷めた口ぶりだった。
なのに態度だけは相変 わらず。
「限定的記憶の抹消 。
あの男が自 ら望んで申し出るよう仕向けるまでがⅣ の筋書き だったのです。
実行したのは他でもない、貴方 だ。そうでしょう?
星詠ノ郷 に伝わる秘術を受け継ぐ者。水郷 ノ民。
オルフォード・ルフ・カルロ ... ... さあ、お答え下さい」
此奴 。またしても言い切りおったわ ... ...
思うところは様々あるし、うんざりもする。
しかし老人は肩で大きく息を吸って、吐くだけ。
決して答えようとはせず、そればかりか話を逸 した。
「奢 りが過ぎるのぅ、若造 」
「漏洩 すると分かっていて、主犯 が正犯 に真意を明かすわけがないと仰 っしゃりたいのですか?」
「違うの」
それ以前の問題よ? と、続けて。
老人は意見する。
アレセルは歯を食い縛 って聞いた。
「手順が成 っておらんのじゃ。諜報 活動の優 れ者であるなら、
上手くすれば利 が得 られる事を相手に分からせたうえ、引き込むものじゃろうてのぅ」
問い掛けを完全に無視された挙 げ句 、駄目 出しを食らってしまうとは驚 きである。
円 み豊 かな口調が、アレセルの神経を逆撫 でているよう。
老人は尚 も軽口を叩いた。
忘れたの? そんなはずはないよね?
そう、彼の箍 が外 れてしまったのは、指摘に次 ぐ指摘のせい。
「お主、何を焦 っておるのじゃ?」
「 こ っ ち が 聞 き た い !!」
突然のガチ切れ。
だが、老人は動じなかった。
それどころか涼 しい面持 ちで茶を啜 りはじめる。
今のアレセルに、それら老人の振る舞いを顧 みる余裕は無かった。
目の焦点 を合わせる事すら難しい中で、彼は言う。
焦燥 感の滲 む言行 だった。
「鼓動で ... ... あの御方 の心身の乱 れが伝わってくるのです ... ... !!
何があったのか、知る由 もないのに!! どうにか、どうにかして知りたい ... ... !!
どうしたら良い!? 少しでもあの御方 の置かれた状況を予測し手を打たねばならないのです!!
公判前、あの御方 から水郷 の伝承 について触れる文献 は無いかと尋 ねられました。
けど、あの時の僕は気付かなかった。水郷 に伝わる秘術については知っていたのに!!
催眠 法の一種。
深層意識に働きかけ記憶を操作する事により精神疾患 の元を取り除 く秘術師が存在すると。
思い出した時、あの御方 が尋 ねた理由が分かった。全 て繋がった。
あの男の記憶が関係しているに違いないのです!!
でも手掛かりが足りない。
その昔、行方 知れずとなった秘術師とその弟子について調べました。
弟子に限っては今も存命している可能性があった。
更に調べると、あの御方 と薬品や霊草 を取引し配達を行っていた人物に行き着いたのです。
貴方 だ!
各勢力と通じる貴方 なら、Ⅳ の企 みについて如何 ばかしかは推測 可能なはず。
Ⅳ の狙いが分かれば、あの御方 が懸念 する〈あの男の欠点〉が見えてくるかもしれない!
