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第六章◆精霊王ノ瞳~Ⅱ

      間もなく食卓に呼ばれ、()けつけたチェシャは(せき)の横に立ってフェレンスの着席(ちゃくせき)()つ。 給仕(きゅうじ)を始めようかと振り向くカーツェルは、一目(ひとめ)見て関心(かんしん)()せた。 旅を始め、だいぶ()つとは言え。 (たく)(かこ)(そろ)って食事することなど、まだ片手(かたて)で数えられるほどなのに。 カーツェルがそうしていたのを思い出し真似(まね)ているよう。 色々と教えてやらねばならない。そう考えていた ... ... が、しかし。 フェレンスの言った通りだと、カーツェルは思う。 「あの子の向上心(こうじょうしん)は見かけよりも発達している。  (よう)するに、見様見真似(みようみまね)を好むよう仕向(しむ)けるだけでいいはず。  なのでお前は、チェシャの行動をよく見て。  些細(ささい)な事で良い、私と()た行動をした時、同じように出来る事を()めてやりなさい。  その()は、自身が模範(もはん)となるよう意識して生活するだけでいい」 カーツェルがそれを実践(じっせん)したのは、チェシャが食器類(カトラリー)の取り扱いマナーを真似(まね)していた時。 「よく(すす)んで(おぼ)えられましたね」 そう声にして聞かせ、ふわふわの頭を一撫(ひとな)でしてやっただけ。 だが、その日からチェシャはフェレンスばかりか、 カーツェルの所作(しょさ)まで隅々(すみずみ)見て真似(まね)るようになったのだ。 何て手間(てま)いらず ... ... あとは相手の気付かない事を見つけ少し大袈裟(おおげさ)に振る舞い繰り返していると、そのうち真似(まね)てくれるので。 こちらも気持ちよく()めてやれるし、楽しい。 そして可愛(かわい)い ... ... (あと)から来たフェレンスの着席(ちゃくせき)を見てから座る幼子(おさなご)得意気(とくいげ)。 それを見届け、主人の前に皿を置きに行くのは執事役。 チェシャもまた、カーツェルが自分のことをよく見ていると知っているため。 仕事中な彼の横顔を目で追って待つ。 (えら)い? と言わんばかりのドヤ顔で。 葉薊(アカンサス)文様の美しい陶磁器(とうじき)に盛り付けられたのは、彼らの昼食の定番。 (イモ)(いろど)り野菜の厚口(あつくち)オムレツ。 大きめの平鍋(パン)で一枚焼きしたものを六枚に切り分け、一切れ一食。 (やわ)らかな日差(ひざ)しを()かす引き上げ式レースカーテンのリボン()めが、そよ風に()らぐ背景も。 また一つマナーを身に着けた幼子(おさなご)に声を掛け、()めてやりながら料理を置くカーツェルの表情も。 (じつ)(おだ)やか。 ()の都合上、手袋をしたまま頭を()でてやるわけにはいかない。 徹底(てってい)(つと)める執事役が、仕事終わりに黒地の手袋を()ぎ。 (あらた)幼子(おさなご)()でてやっているのをフェレンスは知っている。 昼食後の混雑(こんざつ)も、(いそが)しさも、その時になればすっかりと忘れられた。 彼らから与えられる(なご)みこそ、(まさ)()やし。 そうして次の日も、また、その次の日も。 二人の主人は彼らと共に気付きを()ていく。 〈てんてこ舞い〉とは、この事かと。 ん? 待て待て。何の話だ。 (なご)みと(いや)やしは何処(いずこ)へ。 そもそも無事(ぶじ)なのか。 ダイジョウ ブ。 イキ テ、ル 。 ただちょっと、口から(たましい)()けていきそうなだけ。 ただし。これらは全て、当事者達の心の声である。 いや、もう、独り言(ひとりごと)に近い。 「「「 ... ... 」」」 診察室の椅子(いす)深々(ふかぶか)と背を(あず)け、そのまま沈んでいきそうなフェレンスなんて初めて見た。 なんて思いながらも立ち(つく)くす。 