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第六章◆精霊王ノ瞳~Ⅱ
間もなく食卓に呼ばれ、駆 けつけたチェシャは席 の横に立ってフェレンスの着席 を待 つ。
給仕 を始めようかと振り向くカーツェルは、一目 見て関心 を寄 せた。
旅を始め、だいぶ経 つとは言え。
卓 を囲 み揃 って食事することなど、まだ片手 で数えられるほどなのに。
カーツェルがそうしていたのを思い出し真似 ているよう。
色々と教えてやらねばならない。そう考えていた ... ... が、しかし。
フェレンスの言った通りだと、カーツェルは思う。
「あの子の向上心 は見かけよりも発達している。
要 するに、見様見真似 を好むよう仕向 けるだけでいいはず。
なのでお前は、チェシャの行動をよく見て。
些細 な事で良い、私と似 た行動をした時、同じように出来る事を褒 めてやりなさい。
その後 は、自身が模範 となるよう意識して生活するだけでいい」
カーツェルがそれを実践 したのは、チェシャが食器類 の取り扱いマナーを真似 していた時。
「よく勧 んで覚 えられましたね」
そう声にして聞かせ、ふわふわの頭を一撫 でしてやっただけ。
だが、その日からチェシャはフェレンスばかりか、
カーツェルの所作 まで隅々 見て真似 るようになったのだ。
何て手間 いらず ... ...
あとは相手の気付かない事を見つけ少し大袈裟 に振る舞い繰り返していると、そのうち真似 てくれるので。
こちらも気持ちよく褒 めてやれるし、楽しい。
そして可愛 い ... ...
後 から来たフェレンスの着席 を見てから座る幼子 は得意気 。
それを見届け、主人の前に皿を置きに行くのは執事役。
チェシャもまた、カーツェルが自分のことをよく見ていると知っているため。
仕事中な彼の横顔を目で追って待つ。
偉 い? と言わんばかりのドヤ顔で。
葉薊 文様の美しい陶磁器 に盛り付けられたのは、彼らの昼食の定番。
芋 と彩 り野菜の厚口 オムレツ。
大きめの平鍋 で一枚焼きしたものを六枚に切り分け、一切れ一食。
柔 らかな日差 しを透 かす引き上げ式レースカーテンのリボン留 めが、そよ風に揺 らぐ背景も。
また一つマナーを身に着けた幼子 に声を掛け、褒 めてやりながら料理を置くカーツェルの表情も。
実 に穏 やか。
場 の都合上、手袋をしたまま頭を撫 でてやるわけにはいかない。
徹底 し勤 める執事役が、仕事終わりに黒地の手袋を脱 ぎ。
改 め幼子 を撫 でてやっているのをフェレンスは知っている。
昼食後の混雑 も、忙 しさも、その時になればすっかりと忘れられた。
彼らから与えられる和 みこそ、正 に癒 やし。
そうして次の日も、また、その次の日も。
二人の主人は彼らと共に気付きを得 ていく。
〈てんてこ舞い〉とは、この事かと。
ん? 待て待て。何の話だ。
和 みと癒 やしは何処 へ。
そもそも無事 なのか。
ダイジョウ ブ。 イキ テ、ル 。
ただちょっと、口から魂 が抜 けていきそうなだけ。
ただし。これらは全て、当事者達の心の声である。
いや、もう、独り言 に近い。
「「「 ... ... 」」」
診察室の椅子 に深々 と背を預 け、そのまま沈んでいきそうなフェレンスなんて初めて見た。
なんて思いながらも立ち尽 くす。
カーツェルやチェシャだって、肩が外 れてしまいそうなくらい脱力中だ。
原因は概 ね ... ...
今話題の覡 若手が魅惑 の太腿 だなんて噂 が広がり
かつ問題視すべき太腿 の奥を覗 きたがる例の老人が毎日来て
執事と幼子 のイライラとハラハラを触発 したうえ
覗 く側 と遮 る側 の攻防戦が不定期に勃発 するための負荷倍増 。
カーツェルがいつ、クソジジイと言ってキレ散 らかすかと気が気でないのも理由の一つ。
とは言え、これに限 ってはチェシャだけのハラハラ要因 だったりして。
話がついている諜報員側の手筈 が整うまで極力 、揉 め事や騒 ぎは起こさずにいたいので。
日々、何とかあしらってはいるのだ ... ... が。
辛 い ... ...