そうでしょう!?」
要するにだ。
「汝 が知りたいと言う実のところは、異端ノ魔導師と契約した小僧 の〈弱み〉と言う事か?」
狂っている。
老人の声色 が豹変 し、地を這 う音 を成 したにも関わらず。
アレセルを怯 ませるには至 らない。
「 ... ... そう」
ユラリ ... 立ち返る彼は細々 と答えた。
「あの御方 に仇成 す要因 があるなら。
即刻、取り除 かねばならないのです ... ... 」
煙 る街景色に目を向ける彼は、落ち着きを取り戻したかのように見えた。
ところが、よく見れば血の気のない顔色をしている。
激昂 を通り越し卒倒 していても不思議ではない。
執着、執念、何 れにもとれる強い想いが、その姿を支えているのだろう。
「嗚呼 ... ... 気が狂いそうだ。あの男は一体、フェレンス様に何を ... ... 」
「狂いそう? これはまた、今更 な事を言う」
すると、茶の器 を置いて言葉を返す。
老人の物言いは威風 を堪 たえ、厳格 を極 めた。
「汝 が気狂いを起こしたのは、疾 うの昔。
今や限られた自身の寿命を懸 け、それを鎮 めたのがシャンテの傀儡 。
これだけ思い詰めているにも関 わらず、
霧 ノ病 を発症せずにおるのが不思議と、自分でも思わぬか?
それもそうじゃろう。汝 が正気のつもりでいられるのは
〈傀儡 ノ心臓〉として機能しておるからじゃて ... ... !」
「僕の大切な人を〈傀儡 〉呼ばわりするのは や め ろ !!」
末尾 まで持たず、声枯 れするほどの拒絶 反応。
その時、部屋の片隅 で見守っていたメイドの肩が、ビクリと跳 ねた。
何のため立ち会う羽目 になったのだろう。
老人の気掛かりは、彼女にも向けられる。
するとアレセルは言った。荒 らぐ呼吸を静 めながら。
「僕は知っています。貴方 ですら僕には手が出せない。
そう ... ... 僕は、あの御方 の心臓なのですから」
「どこまでも生かされておきながら、哀 れじゃのう。
そんな事ではな。知っていたところで、とても聞かせてやれんわ」
「 ... ... 」
更に。突如 として椅背 を握 り込んだ彼は、不気味に笑う。
そうして、老人の座る椅子 が部屋の壁 に ガツン! と押し当たるまで力一杯、引くのだ。
正面に立って屈 み込み、視界を遮 る凶眼 。
長尾 の影に隠れた鋭 い視線を凝視 する。
彼の挙動 に危機感を覚 えずには居 られなかった。
「やはり ... ご存知 なのですね ... 」
「おやめ下さい! アレセル様!!」
嫌な予感に押し切られ口走ったのは、立ち会っていた一人のメイドである。
「少し黙っていてくれませんか! リリィ!
僕は、この老漢 を味方 とは思っていないのです!!」
「いいえ、黙りません! だって、だって ... !
その御方 は旦那様から大事なお役目を!!」
「おバカじゃのぅ ... 精霊の娘御 やぁ ... 」
言いかけたところで老人に遮 られた。
リリィは ハッ ... として口元を抑 える。
アレセルの苛立 ちは最高潮 に達 し。
ギリリ ... 食い縛 ると。
引き攣 る唇 の隙間 から、漏 れ出す歯軋 りの音 。
「では、それも含 め洗い浚 いお聞かせ願います。さもないと ... ... 」
軍警に属する法制管理官の制服に佩用 された、略綬 を横切る目向き。
老人が実際に見ていたのは、その向こうだった。
黒光りする銃身 。
彼が取り出した拳銃 は、老人の顎 の下へ突 き付けられる。
こりゃ堪 らん。シワシワと萎 み込む口から溢 れたのは、本音だろうか。
「シャンテの厄介者 め、何のために汝 を生かしたのか理解不能じゃ。熟 、迷惑な!」
「聞こえていたでしょう? 二度はありませんよ?」
受け流しは通用しない。銃口が顎 の下を刳 り上げてきた。
今となっては、もう自棄糞 。
「儂 は記憶の抹消 なぞしておらん!」
老人は矢継 ぎ早 に言い立てる。
「儂 が受け継いだのは〈封止忘却 ノ術〉と言うてな!
記憶を深層へ沈め、意識への干渉 を防ぐ封じ技 じゃ!!
あくまでも忘れているだけにすぎん! 何を切 っ掛 けに思い出すやもしれぬ!