カーツェルやチェシャだって、肩が(はず)れてしまいそうなくらい脱力中だ。 原因は(おおむ)ね ... ... 今話題の(かんなぎ)若手が魅惑(みわく)太腿(ふともも)だなんて(うわさ)が広がり かつ問題視すべき太腿(ふともも)の奥を(のぞ)きたがる例の老人が毎日来て 執事と幼子(おさなご)のイライラとハラハラを触発(しょくはつ)したうえ (のぞ)(がわ)(さえぎ)(がわ)の攻防戦が不定期に勃発(ぼっぱつ)するための負荷倍増(ふかばいぞう)。 カーツェルがいつ、クソジジイと言ってキレ()らかすかと気が気でないのも理由の一つ。 とは言え、これに(かぎ)ってはチェシャだけのハラハラ要因(よういん)だったりして。 話がついている諜報員側の手筈(てはず)が整うまで極力(きょくりょく)()め事や(さわ)ぎは起こさずにいたいので。 日々、何とかあしらってはいるのだ ... ... が。 (つら)い ... ... たかが(のぞ)き見なんて迷惑行為で消耗するとは(なさ)けなや。 けれども口に出して言う事はない。 フェレンスは気付いているだろうか ... ... カーツェルはふと、そう思った。 見れば、思いがけず(やわ)らいだ口元に浮かぶ笑み。 視線に気付き首を(かし)げつつ向き合う彼の面持(おもも)ちは、潜在(せんざい)憂鬱(ゆううつ)を洗い流すかのよう。 そんな(あわ)い情景を〈夢〉に見るは、純白の化粧着(ドレッシングローブ)(まと)い横たわる聖女。 目覚めた彼女は(しば)虚空(こくう)を見つめる。 透き通るような白い肌。 裾引(すそび)きの(フリル)から(のぞ)く足先。 紫水晶(アメジスト)によく()色彩(しきさい)()たえる(まなこ)。 「お目覚めですか。殿下(でんか)」 男の声を聞いて、ゆっくりと体を起こす彼女の白金髪(プラチナブロンド)は、細く長く。 雪霜(せっそう)(ごと)(にじ)宿(やど)して(つや)めいた。 体の横へ()えられた手元へ視線が向きがちなのは、 鉤爪(かぎづめ)()した銀の爪防具(ネイルガード)が五本の指先を強調しているせい。 彼女は答えた。 「ええ、今日はとても気分が良いの。ねぇ、聞いて下さる?」 (ひざ)から下をベッドの横へ下ろす()に歩み寄る男の名は。 「フォルカーツェ様 ... ... もしろん、悪い話じゃなくてよ?」 〈 Folcatze Ludias Deet Lanzerk(フォルカーツェ・ルディアス・ディート・ランゼルク) 〉 軍警副総監として緊急時軍事顧問(こもん)兼任(けんにん)する者。 ドラグニティ公爵家世嗣(せいし)。 カーツェルの実兄だった。 「〈夢〉の事でしょうか」 開放された部屋に二人きり。 (いく)つもの回転(まど)に仕切られた前室には、日差しを(さえぎ)透かし編み(レース)調の(カーテン)。 彼女が微笑(ほほえ)(うなづ)くと、ふわり ... 見合う二人の髪を下から()で上げる微風(そよかぜ)。 「あの御方(おかた)の笑顔を見るのは久しぶり。カーツェル様も、お元気そうだったわ ... ... 」 ところが相手は聞くに(とど)まる。 「 ... ... それはそうと、何日ぶりのご就寝(しゅうしん)ですか?」 「そう怖い顔をしないで? あの()のおかげで、このところは毎日 ... 数十分は(ねむ)れるようになったのよ?」 対し、彼女は話を(もど)した。 「それと、気にしていたくせに。話を()らさないで?」 そして窓の向こうを横切る少女の姿を遠目(とおめ)に見る。 広い、広い、屋上庭園(ガーデンテラス)を一人、()け回り。 少女は小さな花を()んでいた。 「呼び方から、やり直し」 庭へ向く彼女の視線を追いながらフォルカーツェは(おう)じる。 「 ... ... ローレシア殿下におかれましては、極力(きょくりょく)お休み(いただ)かねば」 「殿下はお()しになって?」 「 ... ... ローレシア様」 「ダメね」 「 ... ...