たかが覗 き見なんて迷惑行為で消耗するとは情 けなや。
けれども口に出して言う事はない。
フェレンスは気付いているだろうか ... ...
カーツェルはふと、そう思った。
見れば、思いがけず和 らいだ口元に浮かぶ笑み。
視線に気付き首を傾 げつつ向き合う彼の面持 ちは、潜在 的憂鬱 を洗い流すかのよう。
そんな淡 い情景を〈夢〉に見るは、純白の化粧着 を纏 い横たわる聖女。
目覚めた彼女は暫 し虚空 を見つめる。
透き通るような白い肌。
裾引 きの襞 から覗 く足先。
紫水晶 によく似 た色彩 を堪 たえる眼 。
「お目覚めですか。殿下 」
男の声を聞いて、ゆっくりと体を起こす彼女の白金髪 は、細く長く。
雪霜 の如 き虹 を宿 して艶 めいた。
体の横へ添 えられた手元へ視線が向きがちなのは、
鉤爪 を模 した銀の爪防具 が五本の指先を強調しているせい。
彼女は答えた。
「ええ、今日はとても気分が良いの。ねぇ、聞いて下さる?」
膝 から下をベッドの横へ下ろす間 に歩み寄る男の名は。
「フォルカーツェ様 ... ... もしろん、悪い話じゃなくてよ?」
〈 Folcatze Ludias Deet Lanzerk 〉
軍警副総監として緊急時軍事顧問 を兼任 する者。
ドラグニティ公爵家世嗣 。
カーツェルの実兄だった。
「〈夢〉の事でしょうか」
開放された部屋に二人きり。
幾 つもの回転窓 に仕切られた前室には、日差しを遮 る透かし編み 調の帳 。
彼女が微笑 み頷 くと、ふわり ... 見合う二人の髪を下から撫 で上げる微風 。
「あの御方 の笑顔を見るのは久しぶり。カーツェル様も、お元気そうだったわ ... ... 」
ところが相手は聞くに留 まる。
「 ... ... それはそうと、何日ぶりのご就寝 ですか?」
「そう怖い顔をしないで? あの娘 のおかげで、このところは毎日 ... 数十分は眠 れるようになったのよ?」
対し、彼女は話を戻 した。
「それと、気にしていたくせに。話を逸 らさないで?」
そして窓の向こうを横切る少女の姿を遠目 に見る。
広い、広い、屋上庭園 を一人、駆 け回り。
少女は小さな花を摘 んでいた。
「呼び方から、やり直し」
庭へ向く彼女の視線を追いながらフォルカーツェは応 じる。
「 ... ... ローレシア殿下におかれましては、極力 お休み頂 かねば」
「殿下はお止 しになって?」
「 ... ... ローレシア様」
「ダメね」
「 ... ...ローレシアさん」
「なんだか気持ちわるいわ」
「 ... ... ローレシア」
「なぁに? フォルカーツェ様」
「何故 、呼び捨てを要求する貴女 が私を敬呼 するのですか」
「私 はいいの。いつだって、お世話して頂くばかりなんですもの」
「 ... ... とんでもない」
帝国ノ姫 。
彼 ノ尊 が血族。
〈 Roresia Endil Noah Eufemio 〉
幼少より睡眠障害を抱 え、病床に臥 してきた彼女こそ次期女皇帝 。
だがしかし、意図 して予知夢を見ることが可能な彼女の血ノ魔力は、
極度の不眠が引き起こす病的弊害治癒 のために消費され、なお不足をきたしていたのだ。
また、当該能力については国家機密として扱 われている。
「この国の、いえ ... ... 現世の導 き手として、
お役目に徹 する貴女 を支える事こそ我々 の使命なのですから」
「ふふふ。相変わらず嘘 がお上手 ね」
彼女の憂 いは瞳 に表 れた。
災厄 の予知もままならない夢見 ノ姫。
結社が彼女を生かし続ける理由など見え透 いている。
卑下 したところで、虚 しいだけ。
一時 の静寂 が スッ ... と、身を切るよう。