Ⅳ の思惑 なぞ知った事か! 一時 の不都合を排除 するだけと思うたわ!!」
「つまり、そうではなかったのですね?」
「儂 は確かにシャンテの厄介者に関する記憶と、矛盾 が生じるを前後の幾 つかを封じた。
小僧の兄も事故と言って取り繕 ったはずなのじゃ。
なのに彼奴 め、あの厄介者の存在だけは忘れなんだ!
いや。小僧の中には自身のそれとは異 なる記憶が
暗号のように灼 き付いておる! 恐 らくは、そのせいじゃ!
引き出せるのは、記憶の持ち主の魂 に触れ、散り々 になったそれが元の形を成 そうとした時!!」
「いやですね ... ... ハハハ ... ... 冗談じゃない。それでは、まるで ... ... あの男が、
かつて魔導兵として仕 えた竜騎士の記憶を受け継ぐ、生まれ変わりと。
そう言っているように聞こえます ... ... 」
「汝 が言うたのじゃ。推測 せぇとな」
アレセルは言葉を失った。
「あの厄介者。シャンテの中枢 を司 った者の一人である〈記憶ノ番人〉が、
何時 、何を仕出 かしおったかは儂 にも分からん!
しかし、あの小僧め。思い出すまで行 かぬうち、次から次へとアレを好きおる!
その都度 、幾度 となく封止忘却が発動してきたのじゃ!
汝 に分かるか。小僧の心の奥底で犇 めき合うのは、恋慕 の情ばかりではない!!」
「 ... ... そう、ですね。あの御方 を忌 む者への嫌悪感など、数え上げたら切りが無い」
「そっとしておくのじゃ。
〈神々ノ器 〉と言うが、魔導兵たる者の本質なぞ魔物 と変わらん!
それがどうにかなってみろ、何が起こるか分からんぞ!!」
どうにかなるだって ... ... ?
「 ハハ ... ハハ。ハハハ! ハハハハハハ!! どうにかなる? あの男が!?
それはそれで好都合ですよ? あの御方 が帝都を去り、
彼 ノ尊 と距離を置く決心をしてくれさえすればよかったのですから!!」
「何、じゃと?」
「あの男は僕にとって、もう、用済みなのです ... ... 」
堕落 した魔導兵は真正 の魔物 。
契約主 との絆 を強化し、原形再生の後ろ盾 となる楔 ノ法が、
契約者によって打ち破 られる事を意味するのだ。
「お陰様で。Ⅳ の狙 いが見えてきました」
落ち着き払 って囁 く。
アレセルの様子が打って変わり、ただならぬ空気が漂 った。
老人とリリィ。二人は同時に息を殺す。
胸騒ぎ。曰 く言い難 し。
「よもや、汝 が成 り代 わるつもりではあるまいな!? 何たる傲慢 !!
傀儡 ノ心臓に、そんな事が出来るはず ... ... ! ぐ! ああ!!」
老人の胸元を掴 み上げるアレセルの手は、甲 を返し。
腕 をあてがうや壁に押し付け、首を締 め込む。
最早 、声にもならない。
リリィは、すっかりと青褪 め打震 えるばかりだった。
「二度は無いと言ったはずです」
彼は続ける。
今は方法が無い。
けど、いつかは見つけ出してみせると。
そして、多少なり話を整理した。
「竜騎士ノ記憶が元々あの男の内にあったものかどうか。今となっては貴方 にしか見通せない。
あの御方 は、そう判断なさったのかもしれませんね。ただ、それでは単なる生まれ変わりとは訳 が違う」
そう。宗教的意味合いを込めて言い表 すならば。
それは最早 〈転生〉ではなく ... ... 〈復活〉。
それから、もう一つだけ問い掛ける。
「貴方 が口を割らずとも連中に始末される事はありません ... ... が、
ご覧 の通り。あの御方 が取り付けた話の内容を知る者は、貴方 だけではないのです」
お解 り頂けますね ... ... ?
