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第15話

「無理するなって言うなら忙しい時に連絡しないでください。切りますよ」  何か言われる前に電話を切った雛森は、廊下の壁に凭れた。  本当は、今すぐにでも眠れるぐらいに疲れているし、食事だってまともに摂れていない。 でも、それをアヤに言ったところでどうなる? そんなもの考えなくてもわかる。『無駄』だ。 また新しい無駄が増えて雛森は失笑した。  自分を奮い立たせるように息を吐き、バイヤールームへと戻る。 目の前の扉の向こうにまたあの似非の笑顔が待っていると思うと、気が重い。その気持ちを隠すことなく、嫌々ながら扉を開く。 そこにはもう南はおらず、各々がデスクに戻って仕事をしていた。 雛森も所定の場所に戻り、机上に視線を落とす。珈琲が散っていたはずのそれは綺麗に拭かれており、散乱していた書類は脇に寄せられていた。 空いたそのスペースには見慣れない物があった。 付箋の付いた小さな紙袋。それが会社の近くにあるカフェの物だということは、すぐわかった。雛森はその店のケーキが大好物だからだ。 しかし、なぜ自分のデスクに置かれているのかはわからない。首を傾げてそれを見る雛森に、近くに居た同僚が教えてくれる。 「それ南さんから雛森君にって。顔色悪いみたいだから甘い物でも食べてって言ってたよ」 「南さんが?」 「うん。南さん優しいよね。違う部署なのに、雛森君が大変そうって気づいて買ってきてくれるなんて。さすが理想の男!」  少し頬を染めて言う女性社員に、ああ……こいつも南が好きなんだ、と雛森は思った。 それなら本人に直接言えばいい。南ならデブとブス以外は抱いてくれるだろう。 「俺いらないから」  袋をその社員に押し付ける。ついでに「僕の英良ちゃんへ」と書かれた付箋は握りつぶし、ゴミ箱へ捨てた。 「えっ、でもせっかく南さんが」 「必要ない」  雛森は南に甘い物が好きだなんて言ったことはない。きっと、どこか……例えば行き付けの店か何かで、甘い物を食べているのを見て、買ってきたのだろう。まるでストーカーのようで気持ち悪い。 (そういうのは狙ってる女にすればいいのに。俺にしたって無駄なの、わかんないのかよ)  どさっと勢いよく椅子に座りこんだ雛森は、途中だった仕事を再開した。離れた所から睨みつけてくる大沢の視線が背中に突き刺さるが、そんなのに構ってられない。  この日も朝から晩まで働き、続々と帰って行く同僚たちに無言を貫く。気付けば部屋には二人……犬猿の仲である雛森と大沢が残る。 帰り支度を終えた大沢が席を立ち、まだ仕事を続ける雛森の背中に向かって言い放った。 「お前、神上さんに捨てられたんだろ。次は南さんって、どこまでも性格腐ってんのな」  雛森は何も言い返さない。言い返しても『無駄』だから。  そしてそれは当たらずとも遠からずだから。ただ、捨てた相手が違うだけだ。 (俺を捨てたのはアヤさんじゃない。俺を捨てたのは)  ──英良、恋愛なんてくだらないものに縋るのはみっともない。  『あの人』の言葉が頭の中に蘇ってきて、雛森は力いっぱいキーボードを叩いた。 雛森一人きりの部屋に、エラー音だけが響く。

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