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第14話

「はい」  廊下の端まで来て、やっと雛森は電話に出た。 『遅い』 「仕事中だったんで。それはアヤさんもでしょ」  雛森に電話してきたのはアヤだ。内線じゃなくプライベートの携帯を鳴らすのは、アヤと雛森にとって普通で、特段珍しいことではない。  アヤからの電話は仕事の話で、雛森は淡々とそれに答える。自分が疲れていることを悟られないよう、いつも通りを演じ、たまに皮肉を交えて。 雛森は、憧れているアヤに手一杯だと思われたくなかった。出来ない奴は躊躇わず切り捨てるアヤに足手まといだと思われたくなくて、聞かれたことには全て答えた。 納期やスケジュール、商品の詳細な説明。手元に資料が無くても、頭の中にある情報を駆使して会話を続ける。 やがて一通り話し終えると、少しの無言が訪れた。 『ヒナ、お前大丈夫か? ちゃんと飯食ってる?』 「……急になんすか」  どうして気づかれたのか、雛森は焦る。言い淀むことなど無かったし、何も間違ったことは告げていない。 それなのにアヤは雛森に「大丈夫か?」とまた問いかけてくる。 「大丈夫……って何がですか?」 『声、なんか落ちてるから』 「はっ、アヤさんの気のせいでしょ。普段あのチビの相手してるから勘鈍ったんじゃないですか」  雛森は翼の話を会話に入れて、なんとか誤魔化そうとした。元々、勘の鋭いアヤが本格的に疑い始めたら確実にバレる。それが怖くてスマホを握っていた手に力がこもる。 「もういいですか? 俺が忙しいの、アヤさんなら知ってるでしょ」 『……わかった。ただ、』  そこで言葉を区切ったアヤに、雛森は拳を握る。その続きはきっと「俺の期待を裏切るな」だろう。それを知っているからこそ、必死に平然を装う。  けれど雛森が聞いたアヤの言葉は違った。 『あんまり無理はするな。何かあれば……無くても頼ってくれていいから』 「……は?」  予想とは真逆のことを言われ、雛森は呆気にとられた。 利己主義の彼らしくない、気遣いを見せる言葉。それがアヤの口から出るなんて、雛森の思考がストップする。 「今、なんて?」  きっと聞き間違いに決まっている。あのアヤが頼れなんていう訳はない。少なくとも仕事に関しては。 「冗談でしょ。アヤさんが俺にそんなこと言うなんて」 『俺だってお前の心配ぐらいする。前は無理にでも連れて帰ったけど今は出来ないから』  多忙を極めると寝食を忘れてしまう雛森を、今までアヤが面倒みてきた。それを周囲からはセフレだの、付き合っているだの言われていたが、最近では全くない。  なぜならアヤには優先する相手が出来たからだ。  『特別』を作ってしまったアヤの中に自分の居場所はない。だから甘えることなんて出来ないし、迷惑をかけることは出来ない。これ以上、アヤの負担を増やしてはいけない。  以前助けてもらった時とは違う。今は自分とアヤの関係は、ただの『部下』と『上司』でしかないのだから。 「別に平気ですけど。これぐらい」  やけに乾いた声が出て、雛森は唾を飲みこもうとした。だが、全く分泌されないそれに、さっさと電話を切ってしまった方が賢明だと思った。

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