ローレシアさん」 「なんだか気持ちわるいわ」 「 ... ... ローレシア」 「なぁに? フォルカーツェ様」 「何故(なぜ)、呼び捨てを要求する貴女(あなた)が私を敬呼(けいこ)するのですか」 「(わたくし)はいいの。いつだって、お世話して頂くばかりなんですもの」 「 ... ... とんでもない」 帝国ノ(ひめ)()(みこと)が血族。 〈 Roresia Endil Noah Eufemio(ローレシア・エンディル・ノア・エウフェミオ) 〉 幼少より睡眠障害を(かか)え、病床に()してきた彼女こそ次期女皇帝(じょこうてい)。 だがしかし、意図(いと)して予知夢を見ることが可能な彼女の血ノ魔力は、 極度の不眠が引き起こす病的弊害治癒(ちゆ)のために消費され、なお不足をきたしていたのだ。 また、当該能力については国家機密として(あつか)われている。 「この国の、いえ ... ... 現世の(みちび)き手として、  お役目に(てっ)する貴女(あなた)を支える事こそ我々(われわれ)の使命なのですから」 「ふふふ。相変わらず(うそ)がお上手(じょうず)ね」 彼女の(うれ)いは(ひとみ)(あらわ)れた。 災厄(さいやく)の予知もままならない夢見(ゆめみ)ノ姫。 結社が彼女を生かし続ける理由など見え()いている。 卑下(ひげ)したところで、(むな)しいだけ。 一時(いっとき)静寂(せいじゃく)が スッ ... と、身を切るよう。 「カーツェル様が()けてらっしゃるのは、そういうところよ?」 「 ... ... 分かっています」 「それはそうとフォルカーツェ様。  (わたくし)ね ... ... 今後、犠牲(ぎせい)になる子が増えたりしないか心配なの」 「魔力に余裕があれば予知は可能と分かっても、(かた)が合わなければ輸血など出来ません。  出生時における血の判定後、履歴改竄(りれきかいざん)等で追えぬような不都合は早急(さっきゅう)に裏を取り、  我々(われわれ)是正(ぜせい)しています。どうか、ご安心を」 〈 ... ... 闇ギルドの営利(えいり)掌握(しょうあく)し利用することが是正(ぜせい)ですって?〉 消え入る(ささや)き。 男には聞こえていた。 彼女が〈夢〉を拒絶(きょぜつ)し不眠を(わずら)った事も知っている。 危険因子(いんし)見極(みきわ)めたうえでの排除を目的とし彼女の能力に(すが)るのは、 高位貴族、及び上院議員(マグナート)傘下(さんか)に当たる者ばかりではない事も。 しかし()れはしない。 微風(そよかぜ)を受け口元に流れた髪を指先で(すく)い、耳に(かけ)け、彼女は言った。 「結社(みなさま)の働きかけ、痛み入ります」 どこか冷ややかな風采(ふうさい)である。 両者(とも)にだ。 二人は(たが)いをどう認識し言葉を()わしているのだろう。 花を()む手を休め、遠目に様子を(うかが)いながら少女は()つ。 客がいる(あいだ)は部屋に立ち入ってはいけない。 ローレシアとの約束を守らねばならなかった。 やがて男が部屋の奥へ引き下がると、ローレシアがこちらを向いて片手を()る。 すると少女は彼女のもとまで()けていった。 「あの! お客様はもしかして、ローレシアお(じょう)様の婚約者(フィアンセ)ですか?」 「い、いいえ!? 違うわよ? フフフ、そんなわけないじゃない ... もう。  それより、いつも待たせてごめんなさいね。ルーリィ」 唐突(とうとつ)(たず)ねられ少しだけ(おどろ)きつつ。 ローレシアが気に掛けたところ、少女は満面の笑顔で一度、首を横に()った。 異端ノ魔導師フェレンスに、霧ノ病(きりのやまい)(わずら)った兄の問診(もんしん)依頼(いらい)した少女である。 (すで)魔物(キメラ)化していた兄。 (おとり)に仕立て上げられた医師の異形(いぎょう)ノ姿。 目にした現実を受け入れられず(おのれ)見失(みうしな)い、 当時の記憶を無くしてしまったルーリィが何故(なぜ)ここへ。 