「カーツェル様が避 けてらっしゃるのは、そういうところよ?」
「 ... ... 分かっています」
「それはそうとフォルカーツェ様。
私 ね ... ... 今後、犠牲 になる子が増えたりしないか心配なの」
「魔力に余裕があれば予知は可能と分かっても、型 が合わなければ輸血など出来ません。
出生時における血の判定後、履歴改竄 等で追えぬような不都合は早急 に裏を取り、
我々 が是正 しています。どうか、ご安心を」
〈 ... ... 闇ギルドの営利 を掌握 し利用することが是正 ですって?〉
消え入る囁 き。
男には聞こえていた。
彼女が〈夢〉を拒絶 し不眠を患 った事も知っている。
危険因子 を見極 めたうえでの排除を目的とし彼女の能力に縋 るのは、
高位貴族、及び上院議員 の傘下 に当たる者ばかりではない事も。
しかし触 れはしない。
微風 を受け口元に流れた髪を指先で掬 い、耳に掛 け、彼女は言った。
「結社 の働きかけ、痛み入ります」
どこか冷ややかな風采 である。
両者共 にだ。
二人は互 いをどう認識し言葉を交 わしているのだろう。
花を摘 む手を休め、遠目に様子を窺 いながら少女は待 つ。
客がいる間 は部屋に立ち入ってはいけない。
ローレシアとの約束を守らねばならなかった。
やがて男が部屋の奥へ引き下がると、ローレシアがこちらを向いて片手を振 る。
すると少女は彼女のもとまで駆 けていった。
「あの! お客様はもしかして、ローレシアお嬢 様の婚約者 ですか?」
「い、いいえ!? 違うわよ? フフフ、そんなわけないじゃない ... もう。
それより、いつも待たせてごめんなさいね。ルーリィ」
唐突 に尋 ねられ少しだけ驚 きつつ。
ローレシアが気に掛けたところ、少女は満面の笑顔で一度、首を横に振 った。
異端ノ魔導師フェレンスに、霧ノ病 を患 った兄の問診 を依頼 した少女である。
既 に魔物 化していた兄。
囮 に仕立て上げられた医師の異形 ノ姿。
目にした現実を受け入れられず己 を見失 い、
当時の記憶を無くしてしまったルーリィが何故 ここへ。
帝国ノ姫は知っている。
クロイツの補佐 と護衛 を命じられた小隊、内一人が闇ギルドに通じていた事。
フォルカーツェを始めとする高位貴族、及び上院議員 の結社が闇ギルドを掌握 している事。
内通者にルーリィを誘拐 させたのは、フェレンスの動向を知り尽 くす結社の仕業 である事。
そして、尊 と通じていた過激派信教徒 が裏で、結社の働きかけを促 した事さえも。
姫と同じ型 の血を持つ少女。
ルーリィの存在を特定したのは ... ... 彼 ノ尊 。
政界にも強い影響力を持つ預言者 信教の枢機卿 は、
国教大臣の地位をも得 て律法の制定、改正を司 る立場。
その動きを把握 しクロイツに知らせ警告したのが、
以前、司法省にて枢機卿 に仕 えると同時に、異端審問官 として勤 めた若者。
アレセルだったのだ。
そして、彼女が見る〈夢〉の断片 を組み合わせ、ここまで事を運 んだのがフォルカーツェという男。
これまでを振り返るローレシアの表情は重苦しい。
何も知らないルーリィは彼女を気遣 い、励 ますように明るく声を掛 ける。
「 ... ... でも!毎週お見えになって。わたし、てっきりお嬢様のコトがお好きなのだとばかり」
「フフフ、まさか! いい? ルーリィ、ここだけの話だけど。
あの方 ... フォルカーツェ様にはね、他にちゃんと好きな人がいるのよ?」
「ぇぇぇぇ! でも、でも! そちらはそちらで気になります!」
「まぁ。ルーリィったら、それじゃきりがないわ。おませさんね」
でも ... ...
