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第32話

 要するに。 痛いほど向けられている敵意の正体は、憧れの二人を両手に侍らせている雛森に対するやっかみだった。 この会社にいる殆どが南とアヤとお近づきになりたい中、それを天秤にかけている雛森は邪魔でしかない。  たかが噂なのに、酷く面倒なことになったと雛森は両手で顔を覆う。 低く唸って顔を上げると、無表情のアヤと視線が合って、雛森は肩を落とした。 「すっげぇ面倒くせぇ……」 「俺は別に今まで通りでいいとして、問題は南だな。あいつだってこの状況を知ってるくせに、ヒナに近づく考えが知れない」  自意識過剰な南ならば、確実に自分が狙われていることなどわかっているはずなのに。それなのに、このタイミングで迫ってくるのは、どう考えても答えは一つだ。 「そんなの自分に靡かない俺に対する、単なる嫌がらせでしょ。あの腹黒ゲス野郎なら考えそうなことだし」  冷めきったカフェオレを喉に流し込んだ雛森は、残りのチーズケーキを口いっぱいに頬張る。まだ何か考えているアヤを放って全てを平らげ、ソファの背凭れに身体を預けた。  今すぐ眠れそうなほど心身ともに疲れ切っていた。 「確認だけど」  そう切り出したアヤを雛森は見る。視線だけで続きを促した雛森に、アヤが問う。 「お前、南にあの人の話した?」  アヤから出た『あの人』の話題に、雛森は一瞬にして表情を失った。全てを知っているアヤの口から『あの人』の名前を聞きたくなくて首を振る。 「それならいい。お前、南にあの人のことは言うなよ」 「そんなの……するわけないし」  乾いた声で答えた雛森は切なく瞳を揺らす。 本人は隠しているつもりでも、アヤには雛森の傷がまだ癒えていないことがわかり、アヤはそっと雛森の頭を撫でた。 雛森は黙ったままそれを享受する。  翼が戻って来るまでアヤは何も話さず雛森を見守った。 今の状況で自分が表立って雛森を助けてやることは出来ない……かと言って、南にそれを託すのはリスクが大きすぎる。  これは、一度南と話すべきかもしれない。そう決めたアヤは、仕事を終え自宅へ戻り、嫌々ながらもスマートフォンを手にする。  滅多にかけることのない番号へと繋がるコール音。数回それが続き、やがて切れた。 「お疲れ様。アヤから電話なんて何年ぶりだろうね」  電話の向こうで楽しそうに笑う相手に、アヤは答える。 「何年振りじゃなく、これが初めてなんだけど。気色悪い声で人の名前を呼ぶな」  喉を鳴らした南にアヤは今すぐ電話を切りたくなった。けれど、可愛い後輩の為に耐えて会話を続ける。  しばらくして南との会話を終える。言いようのない疲れを感じたアヤは、すぐさま別の人物に電話をかけた。 「──翼、今すぐ来ないと明日から仕事の量を倍に増やす」  南にも、雛森にも聞かせない甘ったるい声で恋人の名前を呼ぶ。 何事かと文句を言いながらも、満更でもない翼の様子を悟ったアヤは「早く来い」と急かした。

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