帝国ノ姫は知っている。 クロイツの補佐(ほさ)護衛(ごえい)を命じられた小隊、内一人が闇ギルドに通じていた事。 フォルカーツェを始めとする高位貴族、及び上院議員(マグナート)の結社が闇ギルドを掌握(しょうあく)している事。 内通者にルーリィを誘拐(ゆうかい)させたのは、フェレンスの動向を知り()くす結社の仕業(しわざ)である事。 そして、(みこと)と通じていた過激派信教徒(パルチザン)が裏で、結社の働きかけを(うなが)した事さえも。 姫と同じ(かた)の血を持つ少女。 ルーリィの存在を特定したのは ... ... ()(みこと)。 政界にも強い影響力を持つ預言者(エレミア)信教の枢機卿(すうききょう)は、 国教大臣の地位をも()て律法の制定、改正を(つかさど)る立場。 その動きを把握(はあく)しクロイツに知らせ警告したのが、 以前、司法省にて枢機卿(すうききょう)(つか)えると同時に、異端審問官(インクイジター)として(つと)めた若者。 アレセルだったのだ。 そして、彼女が見る〈夢〉の断片(だんぺん)を組み合わせ、ここまで事を(はこ)んだのがフォルカーツェという男。 これまでを振り返るローレシアの表情は重苦しい。 何も知らないルーリィは彼女を気遣(きづか)い、(はげ)ますように明るく声を()ける。 「 ... ... でも!毎週お見えになって。わたし、てっきりお嬢様のコトがお好きなのだとばかり」 「フフフ、まさか! いい? ルーリィ、ここだけの話だけど。  あの方 ... フォルカーツェ様にはね、他にちゃんと好きな人がいるのよ?」 「ぇぇぇぇ! でも、でも! そちらはそちらで気になります!」 「まぁ。ルーリィったら、それじゃきりがないわ。おませさんね」 でも ... ... その時ローレシアは一呼吸おいて、こう言った。 「それが誰なのかは、この世界で(わたくし)だけが知ってる〈秘密〉なの」 予知の恩恵(おんけい)を期待する結社の不満が直接(ちょくせつ)、彼女へ向かないのは、 冷徹(れいてつ)を演じ続ける男が(あいだ)に立ち周囲を睥睨(へいげい)するせい。 誰かと()ている。 彼女はふと、そう思った。 (かた)や何の(うたが)いも無く彼女に()()うルーリィは、 その後も ... 療養(りょうよう)中と聞かされていた兄の回復を待ち続ける。 利害(りがい)は別とし、相手を(うやま)うローレシアの人柄(ひとがら)(あこが)れを(いだ)きながら。 ()んだばかりの花をローレシアに(あず)け、(ふたた)陽下(ひもと)()けて行く足取りも軽快(けいかい)。 少女に(あた)えられた白いノースリーブワンピースのフレアスカートは、 庭の花々を(すそ)にあしらうかのよう。 手渡された花を()けるよう侍女(じじょ)(たの)みたかったのだろう。 床に置かれた履物(はきもの)へ足先を入れるローレシアは急な頭痛と目眩(めまい)(おそ)われ、少しばかり(うずくま)った。 常々(つねづね)彼女の容態(ようだい)を気に掛けるルーリィであればこそ、直後(ちょくご)に気が付き引き返すも迅速(じんそく)。 人を呼びに部屋を出ていくルーリィの(うしろ)でベッドに()せる彼女は一人、思った。 数十分ですら寝すぎたと感じるほど。 身体(からだ)(ねむ)りを受け付けない。 本当は ... ... そう。 夢なんて、見たくない ... ... 事故、災害、事件等、危機回避(ききかいひ)のため。 国家、要人(ようじん)、多くの人の命を(すく)うため。 国際情勢(じょうせい)、政治経済をはじめ、個人、団体の思想形態(イデオロギー)まで、 (いく)つもの水鏡(みずかがみ)を通して視聴(しちょう)させられる日々。 当然のように。 誰もが不都合の回避(かいひ)(のぞ)むのだから。 (ねむ)りについた彼女を()(かま)えるのは凄惨(せいさん)な悪夢ばかり。 人がたくさん死んでいくの ... ... 