彼女が口を滑 らせた時。
同席させられている理由については察 し済みである。
老人の心は揺 らいだ。
物を傷つけようが、壊そうが、買い換 えるか作り直すだけと思うのが人間。
中でも凶悪と思 しき冷血漢 に掛 かっては、
小間使い如 き物ノ精霊など簡単に圧 し折られてしまうに違いない。
呼吸もままならなず意識が遠退 く中、老人は思う。
気狂いを起こしても女性へ向ける尊念 に変わりはないらしい。
例えそれが、精霊の仮の姿であろうと。
思いもよらぬ遣 り取りを聞いて息を凝 らすリリィは、壁に凭 れ。
今にもへたり込んでしまいそう。
だが、やがて気を失った老人の身体 が脱力しきると、
直様 に力を抜 いて血流を戻してやっているアレセルのもとまで駆 け寄 る。
もしもの事があってはいけない。
老人を託 されたリリィは、傍 の長椅子に寝かせたうえ脈 を窺 った。
無言で立ち去るアレセルには目もくれず、介抱 するのみ。
そんな彼女の横顔を振り向く退室の間際 に。
何を思ったか。
アレセルの面差 しは、逆光による濃 い影に覆 されている。
その心情を窺 い知る者は、誰もいないのだ。
上級貴族及び上院議員 の結社に属する権力者、№ 4。
Ⅳ の策略 に落ちようが、奴 なら切り抜けるだろう。
愛情深い男であるが故 に。
注ぐ相手が存在する限 り、屈 する事は無いはず。
二人の母を同病 で亡 くし、一時 は正気を失っても。
今、アレセルが想いを寄 せているのは良くも悪くも、あの ... ... 異端ノ魔導師なのだから。
状況 をまとめ上げ、思い至 る。
それと言うのもアレセル元審問官の裏切りについてだが。
クロイツが言うには、結社の真 の狙いを探 るためだろうとの事。
「この国、アイゼリアには信教徒過激派 の連中ですら不都合と思う、何かしらが存在するのだ。
出来る事なら、フェレンスに始末させたいのだろう」
主従 の契約を断っていたなら、不要だった策 と思われるが。
飽 く迄 も真相は謎のままである。
それよりも不可解なのは、結社の動きなのだそう。
「それを知っていたにしろ、一時 とは言えフェレンスを手放すような真似 をするとは」
「流石 に、紅玉 を保護させるためだけ ... ... ではなさそうですな。
不都合に関係する利害の一致 でもあったんでしょうか」
「 ... ... ハァ ... ... 貴様 という奴は、熟 ... ... 」
ぁぁ。はいはい。馬鹿だなって言いたいんでしょ。
口に出して言いかけたが、唇 を噛 み締 め堪 える。
気を取り直したノシュウェルは少しだけ見方を変え、こう切り出した。
「ぇぇと。帝都で主従の契約を断とうとしたのは枢機卿 でしたな」
「手出し出来ぬようアレセルを引き込み、一芝居 打たせた事に何の意味があると思う?」
「単に魔導兵を操る異端ノ魔導師の利用価値を失いたくないからでは?」
「アイゼリアに主従を追いやれば利用価値は保 たれるのか?」
「価値がどうのと言う前に、利用する事が難 しくなりますね ... ... 」
頭がこんがらがるなぁ。
会話を聞いている誰もが思うところ。
「ううん ... ... ! 自分には分かりません!!」
「安心しろ。私もだ」
何それ。え。何それ。
一同、拍子抜 け。
カクン ... と膝 から力が抜ける。
仕方が無いのは分かっているのだ。
何しろ情報不足すぎて。
「でも、あなたがそれを言っちゃった時の〈してやられた気分〉は格別 だわー」
誰かの呟 きが聞こえたので振り返って見るが。
彼の元部下達は皆 、空気を読んで顔を逸 らす。
仮釈放 されて間 もないのだ。
うっかりしたとは言え、出来れば蹴 り飛ばされたくない。
その気持も分かる ... ...