その時ローレシアは一呼吸おいて、こう言った。
「それが誰なのかは、この世界で私 だけが知ってる〈秘密〉なの」
予知の恩恵 を期待する結社の不満が直接 、彼女へ向かないのは、
冷徹 を演じ続ける男が間 に立ち周囲を睥睨 するせい。
誰かと似 ている。
彼女はふと、そう思った。
片 や何の疑 いも無く彼女に寄 り添 うルーリィは、
その後も ... 療養 中と聞かされていた兄の回復を待ち続ける。
利害 は別とし、相手を敬 うローレシアの人柄 に憧 れを抱 きながら。
摘 んだばかりの花をローレシアに預 け、再 び陽下 へ駆 けて行く足取りも軽快 。
少女に与 えられた白いノースリーブワンピースのフレアスカートは、
庭の花々を裾 にあしらうかのよう。
手渡された花を生 けるよう侍女 に頼 みたかったのだろう。
床に置かれた履物 へ足先を入れるローレシアは急な頭痛と目眩 に襲 われ、少しばかり蹲 った。
常々 彼女の容態 を気に掛けるルーリィであればこそ、直後 に気が付き引き返すも迅速 。
人を呼びに部屋を出ていくルーリィの後 でベッドに伏 せる彼女は一人、思った。
数十分ですら寝すぎたと感じるほど。
身体 が眠 りを受け付けない。
本当は ... ...
そう。
夢なんて、見たくない ... ...
事故、災害、事件等、危機回避 のため。
国家、要人 、多くの人の命を救 うため。
国際情勢 、政治経済をはじめ、個人、団体の思想形態 まで、
幾 つもの水鏡 を通して視聴 させられる日々。
当然のように。
誰もが不都合の回避 を望 むのだから。
眠 りについた彼女を待 ち構 えるのは凄惨 な悪夢ばかり。
人がたくさん死んでいくの ... ...
夢なんて、見たくない ... ...
啜 り泣く彼女の話を聞き、堅 く決意した日を思い出す。
カーツェルは口を閉ざしたまま。
同時に疑義 を抱 いた。
アイゼリアの首都、イシュタットにて。
同国、諜報員 との接触後。
取り引き交渉手前。
先方 の準備とやらが整 うまでに、仮 として。
覡 を務 め始めたフェレンスを手伝うこと数日。
毎晩 とまではいかないが。
幼子 が眠 りにつくまでを見守っている間 。
ずっと、ずっと考えていたのだ。
けれど、どうしてだろう。
どうして彼女に、ローレシアに好意 を寄 せるようになったのか ... その経緯 だけ思い出せない。
幼 すぎたのだろうか。
いつの間 にか好きになっていたせいかもしれない。
とは言え有耶無耶 。
胸に支 えて、すっきりせず。
終 いには眉間 に皺 が寄 る。
肝心 な記憶だけ、すっぽり抜 け落ちるなんて。
何たる有様 。
不覚 と言うか、恥ずかしかった。
恋心を寄 せた相手に対 して失礼な気もするし。
「はぁ ... ...」
重苦 しい溜息 。
項垂 れたカーツェルの両肘 が太腿 に食い込む。
気分を紛 らわせたかった。
すると、スヤスヤ ... 聞こえてくるチェシャの寝息 。
ベッドから立ち上がる彼は一旦 、部屋を出て奥間 を向いた。
扉 の隙間 から溢 れる灯 りから察 するに、まだフェレンスは起 きている。
彼は一瞬、躊躇 うが、思い留 まった様子。
まずは戸締 まりを済ませなければならない。
終 えるまでの間 、考えることと言えば ... このところの多情 。
主従 と幼子 。
新天地での三人暮 らし。
正体 を隠 し就労 するには、余分 に片付 けるべき手間 がある。
客に扮 する工作員や偽造 書類に紛 れ込んだ暗号 文の解読等 。
国家諜報 機関を介 す伝達 の読み取りが主 だが。
時に客として来訪 する要人 の役職、人柄 、秘密事項の覚 え込みまで。
夜間のうちに全て熟 しているのが彼の主人 。フェレンスである。
拠 って現在。
幼子 の就寝 まで世話 する執事役 が主人の部屋を訪 れるのは、
身支度 の手伝いと予定 確認を行 う早朝のみ。
また同時。主人から解読文書を手渡 され至 るところ。
朝食の準備と後片付 け清掃 を踏 まえ、
始業 までの空き時間を過 ごすうち、頭に叩き込む運 びとなっている。
つまり。
とにかく時間が無いのだ。
極力 、邪魔 せぬよう努 めるともなれば、
主人との会話も必要最低限になりがち。
各所、見回り終えたカーツェルは溜息 を漏 らす。
欲求不満 執事が何か言いたそうだぞ ... ...