夢なんて、見たくない ... ... (すす)り泣く彼女の話を聞き、(かた)く決意した日を思い出す。 カーツェルは口を閉ざしたまま。 同時に疑義(ぎぎ)(いだ)いた。 アイゼリアの首都、イシュタットにて。 同国、諜報員(ちょうほういん)との接触後。 取り引き交渉手前。 先方(せんぽう)の準備とやらが(ととの)うまでに、(かり)として。 (かんなぎ)(つと)め始めたフェレンスを手伝うこと数日。 毎晩(まいばん)とまではいかないが。 幼子(おさなご)(ねむ)りにつくまでを見守っている(あいだ)。 ずっと、ずっと考えていたのだ。 けれど、どうしてだろう。 どうして彼女に、ローレシアに好意(こうい)()せるようになったのか ... その経緯(いきさつ)だけ思い出せない。 (おさな)すぎたのだろうか。 いつの()にか好きになっていたせいかもしれない。 とは言え有耶無耶(うやむや)。 胸に(つか)えて、すっきりせず。 (しま)いには眉間(みけん)(しわ)()る。 肝心(かんじん)な記憶だけ、すっぽり()け落ちるなんて。 何たる有様(ありさま)不覚(ふかく)と言うか、恥ずかしかった。 恋心を()せた相手に(たい)して失礼な気もするし。 「はぁ ... ...」 重苦(おもくる)しい溜息(ためいき)項垂(うなだ)れたカーツェルの両肘(りょうひじ)太腿(ふともも)に食い込む。 気分を(まぎ)らわせたかった。 すると、スヤスヤ ... 聞こえてくるチェシャの寝息(ねいき)。 ベッドから立ち上がる彼は一旦(いったん)、部屋を出て奥間(おくま)を向いた。 (とびら)隙間(すきま)から(こぼ)れる(あか)りから(さっ)するに、まだフェレンスは()きている。 彼は一瞬、躊躇(ためら)うが、思い(とど)まった様子。 まずは戸締(とじ)まりを済ませなければならない。 ()えるまでの(あいだ)、考えることと言えば ... このところの多情(たじょう)主従(しゅじゅう)幼子(おさなご)。 新天地での三人()らし。 正体(しょうたい)(かく)就労(しゅうろう)するには、余分(よぶん)片付(かたず)けるべき手間(てま)がある。 客に(ふん)する工作員や偽造(ぎぞう)書類に(まぎ)れ込んだ暗号(あんごう)文の解読等(かいどくとう)。 国家諜報(ちょうほう)機関を(かい)伝達(でんたつ)の読み取りが(おも)だが。 時に客として来訪(らいほう)する要人(ようじん)の役職、人柄(ひとがら)、秘密事項の(おぼ)え込みまで。 夜間のうちに全て(こな)しているのが彼の主人(しゅじん)。フェレンスである。 ()って現在。 幼子(おさなご)就寝(しゅうしん)まで世話(せわ)する執事役(しつじやく)が主人の部屋を(おとず)れるのは、 身支度(みじたく)の手伝いと予定(スケジュール)確認を(おこな)う早朝のみ。 また同時。主人から解読文書を手渡(てわた)され(いた)るところ。 朝食の準備と後片付(あとかたず)清掃(せいそう)()まえ、 始業(しぎょう)までの空き時間を()ごすうち、頭に叩き込む(はこ)びとなっている。 つまり。 とにかく時間が無いのだ。 極力(きょくりょく)邪魔(じゃま)せぬよう(つと)めるともなれば、 主人との会話も必要最低限になりがち。 各所、見回り終えたカーツェルは溜息(ためいき)()らす。 欲求不満(よっきゅうふまん)執事が何か言いたそうだぞ ... ... と、チェシャは思った。が、しかし。 ベッドから()りて(のぞき)き見なんてしようものなら、必ずバレるので。 カーツェルが、いくら(うわ)の空でも悪戯(イタズラ)厳禁(げんきん)特技(とくぎ)狸寝入(たぬきねい)りも程々(ほどほど)に。 そっとしておこうかな ... ... 部屋の前を行き過ぎる足音を聞きながら、幼子(おさなご)はしっかりと毛布に(くる)まった。 そうしたほうが面白そう。そんな気がして。 翌日(よくじつ)の反応を楽しみに、大人しく寝る。 