元上司として、ノシュウェルもまた沈黙を守った。
すると気が付く。元部下のうち一人が、いつまでも顔を上げようとしないので。
何やら鬱 ぎ込んでいるように見えるが、どうしたのだろう。
ノシュウェルが近くまで足を運んでみると、小さな溜 め息を耳にする。
同じように気に掛 けていたのは、彼の同期だが。
実を言うと、ちょっと聞き辛 くて。
どうしようかなぁ ... ...
なんて思っていたのだ。
何せ、そいつときたら。
部隊の解散後に乗っ取った巡視船 の操縦桿 を握りながら、
自分とクロイツを相手にキレ散らかした意外性の人であるからして。
相手が気を利 かせるのを暫 し待つ。
会話に至 ったのは、その場から少し距離を置く相手の視線に呼ばれ、行ってみた後 の事。
「何かね、シャンテノンで失踪 した女の子の件を気に病んでるみたいなんだ」
「そういやぁ、彼 の御方 から直々 に頼まれてたのはアイツだったか」
「うん。一緒にいなくなった裏切り者とも、それなりに仲良かったしね。
あえて泳がせる作戦なんて知らされたところで、心配なものは心配なんでしょ」
しかも、音信不通の別働隊には彼の義兄 が所属していた ... ...
不意に押し黙るノシュウェルの、思うところを見通したか。
一つ二つ、言い残して話を切り上げたのも相手の方だった。
「今さ、考えてる事。言ってやる必要は無いみたいだよ。アイツも、とっくに察 してるから」
フェレンスに聞かされた事とは言え。別働隊の全滅を立証するのは不可能。
人を介 する憶測 は、あたかも事実であるかのように伝わりやすい事情。
ただでさえ思い悩む。
現状を受け入れるための考察なら、各自に委 ねるのが一番、当たり障 りが無くて済むだろうか。
床板 の目を辿 って歩くかのような姿勢でクロイツの傍 まで戻ったノシュウェルは、
腕組みした片方の手で、頻 りに自身の顎 を揉 む。
気まずそうにする男共を睨 みがてら、それとなく目で追っていたが。
隊の中で最 も責任感の強い人物と言えば、皆が指差すであろう某隊員の気負いとは裏腹。
クロイツの関心は、思わぬ角度から寄 せられていた。
「奴は、貴様 の隊の中堅 だな?」
隊員の序列 なんて気にする人ではないと思ったが。どういう風の吹き回しだろう。
はたとして考え事を一時中断し、ノシュウェルは答える。
「分かりますか? 控 えめな性格をしてますが、気立ての良い男ですよ」
真面目すぎるといった話の展開を予想し、高を括 っていたのだ。
けれども、クロイツは不敵な笑みを浮かべる。
「狸 に着せる化けの皮としては、もってこいと言うわけか」
... ... ん?
横目で チラリ ... 様子を窺 うなり、意表を突かれた気分だった。
まるで話が見えない。ノシュウェルは尋 ねた。
「いえ、待って下さい。いったい何の話ですか?」
突然でてきた狸 が迷子です。
言ってみたところで、クロイツは聞かない。
そうと知りながら、あえて。
対し、皆に聞こえるよう声を張る。
クロイツの声は、今後を案ずる個々の目的意識を駆 り立てるかのよう。
「我 が弟が奴等 の側に付いたのは、例の少女の征 くへを探るためでもある。
私は、いずれまた帝都へ戻らねばならん。だがその前に、やる事がある。
アレセルと交渉し、情報を引き出すための取引材料が必要なのだ」
そのため、不本意ながら異端ノ魔導師に取り入るつもり。そこでだ。
「貴様 らは ... ... どうする?」
このまま西ノ二カ国、ローランド、もしくはハイランドの何 れかに亡命するも良し。
そう言ってクロイツは続ける。
「好きにするが良い」
但 し、この場で決めてもらうと。
何処 の施設かも知れぬ。
広々とした石造りの応接間 にて、訪 れた選択の時。
中心に向かって数段、掘り下げられた各所に腰 を下ろす者は皆。
帝都を脱 した時から、たまたま行動を共にしていたに過ぎない。
今となっては、ただの顔見知りといったところ。
おずおずとして、互 いに見合う。
彼らは、やがて心を決めた。
そうして、各々 が順に告げていくのだ。
結果、亡命希望者は十名。
クロイツと行動を共にする。
そう答えたのは、先の話題に関わった二名のみである。
意外と言えば意外。
中堅 だった一人は分かる。 ... が、まさかと思った。
「あの、おっかないのが付いて来るとは驚 きましたね」
「中堅の同期と言うではないか。義理でもあるのだろう」
会合を終え、場所を変えるクロイツに同行したのはノシュウェルだが。
「いやぁ、それが。たまたま二人の会話を近くで聞いてたんですがね?