と、チェシャは思った。が、しかし。
ベッドから降 りて覗 き見なんてしようものなら、必ずバレるので。
カーツェルが、いくら上 の空でも悪戯 は厳禁 。
特技 の狸寝入 りも程々 に。
そっとしておこうかな ... ...
部屋の前を行き過ぎる足音を聞きながら、幼子 はしっかりと毛布に包 まった。
そうしたほうが面白そう。そんな気がして。
翌日 の反応を楽しみに、大人しく寝る。
そうと心に決めたなら、爆睡 まで五秒とかからない。
対 し、フェレンスは読書中だった。
〈パラリ ... 〉
頁 を捲 ると聞こえてくる。
〈 コンコンコン ... ... 〉
控 えめな打音 。
一人掛け椅子 に腰 を据 えた姿で視線を上げれば。
サラリ ... ... 揺 れる銀色の髪 。
応答 を待つカーツェルの眼差 しは、
心做 しか淋 しげ。
彼の主人は膝 に置いた本を閉 じ、やがて応 えた。
「入りなさい」
奥 ゆかしい声。
「夜分 、恐れ入ります」
入室し顔を上げると早速 、ランタンスリーブのシャツと
フィットスラックスを装 い寛 ぐフェレンスと目が合う。
「待 っていた」
尋 ねられるでもなく耳を打つ言葉に驚 いたのは言うまでもない。
「如何 がなさいました」
念 の為 に聞くが、彼の主人は首を横に振 った。
「昼間、客として接触 してきたアイゼリア諜報員 からの伝達は一件のみ。
特有 の暗号にも慣 れた。時間に余裕が出来きる頃合 いを見計 らっていたのだろう?」
どうやら察 してくれていたよう。
胸が詰 まる思いがした。
カーツェルは黙 って俯 く。
「ゆっくり話そう ... カーツェル。まずは座りなさい」
膝 の上に乗せた書物を脇卓 に置いて言う。
フェレンスに従 い低卓 を挟 むソファーを借 りたところ。
霊草 で香り付けした浄水 を杯 へ注 ぎ差 し出された。
目を細める彼の視線の先には、静かに硝子瓶 を置き膝 に戻 される上品な手筋 。
口を開こうとしないカーツェルを見て待 つフェレンスから、悠々 と示 される心置き 。
その余裕 が少しだけ羨 ましかった。
何時如何 なる時も、取り分 け押しの強い執事役が萎縮 しているのは何故 か。
どうしてか気不味 いのだ。
自分でも訳 が分からない。
知りたいことが山程 あって。
聞こうと思えば、いつでも聞けたはず。
なのに ... ... 言葉にならないなんて。
堪 り兼 ねたカーツェルは大きく、々 、息を吸い込んだ。
〈 スゥ ――――― ... ... 〉
そして言う。
「出直 して参 ります!」
なんだそりゃ ... ... !