そうと心に決めたなら、爆睡(ばくすい)まで五秒とかからない。 (たい)し、フェレンスは読書中だった。 〈パラリ ... 〉 (ページ)(めく)ると聞こえてくる。 〈 コンコンコン ... ... 〉 (ひか)えめな打音(ノック)。 一人掛け椅子(ソファー)(こし)()えた姿で視線を上げれば。 サラリ ... ... ()れる銀色の(かみ)応答(おうとう)を待つカーツェルの眼差(まなざ)しは、 心做(こころな)しか(さみ)しげ。 彼の主人は(ひざ)に置いた本を()じ、やがて(こた)えた。 「入りなさい」 (おく)ゆかしい声。 「夜分(やぶん)、恐れ入ります」 入室し顔を上げると早速(さっそく)、ランタンスリーブのシャツと フィットスラックスを(よそお)(くつろ)ぐフェレンスと目が合う。 「()っていた」 (たず)ねられるでもなく耳を打つ言葉に(おどろ)いたのは言うまでもない。 「如何(いか)がなさいました」 (ねん)(ため)に聞くが、彼の主人は首を横に()った。 「昼間、客として接触(せっしょく)してきたアイゼリア諜報員(ちょうほういん)からの伝達は一件のみ。  特有(とくゆう)の暗号にも()れた。時間に余裕が出来きる頃合(ころあ)いを見計(みはか)らっていたのだろう?」 どうやら(さっ)してくれていたよう。 胸が()まる思いがした。 カーツェルは(だま)って(うつむ)く。 「ゆっくり話そう ... カーツェル。まずは座りなさい」 (ひざ)の上に乗せた書物を脇卓(サイドテーブル)に置いて言う。 フェレンスに(したが)低卓(ローテーブル)(はさ)むソファーを()りたところ。 霊草(ハーブ)で香り付けした浄水(じょうすい)(グラス)(そそ)()し出された。 目を細める彼の視線の先には、静かに硝子瓶(グラスポット)を置き(ひざ)(もど)される上品な手筋(てすじ)。 口を開こうとしないカーツェルを見て()つフェレンスから、悠々(ゆうゆう)(しめ)される心置き(こころお)。 その余裕(よゆう)が少しだけ(うらや)ましかった。 何時如何(いついか)なる時も、取り()け押しの強い執事役が萎縮(いしゅく)しているのは何故(なぜ)か。 どうしてか気不味(きまず)いのだ。 自分でも(わけ)が分からない。 知りたいことが山程(やまほど)あって。 聞こうと思えば、いつでも聞けたはず。 なのに ... ... 言葉にならないなんて。 (たま)()ねたカーツェルは大きく、(おおきく)、息を吸い込んだ。 〈 スゥ ――――― ... ... 〉 そして言う。 「出直(でなお)して(まい)ります!」 なんだそりゃ ... ... ! 自分でも内心そう思う。が、仕方(しかた)なし。 彼は(そろ)えた両膝(りょうひざ)(たた)き立ち上がった。 ところが直様(すぐさま)()し止める。 「その必要はない」 フェレンスの声を聞いて彼は立ち()くした。 (たい)して(せき)を立ち、歩み()る。 主人(しゅじん)の手が、執事役(しつじやく)のクロスタイに()れ。 ゆっくりと(ほど)き始めた。 厳粛(げんしゅく)に役目を()たす彼が、仕事と私生活(プライベート)(へだ)てとして(もちい)いる(ソレ)は、 引き(しぼ)ったり、(ゆる)めたりすることで気持ちを切り()える、装置(そうち)のようなものらしいので。 襟元(えりもと)から取り()ってしまえば、少しは気が楽になるだろうという理由(わけ)。 だが、彼は(あい)も変わらず、ぱっとしない表情。 フェレンスはタイを引き()いた手で彼に()れ、声を()けた。 「さあ、もういいだろう。(かた)の力を()きなさい」 大の大人が返す言葉もなく、(おう)じるのみとは、やや奇妙(きみょう)()ねているのか落ち込んでいるのか。はたまた、その両方か。分かりづらいが。 彼の主人は続ける。 「それから、手のひらを ... ここへ」 下向きな視界に()べられる手。 