そうでもなさそうでしたよ」
先の様子が一瞬だけ思い返される。
『え、嘘 ... ... お前も来るの?』
『何、その言い方 ... ... 行っちゃ悪い?』
衝撃 を受け後退 る話題の男と、腕 組みして睨 みを利 かせる、もう片方。
『いいえ、とんでも御座 いません!』
なんて。聞いていただけなのに声を揃 えて言いそうになったもんな ... ...
出来事を振り返るノシュウェルは軽く身震 いし、やがて気を取り直す。
「それはそうと。一つ、お尋 ねしたい」
対してクロイツは溜 め息を零 した。
「元部下たちに亡命を勧 めたのは、やはり ...
先々に各方面から情報を得 るための布石 ですか?」
チラリ ... 隣 を見ても、クロイツは無反応。
バルコニーの縁 に片腕 を置き、森ノ海を展望する。
「誰が勧めた?」
いや、誰って ... ...
「あなたですよ?」
ざわめく樹々。滑昇霧 を生 じ、湿 りを吐き出すかのような森淵 。
「帰郷 を諦 めさせたのは分かります。
例えあなたが、異端ノ魔導師に取り入る事で釈明 の機会を与 えられ、恩赦復権 したとしてもだ。
力の無い者は、それまでに関わった人物や弱みを吐 かせるための格好の餌食 ですもんねぇ。
身の安全のため傍 に置いておけるのは極 少数。選定は必要だった。
それに、至 って真面目な元中堅 なんか、奴等 や連中が飛びつきそうじゃないですか」
〈化けの皮〉とはよく言ったものだなと思う。
「このままでは布石にもならん。西ノ二カ国はアイゼリアを盾に帝国の顔色を窺 うような食わせ者。
亡命客を保護させるには政治的利点、国益 を匂わせ、
いつの日か我々 が必要とするやもしれぬ人物であると、思わせなければならぬのだ」
その上、あっさり答えが返ってきたぞと。
ノシュウェルの目が丸々と開いた。
あら素直。認めた。びっくり ... ...
帝国と西ノ二カ国。
双方が同じ事を期待し動くよう仕込み、結果として人材を生かすと同時。
自身も双方の情報を得 ていくのが狙い。
二重スパイの二股 とは、何て大胆 ... ...
普通であれば消されてしまう。
だが、これからクロイツが取り入ろうとしている相手は、あの、異端ノ魔導師。
先が思いやられる。いくら何でも無謀 が過ぎるのではと。
確かに、これまでもそうだった。
しかし、比較 にならんよなぁ ... ...
随分 と目の前が暗くなった気がする。
流石 のクロイツも、心做 しか素直になるわけだ。
するとそこへ、駆 け付ける足音。
開け放たれた硝子 扉の内側からバルコニーへ向け吹き出す風。
振り向いたのはノシュウェルだけだった。
煽 られ棚引 く窓掛け を手で除 け、現 れたのは保護観察官を装 う若者。
「ヴォルトが呼んでます。あの男が明日 にも動きそうだって」
エルジオだった。
ともだちにシェアしよう!