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第39話
重たい身体を雛森が起こすと、そこに南の姿はなかった。
壁にかけられた時計が示すのは、昼の一時。
激しく抱かれた後、中に吐き出されたものを掻き出されたところまでは記憶にある……が、自分がいつ眠ったのかは覚えていない。
隣に誰かがいた形跡はなく、おそらく南はリビングのソファで眠ったのであろう。この真冬に、あんなところで寝て風邪でもひかないのだろうか。
(そんなこと俺には関係ないけど)
浮かんだ疑問を頭の中で打ち消し、雛森は寝室を出る。すると、すぐにソファに座っている南の後頭部が目に入った。
音もなく近づき、一発殴ってやろうと雛森は手を振り上げる。
「挨拶の前にすることじゃないよ英良ちゃん」
「気づいてたのかよ」
「扉が開く音が聞こえたからね。どうせならハグの方が嬉しいかな」
ゆっくりと振り返った南からは、昨夜の雄々しさは感じられない。まるで清涼飲料水のCMに出演できそうなほど爽やかに、且つキラキラと白い歯を輝かせて笑う。
「お昼、できてるよ」
有無を言わさず用意された昼食。手作りだとわかるそれは、今日は和食だった。
「どうぞ」
座るよう椅子を引かれた雛森は、南のエスコートを無視して反対側に座る。それを見た南は少し驚き、困ったように眉を垂れた。
程よい大きさの丼には琥珀色の液体。見るからに美味しそうなうどんと、小さなおにぎりが二つ。
決して手の込んだメニューではないのに、雛森の腹は空腹を訴えて、素直に箸を手に取る。
「美味い」
南の料理はやはり美味い。丁寧にとられた出汁がきいていて、純粋に美味いと思えた。
端的に感想を述べた雛森に、南は安堵の息を吐く。
「良かった。自分じゃわからないから」
「何それ。作り慣れてるって言いたいんですか?」
「そうじゃなくて……」
一瞬躊躇した南が瞼を伏せる。すぐに上がったそれの奥から現れた黒い瞳が、雛森を真っすぐに見た。
「僕ね、味がわからないんだ。正確には疎いって言うのかな……普通の人が感じる味覚がないんだよ」
「…………は?」
「ちょっと意味わかんないよね」
ちょっとどころか、全くわからない。なぜなら、雛森は今まで何度か南と一緒に食事を摂ってきたからだ。
いつも美味しそうに頬を綻ばせて食べていた彼の顔を雛森は何度も見た。
「どうせそれも嘘なんだろ」
また騙されたと思った雛森が白い目を南に向ける。すると南は、雛森の手元のおにぎり、本来は南が食べるはずだったそれを指さした。
「それ、食べてみなよ」
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