遠慮(えんりょ)がちに指先で()れ、言われた通り裏返すと。 (なら)べて見るかたちに。 するとフェレンスが言う。 「お前の探し物はこれだろう?」 カーツェルは息を()んで目を見張(みは)った。 彼が受け取ったのは、(ふる)い 々 ... Playing card(トランプ)突拍子(とっぴょうし)もない話のようだが。 それは、彼が長らく聞けずにいた事の一つ。 「やっぱり ... ... お前が持ってたんだな」 「事故の三ヶ月前に、ハインリッツェから(あず)かっていた。  〈いつか、カーツェルと遊んでやってくれ〉と。  直接(ちょくせつ)会話したのは、それが最後」 親父(おやじ) ... ... ()き父が常々(つねづね)持ち歩き。 時間を()いては(ふところ)から取り出して遊びに(さそ)ってくれた ... 良き思い出が(よみがえ)る。 しかし、ハインリッツェが()が子のため余分(よぶん)に時間を(つい)やすのは、 〈明日(あす)、戦地へ向かう〉というメッセージでもあった。 当時のカーツェルが感じ取って下唇(したくちびる)()む時、何とも言えない気持ちになりながら。 帰ったら続きをしよう ... ... (かなら)ず生きて帰るという意味合いを込め、そう約束するのだと。 よく聞かされていたのは、当時のフェレンスだ。 御守(おまもり)のようなものと聞いて受け取った時の解釈(かいしゃく)は、こう。 〈カーツェルのため、生きて(かえ)れ〉 ところが事故後に思い返せば違った意味にも取れる。 もしや、()が子を(たく)すため、そう言ったのかもしれないと。 けれども、それらは大体、想像出来た事である。 あくまでもカーツェルにとっての話だが。 今や形見(かたみ)となったそれが、父の遺品のどこにも見当たらなかった時点で。 何故(なぜ)なら父はそれを、W-74 (ウォルフラム)(※)のケースに入れ持ち歩いていたはずなので。   (※)ダングステン 凄惨(せいさん)な事故であっても、残らないはずはなく。 (かく)し持つ者がいると推測(すいそく)した時、一番に思い当たる人物と言えばフェレンス。 しかし、ずっと聞けなかったのだ。 事故があった当時、フェレンスは長期遠征(えんせい)のため帝都を(はな)れていた。 知らせを受けてはいたが、それきり。 カーツェルとは距離を置いていたので。 何せ、帝国軍大佐(たいさ)(つと)めた男が暗殺に(あう)う理由など、分かりきっている。 異端ノ魔導師に肩入(かたい)れしたせい。 誰もがそう(ささや)くのだから。 カーツェルもまた、嫌気(いやけ)()すほど耳にした。 だからこそ ... ... 夜毎(よごと)境界(きょうかい)荷置(にお)きを開いて、 整頓(せいとん)(つと)める()りをしながら探していたのだ。 話題にしたが最後、また、距離を置かれるのではないか。 そんな気がして。(こわ)くて。 怖くて ... ... 無意識に下唇(したくちびる)()()める。 彼の様子を見たフェレンスは、(さら)に一呼吸置いて言った。 「()いて、この(けん)の他、私に対する(たず)ね事も少なくはないはずだが。  余程(よほど)()め込んでいたのだろから無理には聞かない事にしよう。   ... (ただ)し、また一つ(たの)みたい」 すると彼は静々(しずしず)、顔を上げる。 耳元まで顔を()せたフェレンスの(ささや)きを、少しでも近くで聞くために。 (わず)かに()れたのは、(ほほ)と ... 何だろう。 呼吸が上擦(うわず)り細くなっていく。 「自重(じちょう)()きなさい。話をしよう ... カーツェル」 (たの)みと言いながら命令形で()べ、強く手を引く。 フェレンスの(みちび)くまま。 カーツェルは()み込み、主人とする相手の(かた)へ顔を(うず)めた。      

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