自分でも内心そう思う。が、仕方 なし。
彼は揃 えた両膝 を叩 き立ち上がった。
ところが直様 に差 し止める。
「その必要はない」
フェレンスの声を聞いて彼は立ち尽 くした。
対 して席 を立ち、歩み寄 る。
主人 の手が、執事役 のクロスタイに触 れ。
ゆっくりと解 き始めた。
厳粛 に役目を果 たす彼が、仕事と私生活 の隔 てとして用 いる品 は、
引き絞 ったり、緩 めたりすることで気持ちを切り替 える、装置 のようなものらしいので。
襟元 から取り去 ってしまえば、少しは気が楽になるだろうという理由 。
だが、彼は相 も変わらず、ぱっとしない表情。
フェレンスはタイを引き抜 いた手で彼に触 れ、声を掛 けた。
「さあ、もういいだろう。肩 の力を抜 きなさい」
大の大人が返す言葉もなく、応 じるのみとは、やや奇妙 。
拗 ねているのか落ち込んでいるのか。はたまた、その両方か。分かりづらいが。
彼の主人は続ける。
「それから、手のひらを ... ここへ」
下向きな視界に延 べられる手。
遠慮 がちに指先で触 れ、言われた通り裏返すと。
並 べて見るかたちに。
するとフェレンスが言う。
「お前の探し物はこれだろう?」
カーツェルは息を飲 んで目を見張 った。
彼が受け取ったのは、古 い 々 ... Playing card 。
突拍子 もない話のようだが。
それは、彼が長らく聞けずにいた事の一つ。
「やっぱり ... ... お前が持ってたんだな」
「事故の三ヶ月前に、ハインリッツェから預 かっていた。
〈いつか、カーツェルと遊んでやってくれ〉と。
直接 会話したのは、それが最後」
親父 ... ...
亡 き父が常々 持ち歩き。
時間を割 いては懐 から取り出して遊びに誘 ってくれた ... 良き思い出が蘇 る。
しかし、ハインリッツェが我 が子のため余分 に時間を費 やすのは、
〈明日 、戦地へ向かう〉というメッセージでもあった。
当時のカーツェルが感じ取って下唇 を噛 む時、何とも言えない気持ちになりながら。
帰ったら続きをしよう ... ...
必 ず生きて帰るという意味合いを込め、そう約束するのだと。
よく聞かされていたのは、当時のフェレンスだ。
御守 のようなものと聞いて受け取った時の解釈 は、こう。
〈カーツェルのため、生きて還 れ〉
ところが事故後に思い返せば違った意味にも取れる。
もしや、我 が子を託 すため、そう言ったのかもしれないと。
けれども、それらは大体、想像出来た事である。
あくまでもカーツェルにとっての話だが。
今や形見 となったそれが、父の遺品のどこにも見当たらなかった時点で。
何故 なら父はそれを、W-74 (※)のケースに入れ持ち歩いていたはずなので。 (※)ダングステン
凄惨 な事故であっても、残らないはずはなく。
隠 し持つ者がいると推測 した時、一番に思い当たる人物と言えばフェレンス。
しかし、ずっと聞けなかったのだ。
事故があった当時、フェレンスは長期遠征 のため帝都を離 れていた。
知らせを受けてはいたが、それきり。
カーツェルとは距離を置いていたので。
何せ、帝国軍大佐 を務 めた男が暗殺に遭 う理由など、分かりきっている。
異端ノ魔導師に肩入 れしたせい。
誰もがそう囁 くのだから。
カーツェルもまた、嫌気 が差 すほど耳にした。
だからこそ ... ...
夜毎 、境界 の荷置 きを開いて、
整頓 に努 める振 りをしながら探していたのだ。
話題にしたが最後、また、距離を置かれるのではないか。
そんな気がして。怖 くて。
怖くて ... ...
無意識に下唇 を噛 み締 める。
彼の様子を見たフェレンスは、更 に一呼吸置いて言った。
「延 いて、この件 の他、私に対する尋 ね事も少なくはないはずだが。
余程 、溜 め込んでいたのだろから無理には聞かない事にしよう。
... 但 し、また一つ頼 みたい」
すると彼は静々 、顔を上げる。
耳元まで顔を寄 せたフェレンスの囁 きを、少しでも近くで聞くために。
僅 かに触 れたのは、頬 と ... 何だろう。
呼吸が上擦 り細くなっていく。
「自重 を解 きなさい。話をしよう ... カーツェル」
頼 みと言いながら命令形で述 べ、強く手を引く。
フェレンスの導 くまま。
カーツェルは踏 み込み、主人とする相手の肩 へ顔を埋 めた。
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