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第2話
オフィス街の一等地にある、大きなビル。その五階と六階が雛森の働く場所だ。
鏡張りのエントランスを抜け、その奥にあるエレベーターへと向かう。周囲には同僚や上司がいるが、雛森は誰にも話しかけず前だけを見て進む。
雛森の世界には自分と少しの知人、そしてそれ以外しかいない。その知人である人物を見つけた雛森の冷めた目に、僅かな光が輝いた。
エレベーターを待つ後ろ姿。くすんだ金色の長い髪を後ろで結い、長身に似合った黒いトレンチコートは彼の愛用品だ。
シルエットだけでわかるスタイルの良さ、それは雛森にとって自分以外で唯一、認めることの出来る彼で間違いない。
「アヤさ――」
その男、神上亜弥の名前を呼ぼうとした雛森の声が消える。正確には無理に押し殺した。
「神上さん! やっぱり鞄の中にありました!」
雛森の声をかき消した張本人がアヤの隣に立つ。その人物は、今年の春に入社したばかりの佐久間翼だった。
翼の姿を視界に捉えた雛森はアヤの名前を呼ぶことを止め、二人から距離を置いたところで立ち止まった。そんな雛森に気づかず、アヤと翼は隣り合って会話を始める。
「だからちゃんと探せって言っただろ。このドジ」
「だって……って、元はと言えば神上さんが奪ったんじゃないですか」
「俺の所為にすんなよ。空が綺麗だって人の話無視して写真撮ってたのは翼だろ」
「そう、ですけど」
アヤに咎められた翼の手にはスマートフォンが握られており、それを見失って探しに行っていたことが雛森には容易に想像できた。そして二人の会話から一緒に出社したことも。
言い合っているように見えて、アヤと翼の距離は近い。その証拠に、翼の髪に付いていたゴミをアヤが取ってやっていた。それがあまりにも自然に見えるのは、二人の関係が上司と部下を越えたものだからだ。
神上亜弥と佐久間翼は色々と揉めはしたが、今は恋人という関係に落ち着いていた。付き合い始め独特の甘ったるい空気が二人の間には流れている。
エレベーターが到着の合図を知らせ、扉が開く。本当は自分もそれに乗るはずが、雛森は動けずにいた。
かつては自分の上司であり、自分を一番に可愛がってくれていたアヤとその恋人である翼。二人が醸し出す空気は雛森にとって苦痛だ。
ぼんやりと二人を眺め、扉が閉まったことに雛森は安堵の息を吐く。無意識に入っていた力を抜いた雛森の肩に誰かの手が乗った。
健康的に焼けた、男らしい手が。
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